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2024年、プライド月間だから書いてみる

2024年に入り、自分が若者の居場所を始めることにしてから、自分の内側のことを再度扱うタイミングになったようで、自分の人生にある”当事者性”みたいなものを棚卸ししている感のある、この数ヶ月。

自分がこれから生きづらさを抱える若者に関わろうとしているからには、子ども時代からの自分のことを改めて自覚し直したい、と意識的に思っていたからでもあるし、いつの間にか無意識のうちに確認していたようでもある。

気づいたこと、浮かび上がってきたことが色々とあって、結構”苦しい”時期があり、自分だけではどうしようもない、スピリチュアルなところの助けが必要だったプロセスでもあった。

そんな中、6月はLGBTQ+の権利を啓発するPride Month(プライド月間)とのことで。
いい機会なので、わたしに関わる、そのトピックでの当事者としての振り返りをしてみようと、思い立つ。

プライド月間(Pride Month)とは?
https://jobrainbow.jp/magazine/pride-month

しかし、いざ書こうと思ってから書き進めるのには、どこまでどんな風に書くのがいいのかと考えてしまって、なかなか手が付けられなかったトピックである。

結論を先に書いてしまうと、3つある。

1.できる限り子どものうちに、様々なジェンダーやセクシャリティの人たちと触れておくことは確実に、人生を豊かにしてくれる、と私は感じていること。

2.自分のジェンダーとセクシャリティにあえてカテゴリーをあてるとしたら、ノンバイナリーとパンセクシュアルであるらしいこと。

3.あなたがどんなジェンダー、どんなセクシャリティであろうとも、そのままを受け止め認めてくれる人は、きっといる、ということ。

この3つに至ったのは、当然ながらわたしの幼少期からこれまでの体験からの感覚で、思い返せることを書いてみようと思う。

一番幼い時の記憶として、たぶん幼稚園に入る前くらいの頃、当時の私はマッチこと近藤真彦氏が好きで、マッチみたいになりたくて「オレ、マッチ!」なんて言いながらマネをしていた光景の記憶がある。
今でも持っている「男性に生まれたかった」感覚は多分その頃からあったものだろうと思う。

この「男に生まれたかった」感覚がなんなのか未だに謎ではあるのだけれど、どうやら母のお腹の中にいたときに私が相当元気のいい暴れん坊だったそうで、
男に違いないと思われていたのに女だった、という経緯を親から聞いていたからこその後付けなのか、どうなのか。

男に生まれたかった、もっと細かく言えば、男性の体で生まれたかったような感覚を全身で感じた体験を40代に入った頃にしていて、
ブレスワークというワークの中で仲間の男性とペアを組んでストレッチをしている時に突然、ブワッと、
「なぜ自分は男で生まれなかったのか?」と潜在意識からの後悔みたいな悲しみみたいなものがこみ上げてきて、しばらく涙が止まらなかった、なんてことがあった。本当に不思議な体験。

そんな風に、性別違和と言われるような「なんかしっくりこない」感覚はずっとあって、
男性への憧れは、「自分もこうなりたかった」という意識が働く時に感じることがある。
そういう一風変わった形で、男性が羨ましいと思う事があるけれども、とはいえ、ありがたいことに、自分が女性であることが「弱者」であると感じるようなことはない人生を送らせてもらってきたから、女性じゃないほうがよかった、という意味ではない。

他には、男女関係について周りの話を聞いていると、男性側の感覚のほうが自分には近いらしいと感じることが多い。
だからなのか、子どもや若者周辺の社会課題では、男性側の困りごとに対して気にかかる。

その原体験として、自分と「女性」との違いを感じた強烈な体験が幼稚園生の時にあって、ある時、女子数名が取った行動があまりに「女子らしい」ものだったために、その歳で「女って怖いな…」と感じてしまったのだった。
あのときの怖さは今でも忘れられない。
それ以降も、子どもの頃に感じた女性の感情面特有の出来事を目の前にしていきながら、自分にもそういうところがあるのかもしれない、と思うことが怖くなったりもした。

