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「時間泥棒」とカメラ

 灰色の男たちが、いかに人間が時間を無駄にしているのかを人々に説明する。節約した時間を彼らが運営する『時間貯蓄銀行』に預けるといい。そうしたら預けた時間に利子を乗せて支払う、という。
 人びとは彼らの口車に乗せられて、時間を預けるようになる。
 すると、人々は、時間を無駄にしたくないとイライラしながら働くようになる。預けたはずの時間は、結局……。



 私たちの暮らしは、ずいぶんと便利になりました。
 僕自身が生まれてからの変遷で見ても、車もテレビも、台所用品にしても、非常に便利です。
 一番は洗濯機でしょうか。我が家は二層式の洗濯機がまだ活躍していました。それが全自動になってから、いちいち衣類を脱水機にかけなくてよくなりました。
 それからお風呂。幼児のころ、我が家のお風呂はまだ五右衛門風呂でした。それから家を建て直して、お湯が出る風呂になり、ずいぶん楽になったものでしたが、それでもまだ、薪で風呂を沸かしていました。中学生のころは、風呂を沸かすことが仕事だったものです(ですので、火をおこすのは得意です)。
 今、風呂は全自動。ぽちっとすれば、お湯をはってくれ、保温もしてくれる。いやあ、楽になったものです。お風呂が沸くまで、ごろごろしていればいいんですから。
 いや、今、家には食洗器もあるんですよ。僕は予洗いも必要だし、そもそも洗うのに時間のかかる機械なんぞいらない(レストランのそれとは仕組みが違う)と思ったのですが、いざ、導入してみると本当に便利なものですね。高温で洗うから、殺菌の意味でもいい。機械が洗ってくれている間、僕らはすやすや眠っていればいいわけです。

 ところが、どうでしょう。お風呂が沸くまでごろごろなんてできません。
 食洗器が動き始めるまで、つまり深夜になっても仕事していたりということもたまーにあります。
 洗濯機が動いている間に、のんびりしている、なんてこともない。

 ふと思うのです。今の状態で、僕が家の電化製品関係が、子供のころのものに戻ったら、生活はまわるのだろうか、と。いや、おふくろが若いころの家だったらさらにどうだろう。飯を炊くにしても、下手すりゃまだ竈ですよ。
 いやあ、便利になったな……いや、便利になったから、寧ろ忙しくなったのではないか、そう思ったりするのです。

 この記事の最初に描いた「時間泥棒」たちの話はミヒャエル・エンデの「モモ」という作品です。ここ最近、とみにこの話を思い出します。
 我が職場は、今、どんどんIT化している最中なのですが、なんだか余計に仕事が増えているような気がします。一方で手仕事的な作業について、どんどんその能力を失っているような気もします。
 この流れは止めるわけにはいかないもの。でも、その結果として、失っていくスキルが、あまりに大きいような気がしているのです。
 「昔は良かった」的なものでしょう? それって。と言われそうですし、実際そうだと思います。時代についていけない人の愚痴です。けれども、うーむ、愚痴だと片付けるにはちょいと重いな、と。時代が変わろうと、変えてはならないものってあるのではないでしょうか。

 さて、仕事の愚痴……?はこのくらいにしておいて。

 80年代だとか、90年代はじめのころの漫画には、ボタンひとつでいろんなことができる、という世界が描かれています。パッと料理が出たり、明かりがついたり、まさに素晴らしい世界。そして現在、形は違えど、ボタンひとつでいろんなことができるようになってきました。いや、ボタンどころか、声で操作ができたりもする。

 カメラもまたそんな発展をしてきました。カメラの歴史は自動化の歴史です。ボタンを押すだけで狙った通りの写真が撮れる、それが目指すところなのではないかと思います。
 しかし、その一方で、置いていかれるものがあるようにも思うわけです。
 それは、良いものを、自分で操作する、と言う楽しみです。

 写真機は写真がきちんと撮れてナンボなものです。いい写真が撮れなきゃダメ。けれども一方で、カメラという機械を扱う楽しみもあるのです。レコードの針を落とす振る舞いとか、マニュアルの車を乗りこなす楽しみとか、それに通じるものですよね。あらゆるところが自動化していくカメラでも、そうした楽しみはあります。絞りを、シャッタースピードを、つまり写真の根幹をなす部分を、自分で設定しなくてはならないということは、たとえそれがボタンひとつダイヤルひとつでなされたとしても、機械を扱っているという実感を持たせてくれることでしょう。それをよりアナログなカタチでやらなくてはならないカメラ、つまり昔のフィルムカメラなんかは、より一層、自分の機械を自分でいじっているという快感に変わっていくのではないかと思います(だからそれが煩雑で嫌だという人もいて然りだと思います)。

