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36歳無職、はじめての書評 (『世にも美しき数学者たちの日常』/二宮敦人)


人間とは何か問題

 人間とは何か? なんて、

 そんなことを考える人は、大体人生に悩んでいる人だと思う。

 はい、そうです。悩んでいました。

 自分の特性に「アダルトチルドレン」だとか、「ADHD」だとか、そんな名前がついているのを大人になった今は知っているけれど、若いころはそんな概念も持っておらず、ただ悩んでいた。

    周りのみんなはうまくやっているのに、自分の人生はなんでうまくいかないんだろうと思っていた。そういった若年期の懊悩は、やがて「なんで自分は生きているんだ?」という疑問に流れ着く。

 なんでこんな自分が生きているのか? こんなに苦しみながら生きる意味があるのか? 社会不適合者。害悪。そう思いながら過ごしていた10代後半から20代前半だった。

 人間のことが知りたいと思った。美しい道徳や社会通念や助け合い精神の大切さが語られる一方で、野蛮な犯罪のニュースや、近所の悪ガキのしょーもない迷惑行為ばかりが目に入る。(今もTwitterではしょーもない言いがかりを手あたり次第に売りつけている人がいる。) 人間とは、何だ?


 そう思った中学生の自分がまず手を伸ばしたのは、『哲学』だった。そこに「人間とは何か」「世界とは何か」ということを本気で考えた人たちの、研究成果のようなものがあると思ったからだ。

    入門書から始めて、デカルトの真理、カントの無神論、キルケゴールの絶望、ヴィトゲンシュタインの論考、ニーチェの道徳。すべてちんぷんかんぷんだった。何ひとつとしてちゃんとは理解できなかった。ただニーチェがそういった道徳や良い生き方とかについて説き続けた末に、自分自身は発狂して精神病院で最期を遂げているというのは面白いなと思った。


 結局、わかった気がしたことといえば、どうやら世界には善も悪もあり、真実も嘘もあり、幸も不幸も、不条理も不公正もあり、身と蓋だけがないこの世界の有り体であった。歴史、経済、数学、文化。人間の営みすべてに人間が顕れている・・・・・・という当たり前のことだった。わかりやすい救いは、何も得られなかった。そんなものはどこにもないのだろう、とも思った。


 ただ、こんなに知らないことがあったんだな。とは思った。


 長年の積み重ねで、我々は絶望することに慣れてしまっていて、何かとすぐ絶望する。どうしても視野狭窄になってしまいがちである。

 だからこそ、世界のことを知るのは大事だとなのだ。広く他者の思考に触れることで、いろいろな考え方があることを知れば、いま自分が抱えているネガティブな思考がいかに一面的なものかについて気が付くことができ、それは思わぬ陥穽に落ちることを防げはしないまでも、もう一度地上に戻るのを助けるロープになってくれると思う。


というわけで、やっとおすすめの本。

   やっと書評に入っていくよ。

 まず、この本は数学の知識まったくゼロで読める。
 これは数学の本ではなく、人間について書かれた本だからだ。

 数学者というからには数字だけの世界に生きていて、さぞやシステマチックで孤高の存在なのだろうというイメージだったのが、この本に出てくる数学者たちは全くそんな想像と違い、ものすごく人間的で、対話的な人ばかりだった。巨大で複雑な答えのない問題に、自分の持てる能力のすべてを駆使して仮説を立てて挑み、時には仲間と協力して立ち向かっている人たちだった。
    これは、まるっきり、私たちの日々と同じではないだろうか。もしくは、私たち以上の真摯さで、人間らしさを体現しているのではとすら思った。

 紀元前6世紀ごろの哲学者、ピタゴラスは言った。「万物は数である」と。その言葉にしたがえば、人間や、人生などもまた数学なのだ。

 この本を読むと、そのことが、決してネガティブな意味でも冷たいイメージでもなく、深く温かく、希望に満ちた考えにも思えてくる。

 私たちは往々にして、どこで作られ、どこで拾ってきたのかもわからないような勝手なイメージ・先入観にいつの間にかフィルターをかけられていて、実際の物事をちゃんと見えていないことがある。良い本は、そんな私たちに世界の実際を見せ、新たな視野を広げてくれる。この本もまた、そういうたぐいの一冊だと思う。
   「やはり、頭の固い人間に数学はできないな」と、この本を読んでみて思ったが、同時に、数学のできない私の頭を多少なりとも柔らかくしてくれたように思う。見えている世界の解像度が、少し上がったような感覚を覚えた。

 しかし、やはりは数学者、異端の存在であることは間違いないのである。だがその異端がその個性を発揮し、人間らしく生きている有り様、そんな生態を知ることでも、「ああ、世の中こういう生き方もあるんだな」と感じることができるだろう。

    当然のことながら、こんなふうに我々には、まだ知らない、見たことのないものがあるのだ。毎日何も変わらない景色だとしても、いま立っている場所から少し視点を移動できただけで、見えるものは大分変わる。絶望を脱け出すためのドアは、あなたの盲点の中にあるかもしれない。


 最後に、少し引用を。

「数学者って、数学に対して『美しい』という表現を使いますよね」
「ああ、はい。はい」
 顔には出ていなかったが、だいぶお酒の入った千葉先生は頷く。
「それって特別な表現だな、という話をしていて。千葉先生の場合は、数学以外にはどんなものに『美しい』という表現を使いますか?」
 しばらく考えてから、千葉先生は真顔で答えてくれた。
「妻ですね。うん、数学と、妻だけですね。『美しい』は・・・・・・うん」
     (中略)
 僕の中でも何かがひもとけた気がした。
 ただ好きだから向かい合うもの。美しいもの。そんな存在と一緒に人生を送っていけることは、確かに幸福に違いない。



繰り返しになるが、ピタゴラスによれば、「万物は数」であるらしい。



(終わり)



最後まで読んでくれてありがとう。 無職ですが、貯金には回さないと思います😊