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コップからあふれた言葉たち

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生きづらさを抱えながら生きている日々に感じたことや考えたことのエッセイをまとめています。
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#最近の気づき

過干渉な親から学んだ「人間関係を良好にする」コミュニケーション方法

わたしの親は干渉がすごい。 それでも昔よりはだいぶマシになったのだけれど。 干渉というよりは、指示や命令が多い、という表現になるんだろうか。もしかしたら、同じことかもしれない。 「ダメ」「あーしなさい、こーしなさい」「〜はやめて」などなど。 ひとつひとつは、別にめくじらを立てるほどでもない、小さなこと。それでも、数十年間のチリツモはもうエベレスト級にまで積み重なってしまっている。 干渉したい親の気持ちは理解できないわけじゃない。ただ、百歩譲って「話すタイミング」「順番

メンヘラ女子が、不安癖を克服するためにやろうと思っていること

いろんなことを考えている。 「不安が強いようにお見受けします」とメンタルクリニックの先生に言われてから、なんだかんだで4ヶ月以上。 その当初は「は?そういう話じゃなくてさ」と思っていたんだけれど。 最近になって、先生の言ってくださったことの意味がわかるようになった。 「つむってさ。不安になることないときでも、あえて自分から不安になる要素とか心配になる要素を探しにいって、それで疑心暗鬼になったり、不安になったりするところがあるような気がするなぁ」 彼氏とのことで、友達に

時代の先駆者の孤独に想いを馳せる

少し前、女性の先輩と友達の中間くらいの関係の人と仕事関連の話でランチをした。 どうでもいい話なんだけれど、そのくらいの間柄の関係って、なんで名前をつければいいんだろう?知り合いよりは近くて、でも親友って類の友達よりは距離があって。そういう関係を、一般論的に人は「友達」と呼んでるんだろうか?仲良くしてもらってる人?長いな、、、 多分だけど、わたしの中の「友達」の定義と世間一般の「友達」の定義って違うのかもしれない。わたしにとって「友達=親友」の感覚がある。(正確には=ではな

うつの回復期こそ、継続が大切っていう話

10月のはじめの方に、「9月を振り返り返りながら、10月を決めてみる」という記事を書いていた。 その中で、10月に継続してやりたいことと、追加してやりたいことを以下のように書き出していた。 まだ10月は終わっていないので、改めて11月になってからこの1ヶ月の振り返りと11月をどういう風に過ごしていきたいかは記事にしようと思っているんだけれど。 現状、 ・モーニングノート ・毎日note ・この数年で経験したことを発信したい想い(起業とか?)に向き合ってみる この3つ

アーティスト性を活かして仕事をしていく

先日、noteで「仕事のやり方における資質の3タイプ」という興味深い記事を見つけた。 この記事の中では、仕事への取り組み方において人は 事業家タイプ サポータータイプ アーティストタイプ の3つの資質(生まれもった個性)のどれかに当てはまるのだそうだ。 詳細はこの記事を読んでいただければと思うのだけれど、わたしはまごうことなきアーティストタイプの人間だ。 もう、この部分とか、本当にそう。 言い方悪くなんかありません!水中で泳ぎ続けていないと死んでしまうマグロです。ま

人生を変える深い気づき

ふと、理解した。 そうか、そういうことか。 わたしは幼少期から「生きるとはなんなのか」「人はなぜ生きているのか」「この宇宙はなんで存在するんだろうか」と問い続けてきた。 でも、それは自分自身で答えを見つけていきたいだけなのに、別に道に迷っているわけではないのに、(いや正確には迷っていると思い込んでいたんだけれども)周囲の年上の人や権威者たちは、わたしに「そうか、お前は答えがわからないんだな。じゃあ、答えを教えてやろう」とばかりに上から色んなことを “教えて” きていた。

誰しも、ふとした瞬間、誰かにとっての天使になれる

まったく知らない他人との、ふわりと一瞬だけつながったときに紡がれる、ふとした会話が好きだ。 例えば、バスで偶然となりに座った、おばあちゃん。 例えば、偶然とおりすがった犬のお散歩中の、お姉さん。 例えば、ふと入ったコンビニでおでんのおかずを一個おまけしてくれた店長さん。 例えば、道に迷ったときに丁寧に気さくに行き先を教えてくれた、ショップの店員のお兄さん。 一瞬のことなのだ。 それは、「いってらっしゃい」という一言かもしれない。 言葉ではない、「これどうぞ」という行為や

