2023(令和五)年4月「最初の者にして、最後の者」
私小説『地球学徒の日記』
2023(令和五)年4月「最初の者にして、最後の者」
約3年間も続いたパンデミック(最早「バイオハザード」と呼んだほうが良いのでは、とも思います)が、完全な終息ではなくとも一つの区切りを迎え、世間に活気が戻りつつある春。新年度を迎えた4月と言えば、花見の季節です。私達も、幼馴染みのメグミ、姉のヒジリと共に、お花見に出掛けていました。
「わあ…綺麗な桜だね!」
私と腕を組みながら、夜桜を見上げるメグミさん。
「幼い頃、ここのスーパーマーケットに週末、家族で買い物しに来ていたな…懐かしい」
メグミの隣で、この場所の記憶を思い出す私。
「そうですね…お買い物の帰りに、あなたが好きな飲み物を、帰り道の自動販売機で買ってあげたりもしていましたね」
そして、弟妹に与えた愛を決して忘れないヒジリお姉ちゃん。
「あー、そんな事もあった!」
ところで、お花見という行事は、いつ頃に始まったのでしょうか? それは、宗教史と関わりがあります。
「お花見の中心は、卯月(4月)八日の花祭だけど、これは御釈迦様のお誕生日である『灌仏会』なんだよ」
釈尊(釈迦牟尼世尊ゴータマ仏陀)の誕生日は、紀元前463年頃の4月8日と考えられています。そして、その誕生日を花と共に祝う行事がインドで始まり、中華・日本でも7世紀頃から灌仏会が普及しました。7世紀と言えば…中華は隋帝国、日本は飛鳥時代ですね。
但し、この「卯月八日」は、江戸時代まで使われていた旧暦(太陰太陽暦)の日付であり、現在のグレゴリウス太陽暦に換算すると、卯月八日は5月になります。よって「桜を中心とする花見」と「寺院での灌仏会」を同じ時期に開催し、それを「花祭」と呼ぶようになったのは、明治時代になってからだと思われます。
そんな花祭と同じ頃、西洋(ヨーロッパ・アメリカ・オセアニア)を中心とするキリスト教会では復活祭が祝われます。釈尊降誕から五百年後の、紀元後30年頃の出来事です。復活祭は「春分(3月20・21日)後の満月後の日曜」という事になっているので、復活祭の日付は、年度によって3月21日~4月25日の間で変化します。
「今年は、花祭の翌日(4月9日)が復活祭でしたね。縁起の良い週末、とでも言えましょうか」
良くも悪くも「お祭り騒ぎ」が好きな日本人にとっても、そして歴史や文化を学ぶ者にとっても、今年の花見は、有意義な週末であったようですね。
「東洋と西洋、色々な文化を持つ人々が、仲良く共生できる世界を創りたいね!」
「ここ数年は、本当に大変な世相だった…今年こそは、平和になって欲しいな…」
因みに、この馬込町の桜並木には、かつて内川という河川が流れていたそうです。馬込は、多くの坂道が複雑に入り組む「谷」地形であり、その谷に雨や地下水が流れ続ければ、水に削られて谷が深くなり、深くなった谷には更に多くの水が流れ込み、そうして川が出来上がるわけです。更に数千年前の縄文時代、馬込は東京(江戸)湾の海水が入り込む、海の入江だったそうです。この世界も、そして私達の郷土も、永い歴史の中で創られた景観であり、過去・現在から未来へと、変化しながら受け継がれる時空間なのです。
「大正・昭和時代の馬込町は、多くの作家が訪れ『馬込文士村』と呼ばれていたそうだ。あの有名な文豪も、この辺りを歩いていたのかも…?」
私達は、歴史に名を残すような文豪の足元には及びませんが、それでも…こうして日記を書き、写真を撮り、創りたい作品を創る、広い意味での文芸作家でありたいと思います。
「例え世界遺産のような特別な場所でなくとも、こうして悠久の時を辿り、自らの思い出を刻めば、そこはその人にとって、忘れられない特別な場所になりますね」
そんな思いを巡らし、語り合う花見の季節でした。
その後、私達の郷土である大森・蒲田(大田区)の街では、新しい区長・議員を決めるための選挙が行われました。区内の駅を繋ぎ、その路線を更に区外の都市へと延ばす「蒲田新空港線」を、税金で建設するべきか…などの争点が議論されました。その選挙が終わる頃には、お待ちかねの連休週間が近付いて来ます。
連休を間近に控えた平日の放課後、アイドル御宅な後輩のネネカさんと夜まで遊び、そのまま彼女と共に、動画配信サイトを視聴していました。
「私みたいな女の子と、夜遅くまで同じ部屋の中って…緊張しますか、先輩?」
「もう、からかわないでよ」
そんな会話を交わしながら、動画サイトを観ていると、アイドル歌手の卵のような配信活動ライバー達が、若者に流行りの歌をカバーしたPVが流れていました。
「ねえ、このライバーさんって超絶、可愛くないですか? 神っぽいわ~!」