そんなこんなで、いつしか、自分の在り方に「中庸」という言葉が置かれるようになった。

冒頭に、様々なジェンダーやセクシャリティの人たちと触れておくことは確実に人生を豊かにしてくれる、と書いたのは、私が10歳頃に初めて出会った、外国人のゲイのお兄さんとの家族ぐるみの交流からきている。

彼がゲイかどうかは、彼が私達家族に向けてくれた心からの親愛の情を左右するものではなかったし、
愛せる人がいることにジェンダーやセクシャリティは関係がないことを教えてくれた。同時に、マイノリティの孤独や寂しさも。

私の実家に母が外国人の友人たちを招いてくれていたことと、父の仕事が外国とのやり取りがあったおかげで、
子ども時代に色んな国の色んな価値観の人たちと関わらせてもらい、そのおかげで
「人間みんなおんなじ」という感覚を持たせてもらったのは、わたしの最大の財産だと思っている。

中庸だったり、人間みんなおんなじ、という感覚を持っていたせいかもしれないが、とにかく子ども時代から若い頃のわたしは、女性らしさからは縁遠く、
中学生の時は女子校だったのをいいことに、自分のことをオレと読んでいたし、当時流行っていたメンズファッション誌を見ながら、メンズの服を買ってもらって着ていたりもした。
そんな私のそういう行動を周りが止めないでいてくれたのは、とてもありがたいことだった。

そんな風だったので、恋愛というものからも縁遠く、30歳でお見合い結婚をするまでの間、一度も誰ともお付き合いをしたことがなかったというのは、かなりレアな人生だと思う。

その後、自分の未熟さから33歳で離婚をして、自分らしさを探究するプロセスがやっと始まり、
自分にとっては体の性別も心の性別も関係がないことを認められる機会が増えていった。

同時に、時代の流れで、LGBTQ+に関する社会での認識が広がり、自分のことをどうカテゴライズするのか?といった情報が増え、
最近では、有名な芸能人がノンバイナリー(Xジェンダー)であることを自らインタビューで語ったりするようにもなって、
「自分だけじゃない」んだな、と思える機会が増えてきた。

ちなみに、SNSで目にしたジェンダー・セクシャリティ診断的なものをやってみた私の結果は、下記リンクをご参照あれ。
知らなかった言葉がたくさんあってしかもカタカナなので、覚えられそうにない。

https://jobrainbow.jp/discover_sexualities/diagnoses/01HX28K3MQA1ECHV82JTQRAJV2/share  

残念ながら、自死を選ぶ子ども若者の中には、セクシャルマイノリティであるがゆえに経験する辛さに耐えられなかった人が少なくない。
一番身近な家族や友人に理解されないことだけでなく、大切な人を傷つけてしまうのではないか、悲しませてしまうのではないか、といった優しさからくるつらさもあるだろうと思う。

40代くらいなってやっと、ではあるけれども、自分の在り方のそのままを受け取ってくれる人たちが周りにいる、今のわたしの願いは、
マイノリティであるかもしれないあなたにも、必ずそのままでいいと思える人がいる、と信じられるチャンスを、子ども若者に感じてもらうこと。

それは、たとえ本人が自分のことを言葉にして表に出さなかったとしても、周りにいる大人たちが、私が小学生の時に出会ったゲイのお兄さんのように、
「そのまま」でいてくれている様子を目にするだけでも、感じられるのではないか、と願いを込めて想像している。

だから、今ここでこうして色々と書き残しているのは、子ども若者を前にして自分ができる限り「そのまま」でいられるように、今の自分が自覚したことを記録しておこうと思ったからだった。

この数ヶ月のプロセスの中で、自分自身の中にある愛情というか、幸せというか、そういった感覚に大きな変化があった。

その変化を、私をスピリチュアル面で支えてくれている人に話したところ、とても喜んでくれたし、これからの変化もまた、楽しみにしてくれている。
そういう存在がどれだけ大きな支えになるか、身をもって感じている自分としては、子ども若者の居場所でも、この感覚を少しでもおすそ分けしたい、と願っている。

最後に。
いま、自分はしあわせです。これまで支えてくださっている皆様、本当にありがとうございます。
感謝。

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