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Be Place そうだ、晴耕雨読

そんなことも、ひとつの「Be Place」居場所になる


●晴耕雨読を真似てみる
「よく晴れた日には田畑を耕して汗を流し、雨が降る日には家の中で読書をして教養を深める」。この晴耕雨読という言葉から連想されるのは必要以上に裕福でなくとも安定した生活の基盤があり、達観した精神を保ちながら静かにそして悠々自適な日々を過ごす、そこには自由と気高い気品すら漂っているような日常でしょうか。
 定年退職したシニア世代のやってみたいことのひとつとして必ずエントリーされるライフスタイルですね。ところが、現実にはなかなかそうはいかない。いままではネックだと思っていた仕事という義務や約束事などの制約がなくなり、やっと自由な時間を手に入れたもののさてどうしたものかと思案に暮れるばかりです。大切なのはディティールではなく気持ちの持ち方ですよというのは確かに正論なのですが、せっかくですからカタチだけでもやってみたいじゃないですか。
 
●自己流解釈からはじめよう
 本来の高尚な理念に程遠くても、また、考え方が主客転倒していようが天候次第、気分次第でその日その日の過ごしかたを決めるという分かりやすい自由を味わいたいというのが本音です。もともと悟りが得られていればわざわざ考えたりすることではないので、俗人のちょっとしたアプローチ気分で真似事を。
 さて、実践するためには金銭に関して必要以上に特別な蓄えなどはなくても大丈夫でしょう。もともと贅沢しなければ生活できるという前提ありきですけどね。たとえにあるように田畑の農作業だって天候次第で休んでいたりしたら作物はちゃんと育たないのでそこには生活を支える緊張感はありません。強いて言えば健康のため、趣味の領域かもしれません。現代でいえば週末市民農園、レンタル畑というのはあまりに極端すぎるかもしれませんが、農作業にかぎらずここで語られている主労働?のたとえとなる外での行動テーマはあくまで生活の糧のためではないので、緩いもので充分だということだと勝手に解釈しましょう。この身勝手さがポイントです。
 
●肝心なのはリズムと雨のおやすみ
  この生活パターン「晴耕雨読」の醍醐味?を心から味わえるのはやはり「雨」の日でしょう。朝起きると雨が降っている、「仕方がない、今日は外出せず家でゆっくりしよう」と思うこの瞬間です。しかし、天候にあわせて身を委ねられる自由な生活、この至極の瞬間を手に入れるにはやはりある程度の決められたスケジュールによる縛りが重要になります。居場所探しのシニアにはもともと押し付けられる用事はないので自ら組み立てる必要がありますが、ここは大上段に構えずに何でもよいので外出する計画を立ててみます。
  とにかく外出すればよいので、図書館やショッピングセンター、公園、それこそ近隣での散歩やウォーキングでも良いでしょう。内容的に大した用事でなくてもこの日に実行するという計画こそが大切です。曜日ごとに決めても、毎月この日というかたちでもいいですし、またすべてが埋まる必要もありません。あらかじめ決められているというこのリズムこそが肝心です。
 
●副産物
  よほど悟りきった人間でなければ本来の「晴耕雨読」が意味する領域に到達できないと思いますが、このように真似事ぐらいでも挑戦しようと考えて外出案件をひねり出すことによって、それが些細なことであろうと少なからずそこにリズムが生まれます。自分にとっての具体的な居場所探しとは違うかもしれませんがきっかけぐらいにはなるかもしれません。
  もし日常生活に同居者がいたりすると、ささやかとはいえある程度のルーティーン化されたスケジュールは、日常生活を共にするその人にとっても大変喜ばれる行動になると思いますね。「晴耕雨読」も日常のリズムありきです。もしかするとこのライフサイクルの収穫はこのことわざの現代における新しい解釈のひとつになるかもしれません。


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