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Be Place 居場所探しの前に

閑話休題、ですが・・・

●孤独、孤立、どちらにしても
 安住の地「シニアの居場所」を求めて右往左往したものの、かすかな期待も深いため息と自虐的な嘲笑に消えてただ日々だけが通り過ぎてゆく。世間で語られているように納得できる居場所などそう簡単には見つかりません。巷で紹介されている実例や経験談はたまたま成就した人だけが登場する話なのだと割り切って、自分は自分、お金は無いけど時間だけは充分過ぎるほどあるのであせらずじっくり構えてみたりしますが。
 世にいうことわざや格言がそうですが、古くから伝わる忠告の類もそのときの気分次第で自分に都合よく解釈できたりそもそもいったいどちらを意味するのか分からず本来の目的に役に立ったり立たなかったりといろいろあります。
 たとえば何気ない日常の所作を「意外と人は見ていますよ」と稚拙な振る舞いを諭す言葉があると思えば、いやいや「あなたのことなどそれほど人は見ていません」と自意識過剰気味な様子を諫める警告めいた慣用句もあって、ところでいったい人は自分をみているのかみていないのか。 
 はたして自分は他人から注目されているのか。以前にくらべると人と接触する機会が減ったリタイアシニアにとってはあまり気に掛けることでもなさそうですが、ここは閑話休題、「居場所探しの旅」へでかける前にもうひと呼吸おきましょう。結果はどうあれ一度は考えてみたほうが良いかなと思うことがあります。

●居場所がどこになろうと裸じゃいられない
 問題は服装です。無理をしてお洒落になる必要などありませんが日常の普段着については一度わが身を振り返ってみたほうが良さそうです。ファッションそのものに興味が無ければ似合うとか似合わないとか自己判断などできませんが、逆にそういった人ほどまさにこのタイミングでこのテーマに一度は向き合うことが必要なのかもしれません。
 服装に関して趣味嗜好がそれほどなくても人の振り見て我が振り直せ、近隣で見かける同類シニアを反面教師にしてみるといろいろ見えてきます。本来は自分なりの「居場所」というものが見つかればおのずとその場所なりにふさわしい服装というものが決まってくるのですが。問題はそれまで、そう今です。

●あの、なりたくない未来に立っているかも
 家の近所周辺で見かけるひと世代やふた世代上にリタイアした諸先輩たちの多くは、ジャージ姿とかゴルフウエアを身に着けているのをよく見かけました。現役時代から趣味人でないかぎり勤め人生活でスーツ類以外にそれほど私服は必要なかったでしょうから持っていなくても不思議はありません。もともと地元にそれほど知り合いもいませんし行く場所はといえばスーパーマーケットかコンビニくらいで気負うことなどない日常にジャージ姿はほんとうに楽です。
 しかし、本来は鍛えられた肉体を包んでこそシルエットラインが生きるようデザインされたであろうスポーツウエアのジャージです。また、ゴルフウエアはゴルフ場というある意味で非日常というコンセプトを楽しむ空間であればこそあえて思い切って着用できる色使いや組合せを意図していますし、またプレイ中に打ち込まれないようにホールの遠方からでもここにいるという目印の役目も担っているのでその派手さには意味があります。最近はわりと落ち着いたデザインも増えてきましたが本来はそうでした。
 もうひとつ気を付けなければならないのはあの頃よく揶揄されていた「休日のお父さん」状態のことです。数少ない私服からということではなくあきらかにこれを着たいという強い意志をもって身に着けているようなのですが、なんというか浮いているというかこなれていない感じの方がちらほら。
 「ナイスミドル」とおだてられてもやっぱり馴染まないものはあります。ジーンズしかり、マリンウエア、アーリーアメリカンスタイルなど青春時代をそのまま持ってくる気持ちは充分に分かりますが普段から身に着けてなければどうしても微妙なズレというのは生まれてしまいます。ロマンスグレーや白髪にストーンウォッシュのジーンズなんて似合う人はたぶん服だけでなく生き方も日常から普段使いなのですよ。

●「気づき」は、「紙一重」
 上の世代を見て「ああはなりたくないな」と思っていたのがいつしか自分も似たような匂いをまとっているかもしれません。ジャージは楽だし、ジーンズだってまだ穿けるし地味目のゴルフウエアだって機能性とファッション性の良いとこ取りです。最近は、作業着でさえファッショナブルに進化してきて廉価で手に入る時代ですから若かりし頃流行った往年の服でなくても、まさに今の若年層が着こなすブランドに手を出してもまったく不思議ではない時代です。
 問題は似合っているか、自然に見えているかなんですがこれを客観的に判断するというのが難しい。好きこそものの上手なれというように趣味嗜好があればその恰好が自分のライフスタイルにフィットしてくるというのも真実でしょうが行き当たりばったりではそれは望めませんね。
 ファッションについての悩みは身近にいる気の置けない人たちからのアドバイス以外にこれといった救済策や具体的な方法がありません。重要なのはせめてこのテーマについては気が付いているぞという「気づき」があるかないか。かっこよいとか洗練されているとかのレベルではなくまったく普通の服、それこそジャージであっても本人がこのポイントを意識しているか否かでなんとなく醸し出す雰囲気が違ってきたりするので不思議なものです。
 まあ、好きなコーディネートであっても似合っていない人がいたりしますがそれは本人が好きだとあきらかに納得しているので、それはそれでよしとしましょう。これまでまったく興味がなかった人、どう転ぶか分かりませんがひとまず立ち止まり服装について振り返ってみても損はありません。

●蛇足ついでに
 水戸の黄門さまみたいに一見何の取り柄も無さそうな老人が実は最後に明かされた素性が時の権力者だった。もはや今では古典なのかもしれませんが、仕事探しで朝早く面接を受けに行ったら会社の前で掃除していた初老の男性こそがそこの社長だったなんて話もありました。これらのテーマは分かりやすく勧善懲悪とか誠実でさえいれば最後には報われるといった趣旨なのでしょうが、共通しているのは人を見かけで判断しちゃいけませんよということですね。
 シニア世代もワークマンやユニクロでそれっぽいウインドブレーカーなど手に入れて、家の周辺や近所の公園をボランティアの掃除でもやってみると、実はあの人は見識豊かな社会的成功者で人格者らしい、などと噂に。
 いやいや、それこそ先人の教えを自分都合に曲解する最たるもので、そんなことを妄想しているそのときはすでに服装も乱れたシニアになっているかもしれません。


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