自分の機嫌を自分でとりすぎる人に起こりがちな罠🪤
とにかく私は、自分の心が平穏であること、プラスの感情を感じることを第一優先に生きている。
ちょっとした落ち込む出来事があっても、割とすぐに立ち直れるマインドを身につけてきたし、気分を紛らわす対処法が自然とできるようになってきた。
理不尽なことや違和感を感じることには、スルーもするし、距離を取ったりもする。
そうやって、自分の心の振れ幅が下に大きく振れないように、ずっとずっと守ってきた。
(だって感情の下り幅がすごいとシンプルにしんどいやん🥹)
『自分の機嫌は自分でとろう』
巷で良く囁かれているこの合言葉。
私も、ご機嫌な人でありたい、とは強く思う。
ただ、この言葉にはちょっとした怖さも隠されているのではないかと思う時もある。
(例えばこんな天からの囁きが..)
もちろん、対象の事象にもよると思う。
ご機嫌を取って忘れられること、忘れていいことであれば、それはそれで自分で解消できてて、超素晴らしい。
そして、無理に向き合わなくていいとか、その都度、自分を平穏に整えていられればそれでokなのであれば、それはそれで良いことだと思うんです。
でもさ。
やっぱりちゃんと向き合った方が良いことも実際問題あるよね🥹(現実)
向き合うことに『恐れ』や『怖さ』があるものほど、ポジティブやご機嫌マインドで、知らず知らずのうちに、見て見ぬふりをしちゃってるなって思うんです。
でもそれこそが、きっと、自分が今より一歩前に進むために必要なトリガーなんだと思う。
例えば、距離があるからこそ逸らしがちな両親との関係性とかさ、パートナーの気になるけど見過ごしてきたこととかさ、皆んなに合わせてきたけど実は自分が本当に思ってることとかさ。
※これは全て例です。笑
Happy Yeah ✌️な時間さえ多ければいい。
と思ってたけど、
いや、それはそれでめっちゃ良いことなんだけど、
やっぱり自分をまた前進させたいのであれば、向き合うべきことには、怖くても、恐れがあっても、見過ごさずに向き合った方が良いっぽい。
P.S.
なんか最近ですね、ずっと自分が悟れていたような気になっていたんですが、全然でした。
どこか達観したような、私は常に平穏やで〜とか、どんなことにも動じないよ〜って。でもそれは本当は傷つくのが怖かったのかも。
本気の哀しいとか、怒りとか、人間っぽい感情がここ最近、全然湧いてないんやもん。
やっぱりまだまだ修行でした。
波風立ててこそ、また新しい世界に辿り着けるのかもしれない。
人間味のある人になるには、もっともっと色んな感情を経験しないとあかんねんな🥲
修行します🧘
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?