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あなたの標準レンズは何ミリ?


ズミルックス50mm f1.4 asph


 毎回どこかで見かけるこのテーマだが、カタログで見れば50mmか、その辺りのことを指しているにも関わらず、いや、35mmが自分にとっての標準だ、とか、いやー40mmこそしっくりくるよ、とか、鳥を撮るなら200が標準ですよ、という人もあって、標準という言葉がなんとなくブレている感も否めない。

 ただ、そう言う意味合いでの標準であれば、どれが標準でも構わない。先にタイトルの回答をするのであれば、50でも35でも、100でも200でも、自分がそうだと思えばその焦点距離が標準だ、と言ってもいいような気がする。
 あくまでも、カタログ的にそう指すのが便利というだけの話だ。

スピードマスター35mm f0.95

 それにしても何故に標準は50mmとなったのか、いろんな説がある。
 もっとも言われるのが50mmの視野が人間の目と同じくらいだ、というもの。たとえばぼんやり見たときが何ミリとか注視したときは何ミリとか。50mmは注視していないときの視野だと言われている。なんとなくなるほどと思わせる話だけれど、場合によっては50mmは注視したときの人の目と書かれている場合もあって、考えてみると50mmで注視した感じにも撮れるし、広角的にも撮れてしまうわけで、この説は、もう少し何かしらの条件を付け足さないといけない気がする。個人的にも人の目の画角と言われればその点においては納得だが、しかしぼんやり見た感じにも、注視した感じにも、撮り方によっては感じてしまう。
 他には対角線長に由来する、とか、ライカが最初に出したのが50mmだったから、とかあるが、こんなに諸説あるということは、つまり50mmを標準としたのは、その時の人間の都合だった、ということなのだと思う。そこに明確な理由がないから、複数の理由が生まれるのだ。
(たとえば、夜に口笛を吹くとどうなる、と教えられただろうか。ヘビが出るとか、泥棒が来るとか色々あったのでは? お盆の頃に川で泳ぐと、何に引っ張られると言われた? 霊に引っ張られる? カッパに? こう言ういい習わしは、ところどころ違いがあるが、共通するところがあって、その点こそが大事な内容だったのだと思う。つまりは盆の頃に川には近づくな、ということである。50mm標準説もそれと似たところがある。色々謂れがあるが、そこは実はどうでもよく、50mmあたりが使いやすかったとか、作りやすかったとかそんなことが事情としてあったのではないだろうか)

ズミクロン50mm f2 2nd

 とはいえ標準と言うレンズの立ち位置、基準ができた故に、そこから画角が広ければ広角と言い、そこから画角が狭ければ望遠と言うふうに区分けすることができた。広角は、さらなる広角になると超広角と呼ばれて、望遠はレンジファインダーの最大望遠が135mmだったのがさらに望遠を作ることができて、135mmあたりまでを中望遠などと呼ぶようになった。そしてさらに300mmを超えると超望遠などと言う。だが、じゃあどこからが超広角で、どこからが中望遠か、ということになると、人によって微妙にズレが生じてしまう。このように、あとから生まれた概念やモノは、広角に超をつけたり、望遠に中をつけるように言葉が増える。言葉が先にあるわけではない。言葉は人間の都合による区分けなのだ。標準レンズを50mmということにした、と言ってそこに理由がない(事情はあるかも知れないが)としても問題はない。

EF50mm f1.2 L

 けれども、あなたにとっての標準って?と聞かれれば、それは個人的な意見であって、定義も何も関係なくなる。定義的に標準レンズは50mmというのがその時の都合で決められたのであれば、個人的標準だって本当に当たり前だが、本当に何ミリであっても構わないし、その理由が個人的なものであっても構わない。

 僕にとっての標準は、ここまでぐだぐだ言いながら結局は50mmだ。ただし、以前は85mmが使いやすかったし、それしか単焦点を持っていなかった。それでもそれ一本でなんでも撮った。x100シリーズを使っていた時は35mmなわけで、やはりそれでなんでも撮った。

 そんなわけで、標準とは何ミリのことを指すのか、考えるのはナンセンスかもしれない。ライカを使う人が35mmと50mmに分かれるように、自分のフィーリングに合う方をそう呼べばいい。繰り返しになるが、そう思う。
 とは言え、個人的にはなんとなくのポイントはある。以下2つだ。

発見した光景を、その場でカメラを構えたとき、いいなと思った構図のとおりに撮れる画角。

ズミルックス50mmf1.4 ASPH だったはず。設定がズミクロンのまんま。

 歩いていて、ふといいなと思う光景を見つけたとき、その光景になんとなく四角いフレームが浮いていると思う。当然、その光景は、「そうではない風景」と繋がっていて、それを切り取るのが写真だ。
 その切り取りが、その光景を発見したその場でほぼぴたりと、自分の思い描いた構図と範囲でできたのなら、その焦点距離は、まさに自身にとっての標準レンズのそれだと言える。
 ただ、当然それは個々人で違うばかりではなく、その人にとっても日によってとか気分によって変わってくる。あるいは撮る場所によっても違うだろう。個人的に街中をスナップしていて、しっくりくるのは、135mmから50mmの焦点距離。以前は35mmも入ってきたが、どうも一歩踏み込むことが最近は多いように思う。
 逆に28mmはそれなりにしっくりきたりするのはスマホの影響なのかな、と思う。

