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好きな写真家を挙げながら

リンク先で購入可能なところもありますが、アフィリエイト的なアレではございません。パッと見やすいところをリンクさせていただきました。

植田正治


 好きな写真家を挙げるとすれば、まず鳥取の雄、植田正治さんだ。
 砂丘で撮った家族写真がとても好きで、いつか僕もこんなふうに撮りたいと思っている。
 作為的でハイセンスなのに、どこか土着性も感じてしまうのは子どもたちの衣服のせいかも。
 「童暦」もいつか手に入れたい。

 それから、再編集だろうけれど奥様を撮り続けた、その奥様だけの写真集が、なかなかいい。そういえば、子どもと一緒の妻は撮るが、妻を撮ってない。妻だけの写真、もっと撮っていいと思うよ、自分。

細江英公「鎌鼬」

 作為性がある写真集としてもう一つ、舞踏家 土方巽を彼の故郷で撮った細江英公さんの「鎌鼬」
 大学の授業で舞踏が扱われた際に知った。まだ写真を始める前のことだけど、強く惹かれた。
 土方巽が、まるでこの世の人間とはちがう存在としてこの世にいるかのような錯覚を覚えた。

川島小鳥「BABY BABY」

 川島小鳥さんのデビュー写真集。
 女の子がかわいいんだけど、最後あたりはしっかり大人びていて、長年同じ被写体を撮ることの面白さを知った。モデルさんじゃないから普通の女の子って感じが強くていい。
 時折挟まれるスナップ的な風景も味があっていい。むしろ鳩のシーンとか。
 「未来ちゃん」もいい。
 「明星」もいい。特にあの装丁は実物を手にしてもらいたい。

松本典子「野兎の眼」

 これもまた一人の女の子を長く撮り続けた写真集。
 表紙の写真、目がね、ほんとにいいんだ。川島小鳥さんの絵本的な印象とは違って、一人の女の子が結婚、出産するまでが載っていることも含め現実感の強い写真なんだけれど、その現実の中から浮かび上がる幻想があるような気がする。
 東京に仕事で行った際に、気になる写真展はないかなと思って見つけて行った。写真家ご本人がいらっしゃったけれど、声かけることもなく、写真集も手に入れずに帰ったんだけれど、その後、結局手に入れた。

ジョセフ クーデルカ

 やたらと東京出張が多かったころ、美術館によく足を運んだ。普通に東京にいた頃より通った。その中で観たのがジョセフ クーデルカ展だった。
 プラハ侵攻の写真やパノラマも良かったが、初期のころの、煙突がポツンと立っているプリントに今も記憶が残っていて、力強い印象の写真が多いだけに、この消え入りそうな、寂しげなものをどうして撮ったのだろうとそんなことを考えたことも覚えている。あの一枚は良かった。

写真は手軽なアートなんだけど難しい

 アートの分野で、最も人口的に多いのは写真だと思う。県の美展でも出品数が多いのが写真だ。地元の文学賞なんかに出品したこともあるが、多分、その出品数よりも多いのではないか、それくらい写真を楽しんでいる人は多い。

 アートとはもともと技術のことを指すくらいだから、絵にしろ音楽にしろ、演劇にしろ、踊りにしろ、そこには技術と、それを養成するための訓練がいる。
 しかし現代において、写真は、言ってしまえばボタンを押せば写るわけで、浅い意味では誰もが楽しめるアートでもある。だからこと日本においては、どこかその価値を低く見積もられがちのような気がする。特にデジタル主流になって、その傾向はより強まったのではなかろうか。絵のように本物が一枚のみ、というわけではないし、版画にしてもナンバリングされて、管理されていると聞く。写真もそうなんだけど、でもやっぱり日本では絵を買うことより写真を買うことの地位が低いように思う。

 それでも、写真は、その圧倒的なユーザー数がある。その裾野の広さは、いつかまたすごい写真家を生み出す布石にもなる。スマホを入れたら日本国民皆カメラマンだ。その中で、意識的に撮る人が出てきて、その人がとんでもない才能を持っていて、あるいは育てて行けば、すごい写真家を作品を、楽しむチャンスはたくさんあるってことだ。

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