左目が青色、右目が黄色のオッドアイを持つ、赤髪のライバーさんが「歌ってみた動画」を投稿していました。その曲を二人で聴いていた時、ネネカさんの携帯電話に通知アラートが届きました。
「あ…!」
「誰、特別な相手?」
「まあ、特別と言えば特別ですね。私が推しているライバー様から、私宛に直接メッセージが届きました!」
「あー、それは嬉しいね。どんな内容? あ、嫌なら無理に言わなくても良いけど」
「イベントのお誘い! 今度の連休に、東京のイベントに出演するんだって!」
「何曜日?」
「今回は二日間あって、一日目は、連休初日の池袋。二日目は、最終日に浅草のほうですって。折角の機会だし、先輩も一緒に来ませんか?」
「そうだね、一緒に行こう!」
4月29日(土曜)豊島区 池袋副都心
昭和天皇誕生日にして、連休週間の初日。私達は池袋駅(西巣鴨町)に向かいました。この辺りは、地学的には「武蔵野台地」の「豊島台」と呼ばれる地形で、約6万年前の氷河時代(ウルム最終氷期)に造られた台地です。今は、こうして大勢の人々が訪れる池袋ですが、この豊島台地が造られた頃には、まだ「日本人」は住んでいなかった(居たとしても、私達とは異なる旧人類ではないか)と考えられています。
「あ、ネネカちゃん・先輩!」
もう一人の後輩で、普段は西日本に住んでいるサギハラさんも、連休という事で東京に来てくれました。
「サギハラちゃん、来てくれてありがとう! 久々の賑やかな連休、いっぱい楽しもうね!」
「じゃあ、行こうか。池袋の会場は、サンシャインシティ―の近くだよね」
こうして、池袋のイベント会場に到着。初日は、ライバーさんとファン達が、写真撮影やグッズ売買を楽しむ交流会でした。普段は配信画面の向こうにしか居ないライバーさんと、今日は直接会話できるという事で、熱心な信者…もといファン達が結集していました。
「あれ、ネネカちゃんが推してるK様は、どこ…?」
「K様は、スタッフが休憩中に飲むためのジンジャーエールを買い出しに行って、そのまま行方不明らしいわ…折角、御本人からお誘い頂いたのに私、なんのためにここまで来たのかしら…」
「K様って、ドジっ子なんだね。じゃあ、あたしはAちゃんとチェキ撮って来るね!」
サギハラさんが眼を向けた先では、可愛らしいメイド服を着た主催ライバーさんが、ファン達との記念写真を何枚も撮っていました。今や写真と言えば、デジカメや携帯電話で撮影する人が多い平成・令和時代ですが、アイドルのイベントやメイドカフェでは、撮影後すぐに現像・印刷できるインスタントカメラ(通称チェキ)が、今も現役で使われているのですね。
「…アキラ君、ありがとね。じゃあ次は…サギハラちゃん、お待たせ!」
「は…はい! Aちゃん、初めまして!」
「サギハラちゃん。いつも配信や動画を観てくれて、ありがとね!」
「え、あたしの事…覚えてくれているんですか!?」
「もちろん認知してるよ! チェキのポーズ、どんな感じが良い?」
「ありがとう御座います! え…じゃあ、えーっと…」
この日、ここで撮影された記念写真のポーズは「互いの指を合わせてハートを作る」「顎をクイッとする」「頭を撫でる」「土下座する・させる」など。そして、最後に全員で撮った集合写真は…。
「な…なぜ私まで、頭を下げなければならないのか…」
「K様ぁ…ジンジャーエールを探すのは諦めて、早く帰って来て下さい…!」
「まあ、いいじゃない。最後の一枚を撮るから、二人も準備して!」
今日の交流会を締め括る集合写真として、参加者全員が、何故か主催ライバーさんに土下座している「記念写真」が撮影され、公式SNSにアップロードされました(一体、我々は何をやらかしたのでしょうか…)。交流会の後、私達は池袋のメイドカフェ2軒に寄り、素敵な夕食とデザートの時間を楽しみました。
5月7日(日曜)浅草(台東区)浅草橋
そして、連休の最終日。二つの河川(西から神田川、北から隅田川)が合流する地点の北東にある浅草橋で、主催者の誕生日を祝うライブコンサートが開催され、皆で見に行きました。出演者だけでなく、イベントでの声援を解禁されたお客さん達も元気で、何故か「パンダの覆面」を被っている人もいらっしゃいました。
終演後、連休の思い出を語り合いながら、駅前の店で頂いたラーメンと御飯は、格別に美味しかったです。帰りの列車の中で、隣に座っているサギハラさんと、一つのイヤホンを片耳ずつ分け合い、一緒に動画を視聴していました。そこで彼女は、ネネカさんが推している人と同じくらい可愛く、それでいて、より大人っぽい雰囲気のライバーさんを紹介してくれました。
「連休が終わっても…あたし達の『推し事』は始まったばかりですね、先輩!」
✙
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?