 そのレンズ一本だけで撮影に行けるか

ズミクロン50mmf2 2nd だったはず。

 先のと繋がりがあることではあるが、これもまた僕にとって基準のような気がする。カメラ一台、レンズ一本で歩ける装備。個人的には断然50mmだが、35mmでも、28mmでも、あるいは85mmあたりでも行ける。
 じゃあさらに135mmや21mmだとどうかと言えば、それもやれないことはない。けれども、ふとしたときにもう一本、より望遠か広角かが欲しいと思い始める焦点距離でもある。
つまり、そのレンズ一本だけで歩ける焦点距離というのは、言い換えるともう一本焦点距離違いのレンズが欲しくなるなら、それは標準とは言えない、ということだ。

28mmから90mmが僕にとっての標準レンズだ。

ズミルックス50mm f1.4 ASPH だったと…

 そんなわけで、僕にとっての標準と呼べる範囲は28mmから90mmあたりだ、ということになる。これ、カタログで言えば広角から中望遠の範囲にあたる。こんなので標準レンズは…とか言ってよいものか。でも、たしかに今は、この辺りの焦点距離は、ハッとして立ち止まって、そのままシャッターを切れることも多いし、この辺りの範囲なら、一本だけで撮り歩くのも辛くない。
 ただし、「頻度」と言うのもあって、それで言えばやはり圧倒的に50mmだし、その次にライカ独自の75mmが持ち出しやすい。それから、今だと28mmか。FUJIFILM用に28mm相当のレンズを買ったというのもあるが、スマホで慣らされた画角でもある。そういう意味では、今世間での標準は28mmあたりなのかもしれない。レンズもより広角に、複眼に、となってきたから、そうとも言い切れない状況ではあるけれど。

もう一つ、基準があって(汗)


スピードマスター50mm f0.95


 そんな広い範囲で標準を指すのはナンセンスだと思うので、もう一つライカにハマったからこそ言える標準の基準を書いておく。

 手持ちのレンズの数だ。

 ライカの長い歴史の中で、面白いし恐ろしいのが、昔のレンズでも、そのまま基本的になんらかの制約なしに使えるということだ。つまりはズミクロンでも、沈胴式とかセカンドとか、エルマーとかズマリットだとか、ノクチルックスとか、50mmだけでも多くの選択肢があるということになる。
 もっと言えば、フォクトレンダーなど、サードパーティのレンズもあって、それがさまざまに特徴を持っているため、純正の代替というより、その個性を手に入れると言った感が強い。これはかつてのシグマやタムロン、トキナーのように、純正が買えないからこちらを買うという感じで選ばれていたときの、シャープで解像感があってという一つの価値基準によっての比較にはならないことを示す。だから、ヘリアーがいいな、となったり、ノクトンはいいぞとなったり、ゾナーもなかなか、とか(それらにライカのオマージュがあるとはいえ)レンズを増やしたくなってしまう。
 そうした沼の中で、満遍なく各焦点距離を拡充される方もいるとは思うが、僕は自分のお気に入りの焦点距離のレンズが増えていってしまっている。それがすなわち50mmなのだ。
 どうしても50mmに目が行ってしまう。  50mmそのものが品数が多いからというのもあるのだろうが、それでもやはり増えてしまうのは、その焦点距離が使いやすいからだ。

50mmが標準だから増えるのか、増えるから50mmが標準になったのか。

ヘリアークラシック50mm f1.5 玉ボケにホコリが…

 というわけで、小見出しのような疑問を抱えることになってしまうわけだ。
 僕のカタイ頭のなかでは50mmが標準とされているから、それが増える、という理屈なのだと思っていたが、最初の単焦点は85mmだし、35mmのX100シリーズを使ってきたし、そういうことではないようにも思う。
 けれども、ライカを使ってきて、等倍ファインダーにしたときに最も使いやすいのが50mmだった、ということもあるのかもしれない。ライカM240に1.35倍のマグニファイヤーをつけると、50mmのブライトフレームがちょうどよくファインダー内に浮かび上がってくる。これがいけないのかもしれない。
 だが、Canon一眼レフのときも好んで使っていたのは50mmだし、X-pro2を購入した時も、いちばんに手に入れたのは換算53mmとなるレンズだった。なんとなればx100シリーズでもテレコンが出たとき、すぐに手に入れた。

 だから、標準50mmはやっぱり僕にとっても標準なのだ。そこをあれこれ理屈づけたとしても、結局は、それが使っていて心地いいのである。その心地よさを、説明してみたら、あっと気づいてその場でカメラを構えたらしっくりくる構図になっている、とか、それ一本で出かけられるとか、そんなことになっているだけだ、そう言うしかない。

あなたの標準レンズは何ミリですか?

ズミター5cm f2だったと思う…。

 ここまでうだうだと書いてきたが、結論としてはとっても凡庸なものになってしまった。50mmを標準とした理由は今にしては正確なことは分からないし、色々謂れもあるけれど、そんなことはまあ置いておいて、50mmが標準と決めてしまった方が色々便利だったということはあるのだろうと思う。それはもうそれでいいじゃん、ということにしよう。

 ところで、みなさんにとっての標準レンズは何ミリなのでしょう。好きな画角ではなく、あなたの指標となるレンズです。
 鳥を撮る人、スポーツを撮る人、ポートレートを専門とする人、スナップが好きな人、都市部に暮らす人、地方に暮らす人、人それぞれだと思います。あるいは50mmは50mmと言うのが普通なのかもしれません。もしよければ理由も合わせて教えてもらえたら嬉しいです。
 いや、標準言うたら50mmに決まっているじゃろが!というお叱りを受けるかもしれませんが、そこはまあ、お赦しください。




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