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地方の小さい会社が「採用」で学んだこと【前編】

▶︎後編はこちら

これまで10年間、ちょっとした単発のお仕事からアルバイトの採用まで、さまざまな採用スタイルで試行錯誤しながら、出会った方と一緒に会社を継続してきました。

そんな私が、失敗談も含め、この10年で学んだ「採用」についてお伝えできればと思います。


(創業初期〜2年目)「在宅勤務」が一般的でない時代にママさんへリサーチの仕事を依頼

2012年の起業当初から1〜2年目まではスタッフの雇用はしていませんでした。そもそも私自身も前職の紹介でお仕事を請け負って、その売上で会社を回しているような状況だったので、人を雇用するほどの余力がありませんでした。

一方で、当時はmamatxというTX沿線のママ向け情報サイトを立ち上げるために、リサーチや情報入力を大量にこなす必要があり、私一人では到底間に合わない状況でした。

そこで、サークルにきてくださったママさん(ママサークルの記事はこちらから)などを中心に、単発でリサーチや情報入力のお仕事をお願いするようになりました。

当時まだ一般的ではなかった在宅ワークをお願いしていたのです。

サークル仲間でもあったので、「ママとして協力するよ!」「別にお金もらわなくていいよ!」と言ってくれるママさんたちばかりでしたが、過去にNPOでのボランティアスタッフの対応で苦い経験をしていることもあり、いくら仲が良くても、条件を決めてやるのがいいと思ってその部分は貫きました。

私自身も、お金払ったからには事業性もしっかりしなきゃいけない!という気持ちにもなってよかったと思っています。

(創業3年目)公募しない、地域の繋がりの中で採用

創業3年目の頃、当社は大きな事業の転機を迎えました。

私設図書館を作ったり、不動産の大型物件のコンセプトビデオや冊子の作成するなど、年間でいろんなプロジェクトをできるようになったのです。

地域に密着する案件ばかりやっておりましたので、地域に優秀な人材がいっぱいあることが分かりました。子育てや年齢制限により、今は家庭中心にして、働くことを一旦中止していますが本当は素晴らしいスキルや能力を持っている方ばかりです。
地域密着案件の時は、プロジェクトを組み、一緒にやりたい方を募集すると優秀な方がたくさん集まり、楽しくプロジェクトを完成することは何度も経験し、そこで、この方達が会社のスタッフになってくれたらいいなという気持ちが芽生えました。個別に声がけして、運良く承諾をいただき、一緒に働くことになりました。

ですが、これが大変でした。

地域活動の中では、いろんなプロジェクトを一緒にやってきましたが、それは対等な立場でした。謝礼は発生するものの、ボランティアに近い形なので、仕事に対してどうコミットしていくかは個人個人の都合で決めてよいものでした。

しかし、会社のスタッフとして雇用すると、関係性が雇用関係に変わり、働く時間や成果など求めないといけません。
こちらは言いづらい、スタッフのほうも今までとの違いに窮屈さを感じていました。

また同じ地域に住んでいる方がスタッフになり、会社の内情が広く知れ渡ることになるじゃないかと心配もあり、クライアント情報や仕事の予算など社外に漏れたくない情報は伝えないようにしていました。そうすると、こちらの意図が伝わらないことがあったり、スタッフも内情分からないから働きづらいこともありました。

結果的に、スタッフが次々と辞めて行きました。

ここで、私ははじめ「このまま地域の中から採用しても懸念事項が多いから、ビジネスがうまく上手くいかない」と気づきました。最初からビジネスという目線を合わせて、情報もしっかり共有し成果にコミットしてもらえる方に入ってもらいたいなと思いました。

(創業4年目〜6年目)ついに始めた、「採用」も、「ちゃんと働きたいので辞めます」お小遣い稼ぎ程度にしか思われていなかった

上記の反省を活かして、自社ホームページでスタッフの情報を出したり、求人サイトに載せて、所謂普通の採用活動を行い、女性2名が入社。

私(笑)もスタッフもやりがいを感じて、最初は順調に仕事を進めていきました。
ですが2人ともお仕事にも慣れてきた2年目の頃、状況は徐々に変わってきました。

年齢差のある2人だったので、こなせる仕事の量や効率に差が出てきたのです。私としては、それは仕方のないことだと思っており、年齢や体の状態に限らず、別の人間が同じことを同じようにこなせるなんて思っていませんでした。差があるのはしかたないことだと思っていました。

ですが、やはり多く仕事をこなしている側からすると、徐々に違和感が募っていったようです。私に訴えてくることもありましたが、新規案件の営業で飛び回るのに気持ちとられて、しっかりと事情を聞き改善することはできなかったです。
その後、「元の業界へ行きたいから辞めます」と退職されました。話を聞くと、ずっと資格の勉強をしていたそうです。その資格を活かす業界で大きな仕事をしたいとずっと考えていたようです。円満退社ではありますが、退社するタイミングを決めるのに、やはり現場の仕事に対する不満も大きく影響したように思います。そこで私は深く自責して、先輩コンサルの方に泣きついて話を聞いてもらったのは今も覚えている。

とても優秀な方だったので残念でしたし、優秀な方だからこそ、ちゃんとスキルに見合う環境や仕事が提供できないと、留められないと気がつきました。

その後も一緒に働きたい方を運良く採用できても、1〜2年で退職するケースが続きました。

そんな中でも、印象に残る1人がいまして、子育て支援をやりたいと入社して、スキルを発揮してくれていたアルバイトスタッフから「ずっと就活をしていました、やっといいところを見つけました。年齢的に就職は最後のチャンスだと思うので逃したくないからここ辞めて就職します」と言われてしまったことです。

よくよく聞いてみると、弊社の仕事はいわゆる就職とは違ってわサークルのような地域活動の延長だと思っていたそうです。いつか就職するけど、子どもは小さいうちはこういう仕事をやりながら、ブランクを作らないでおこうという気持ちで入社したそうです。
こういうふうに見られてたんだと、かなりショックでした。

他にも、「ちゃんと働こうと思います」と言って辞めていったスタッフもいました。うちの仕事は「ちゃんと働く」の部類に入らないということは、よーく分かりました。ちゃんと働く前のリハビリ的な、踏み台的な役割だなって気づきました。

ですが、我が身を振り返ってみると、普段は代表が仕事を取ってくる、スタッフは代表から下ろされた仕事をこなす、特にビジョンやミッションは設定していなくて、売上なども特に共有せず、一緒に働いてるというより、代表の私の仕事をみなさんに手伝ってもらってる感じが強いかと気づきました。
そんな会社では、「小遣い稼ぎ」程度、踏み台に使うと思われても仕方ないことだと痛感。

その後、年月が経ち、経営者として少しずつ成長し、採用に関しての考え方やスタッフとの関係性も常に変化しています。
また こちらの記事 でゆっくり語ります。

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