大学を卒業できない夢を見る
口が渇き、喉の奥が痛い。
じっとりと、全身が汗ばんでいる。
みぞおちのあたりをぎゅーっと押し込まれるような感覚の中、これが夢だとわかる瞬間まで、ぼーっと目を見開く。なんど同じ夢を見れば良いのだろうか。
舞台は決まって大学。シチュエーションは様々だが、卒論の最終発表をしている時に戻されることが多い。なぜ毎回大学なのだろうか。日本の新卒信仰と、1度踏みはずとなかなか戻れないという現実を私が感じてきたからであろう……
1番よく見る夢はと聞かれたら、それだ。タイミングはいつも、将来の不安や環境変化が起きる時、つまり、転職に関係することが多い。
今もまさにそうだ。
どの性格診断テストを行なっても、不安に関しては感じやすい傾向があると分かった。過去を振り返っても、そうだなと思うところも多い。
診断することで、自分の特性をある1つの型にはめることで、少しばかり安心できる。けれど、人間のアイデンティティは1元的なものなのだろうか。
私の好きな作家の、平野啓一郎さんが言説しているのが分人主義だ。ざっくり解説すると、個人は1つの個として存在するのではなく、他者との関わりで生じた分人の集合として存在する。
噛み砕くと、高校の友達、家族、会社、行きつけの店など、異なる環境で関わった他人と築き上げる分人が、私という個人を作り上げているという。
ある方が亡くなった時、亡くなった事実として悲しいと思うのと同時に、その人との間に生じた自らの分人を2度と生きることができなくなる悲しみがあるとの説明に、ものすごく納得したのを覚えている。
本も出ているので、ぜひ読んでみてほしい。
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1ヶ月前に不安に思っていたことは、今もそうなのかと聞かれると、案外そう思わない。
「何をやっても、私の特性として、結局不安に思うのであることは仕方のない事だ。」
と、自己認知と受容を繰り返していく。
あらかじめ不安に思うことが分かっていれば、「ああ、いつもの私の癖だな」と、悩み苦しむ状態から早く逃れられ、1歩進むことができる。そういう自分に出会えたのも、30歳を過ぎてからも自分と向き合ってきた結果だろう。
不安に思う私も居てもいいし、
何も考えずに行動する自分も居てもいい。
ただ、誰と一緒にいる時に生じた分人が好きなのか、その好きな自分を生きたいかどうかは自分で選んで、生きたい。
over.
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