 そうした写りに関わるところをスマホのようにボタンひとつで全てやってくれるのは、自分が狙う理想の一枚がどんなものかをわからなくさせることもあるのではないかと思ったりもするのです。

 ボタンを押すだけで狙った通りの写真が撮れる、これは確かに理想です。だけれど、ボタンを押すだけ、自身の手仕事を減らしていくうちに、自分が狙った理想の写真って、そもそも何なのか分からなくなることもあるのではないでしょうか。つまり写真することがつまらないものになってしまう。コンピュータが生み出した「こんなの好きでしょ?」という写真ばかりになってしまう。
 「手仕事幻想」だと言われればそれまでですが、いやスマホで撮った写真だって、映えさせるにはそれなりの手仕事と工夫が必要なわけです。そういう作業があってこそ、私たちは、考えるということを実践し、ものの良し悪しを肌で覚えていくのだと思っています。


 一方で、その作業が複雑過ぎてもダメな気がします。
 昨今のカメラはいろんなことができるようになってきました。設定する項目が多くなり、正直ついていけないなあ、と感じるところもある。X-T5はX-pro2より複雑になっていて、いじっているうちに何が正解か分からなくなることもしばしば。もちろんそんなのいじらなくてもいいし、それらを触って変化を確かめてみるのも面白いものです。しかし、そうしたどんどん複雑になっていく機能を覚えようとして、肝心な写真そのものの良し悪しより、その機能を全面に出した一枚に満足しちゃう、なんてこともありうるかも知れません。

 時間泥棒が奪って行った時間は、ゆとりといってもいいかも知れません。仕事に遊びに、せこせこ時間を消費している現代人は、この時間泥棒達に時間を預けてしまっているわけです。返ってこないものだとうすうす分かっていながら。だってそうしないと、日々が回らないのだから。せっかく様々な機械のおかげで生まれてくるはずのゆとりを、他の何かに奪われているのです。ボタンひとつで色々できてしまうから、本当に良い暮らしは何か、分からなくなってしまう。色々できてしまうようになってきたから、それを使い回すことに時間を費やしてしまう。

 押せばそれだけで狙った通りのものが撮れる。とても効率的です。でも、写真を撮る行為としてはなんにも面白くはないし、そうしているうちに、考えることを奪われて、自分にとっての好きな写真が何なのか分からなくなる。

 色々機能がある。とても便利だけれど、機能を使うことが目的化されてしまったりする。その機能を使うために鳥を撮る、とか、その色合いを試したいがために、廃墟を撮りにいく、とか。手段の目的化したような写真ばかり撮ってしまう。

 そのどちらも、時間泥棒に時間を預けた人たちの姿のような気がします。理想は自分の撮りたい世界を撮るために、カメラの機能をきちんと取捨選択して使いこなすことであるはずです。そんな意識がある人は、スマホの押せば写るというのでもきっとうまく撮れるでしょう。
 僕の場合は、機材にばかり目が行くと言う点で、手段が目的化した人間なのかもしれません。写真なんざそれこそスマホでも撮れるのだけど、ライカを手にしてから、朝の散歩が楽しみでならない。ライカを使うために写真を撮りに行くのです。おかげで朝早起きになり、いや、なぜか不眠症気味にすらなっています。とんだ本末転倒です。ただ、ありがたいことにこのカメラは、使う人に考えることを求めます。かと言って機能満載で、その機能を使うことに躍起になる、と言うほど複雑多機能でもない。あくまで写真を撮るための基本的なところを考えるようになっている。

 モモは、不思議な能力を持っています。人の悩みを解消する力。でも、それは不思議でもなんでもありません。相手の話をきちんと聞くという能力です。きちんと向かい合うのです。現在、お金だって電子決済となり、音楽もオンラインでダウンロード、直接合わなくても対話が可能で、ノートを取らなくても記録を残せる、あらゆるものが肉体から遠く遠く離れている時代。その方が効率的かつ利便性が高いのは確かです。でも効率化が図られているのに、一向に私たちの暮らしはゆとりがないようにも思います。効率化した分、別の煩雑ななにかに埋められていく。そんなとき、肉体的なものに触れることは、人をほっとさせるのかもしれません。ちゃんと手で動かしているという実感。目に見えるカタチで物事が動いてるという感覚。それらは安心を与えてくれます。人は「土から離れては生きられない」のです。

 言いたいことがまとまっていない気がします。書けば書くほど、自分のなかの矛盾が出てきて、それを補正しようとすると、話がズレていきます。けれど、カメラの自動化が進みよりシンプルになったり、出来ることが増えて複雑になって行くとして、人間の持てるものには心地よいと感じる範囲があると言うことは確かだと思います。そうして僕にはその程度が低い、ただそう言う話なのかもしれません。いまだにクレジットカードすら持っていませんから、ね。

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