見出し画像

うだるような暑さとはまさにこの事。

自宅を出て数分で吹き出してきた汗によって背中にピッタリと張り付いたYシャツに嫌悪感を抱きながらも自転車で坂を駆け登る。
健康の為!だなんて自転車通勤にしたことを後悔している。

漕いでいるうちは風があるから意外と涼しいと思っていたけど、ここ数年の気温上昇は異常で風自体が暑い。
この熱風を常に浴び続けていると息苦しくて通勤が5倍くらい疲れる。

子どもの頃、夏はこんなに暑くなかった気がする。
夕立ちもあったから夕方は涼しくて…よくずぶ濡れで家に帰って怒られたな。

夏といえば子どもの頃、夏の木の葉の色が大好きで…
梅雨が明けて木の葉がだんだん深くて濃い緑色になって、それが夏の日差しを浴びてキラキラ光るのを見るのが好きだった。

けど、今はあの夏の”キラキラ”はもうわからなくなった。

この異常な気温のせいなのか、大人になって繊細な感性を失ってしまったからなのかはわからない。

夏になるといまだに”キラキラ”を探してしまう。
自転車通勤はまさにもってこいだ。
季節の変化を肌で感じることが出来る。

春の桜の花吹雪、夏の空と蝉の声
秋の綺麗な紅葉、冬の寒さと白い雪

年々その四季が崩れてきているようにも思うけど、やっぱり四季を感じると心落ち着くのは日本人だなぁって思う。

しかしあの”キラキラ”はそんなに美しいものでは無いし、表現が万人に当てはまるものじゃない。

春のソワソワ、夏のキラキラ
秋のワクワク、冬のワイワイ

子どもじみた表現がまさにピッタリなあの感動をもう1度感じたい。
あの感動を味わえたからと言って何があるわけじゃない。
休みは増えないし、給料は上がらない。
幸せになれるわけじゃない。

それでもあの子どもじみた感動を探してしまう。

もし、万が一、大人になって今でもそれを味わえたなら…
それは例え歳がいつくだろうと青春の1ページと呼べる気がする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?