人いちばん繊細な人の「自分らしさ」の見つけ方

「自分らしさ」ってなんだろうっていつも思っていた。 わたしは人やもののエネルギーにとても敏感だから、SNSで発信している人やnoteの記事、本や映画なんかでも、その "もの" がもっているエネルギーに知らないあいだに溶けこんじゃって一時的に「その人化」してしまうところがあるなあって、ふと気づいた。 これも、HSPだからこその共感性の高さや受容力の高さからくるものなんだろうか。 わからないけれど、自分の目に触れさせる情報には、ちゃんと注意を向けていないとなあって思った。

「深く考える」は当たり前じゃないという気づき

最近、HSPという言葉をそもそも提唱したエレイン・アーロン博士の原著の和訳を読みはじめた。驚いたのは、HSPという言葉がこれだけ流行っているにも関わらず、彼女自身の原著が和訳されたのはごく最近のことだということ。 世間のHSPに対して感じる違和感のようなものについては、もう少し余力があるときにでも書いてみたいと思うんだけれど。最近では、誰でも彼でも「わたし繊細さんなんです」って言うようになったなーって感じていて。そして、そういう人の多くに対して(もちろん全員じゃない)「本当

子育ての正解を手放した

このnoteは、誰のためでもなく、自分のために、ちゃんとその時々の想いや言葉を綴る場所、わたしのこの先の見えない道の一歩一歩の記録の場所。そんな想いで、書いている。 だから、今日も。 ちょっと怖いけれど。 ちゃんと自分の正直な気持ちを、書いていこうと思う。 正直、もう分からないってなってる。 それが、今の、すべて。 数日前、落ち込むことがあった。相手に悪気はきっとなかったんだけれど、その言葉たちは、今のわたしにとっていちばん脆くて柔い部分を直球で突き抜いた。ガンッとメン

美容院での気づき

美容院難民だったわたしが、はじめて「この人は信頼できる!この人にならすべてお任せしていい!」って思えた美容師さんに出会った。まさに運命の出会いだった。 思いつきで当日予約して入った美容院。 鏡の前に座り、簡単なカウンセリングがはじまる。 わたしの髪質や過去のブリーチや染色歴などを聞かれ、どんな風な髪型にしたいのかを丁寧に聞かれた。 わたしはその日、髪の毛をすいてもらって、毛先のダメージ部分を少しカットしてもらうつもりで来店していた。 長期的には髪の毛を胸下ロングまで伸

「やりたいけど、時間がない」の本当のところ

最近、自分を磨いていこうと鏡に映る自分を見て思った。 鏡を見たときに「今のわたしが、わたしは好き!」って思える自分でいたい。 それは、内面的な部分でもそうだし、外見的な部分でもそうだ。 シンママだからとか、子育てで大変だからとか、給料がとか、そういうのは言い訳だなって思ったの。シンママでも、子育てが大変でも、給料が安くても、なにかしら自分でやっていけることっていうのは必ずある。 自分を大切にする、自分を磨くっていうのは必ずしもお金をかけないとできないことじゃない。 例

HSCの癇癪とパニック障害の愛し方

突然だけれど、わたしの子どもはHSCだ。 非常に繊細で、敏感。かつ、年齢+4〜5歳程度の知能をもっている。 そんな彼女の癇癪に、過去2年間悩まされていた。 ほんの些細なことや、理由のよくわからないことで怒鳴り始め、泣き叫び、抱っこも拒否するし、すべてを拒否して1時間でも2時間でも叫び続ける。叫びすぎて、涙とよだれでぐちゃぐちゃになって、吐いてしまうこともあった。 どうしていいかわからないし、こっちもずっと子どもの全力の絶叫を聞かせら続けて、精神がやられる。わたしが鬱になっ

鬱になれる、鬱で寝込んでられるって、ある意味すごく恵まれててラグジュアリーなことなんだよな。そんなことを最近思うよ。マジで頼れる人誰1人おらんかったら、餓死するか、無理にでも動くしかない。だから。自分は恵まれてるんや。四面楚歌に感じたとて。恵まれてることを忘れるな。