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盲目的な恋と友情

最近読んだ本の話。

少し前、iPhoneの画面をバッキバキに破壊してしまい、心斎橋のアップルストアに修理に出したことがある。その間、約2時間。引くほど暇だった。携帯がないとわたしは電車にも乗れないし、音楽も聴けないし、地図も開けないし、自分がどこにいるのかもわからない。自分でも引いた。アホめ。あんまり知らない道に入ったら、アップルストアに戻ってこれないかも。とか色々考えた結果、本屋で1冊本を買って、カフェで時間を潰した。

どうでもいいけど、前置き長。

その時買ったのが、辻村深月の「盲目的な恋と友情」だった。

もともと辻村深月の作品がすごく好きだった。特に「凍りのくじら」が好きだけど、「スロウハイツの神様」も「ぼくのメジャースプーン」も大好きだった。だから特に迷わずに最初に辻村深月の本を探していた。なるべく薄いやつ。

あんまり読書をする方ではないのに、好きになると買うだけ買ってしまって家に積んであることもある。だから、家にない本を。特に悩まずパッと買った。

カフェで頼んだのは、もう名前も忘れたけどやたらキラキラした炭酸の効いたティーソーダだった。たぶん。なんかいろんなフルーツが沈んでた。すごい美味しかったけど、本と相性悪いな、と読み始めてすぐに思った。ブラックコーヒーにすればよかった。

前置きだけじゃないな。どうでもいい話が長いわ。

わたしの好きな本には共通点がある。

「主人公がどうにも生きづらそうな人」。

これ。

「凍りのくじら」の理帆子なんてまさにそうだけど、「盲目的な恋と友情」の蘭花も留利絵も。3人とも、社会から見るとそんなに生きづらい立ち位置にいないはずなのに、なぜか窮屈そうで、息苦しそうに生きている。どうしてわざわざそのポジションに行っちゃうの、とため息が出そうになるのに、息苦しい場所で生きている。

だから、この本も、わたしはすごく好きだった。

人の心はどうにもならない。
その現実が、痛いほど描かれている。
どうしてこんなにうまくいかないんだろう。

もちろん、カフェで過ごした2時間では読みきれなかった。iPhoneを手に入れた私は、それからしばらく本のことを忘れる。こういうところが自分の嫌いなところではあるけど。1ヶ月くらい、読みかけのまま封印してしまった。

久しぶりに続きを読んだら、信じられないほど取り込まれてしまって、あっという間に読み終わった。

蘭花も、留利絵も、あまりにも、盲目。
ああ、星近も、たぶん美波も。
でも、人ってそういうものなんだと思う。

自分の世界の主人公は、自分。自分の思考で頭がいっぱいになる。自分を取り巻く人のことでいっぱいになる。誰ことも傷つけたくない。それでも自分の中に明確な順位がある。抗えない。

自分にとって「1番大切な人」がいる。だけど、その人にとっての1番が自分とは限らない。

それだけのことを、私たちは忘れがちだ。

「選ばれる人生がよかった」という言葉が、作中に出てくる。

読んだ瞬間に、現実が目の前にやってくるような気がした。誰だってどこかで思っている。

留利絵の選択は、間違っているものが多い。考え方だって、第三者目線で、ストーリーを読んでいる側として冷静に読み解けば、「間違ってる」と思う。心の底から思う。留利絵の生き方は、苦しい。留利絵の選択は、間違っている。なのに、共感してしまう。私だって、自分にとって大切なあの人の、大切な人でいたい。1番で、居たい。

気持ちのいいストーリーではない。
美しくてなんでも持っているように見える、のに、生きづらい蘭花も。間違っているのに正しいと思い込む留利絵も。傲慢で、勝手で、だけど美しい星近も。登場人物はみんな「ただのいい人」じゃない。だけど、人間らしい。憎たらしくて、人間らしい。

嫌いな人はたぶん嫌いだけど、私はすごく好きだった。人間らしい、愛おしくない、だけど、恨めない。

盲目的な恋と友情。

このタイトルにぴったりの、あんまりにも盲目すぎる5年間。興味のある方は、ぜひ。

てか、本題も、長いな。読みづらそ。


#読書感想文 #日記 #本 #辻村深月

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