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荒木村重

今回の大河ドラマは、明智光秀が主人公。明智光秀といえば、主君織田信長に謀反を起こしたことで有名ですね。

でも、織田信長に謀反を起こした人は他にもたくさんいるんです。その中の1人、荒木村重。村重が謀反を起こした時、やめた方がいいと何人かが説得に行っているのですが、その中には、後に謀反を起こす、明智光秀もいました。

村重が謀反を起こした理由も、光秀同様、諸説あって、ハッキリしていないようです。そんな村重には、独特なエピソードが残っています。

村重が信長に初めて会った時。信長は、村重の忠誠を試そうと、刀に饅頭を突き刺して差し出しました。村重は、手を使わず、その饅頭にかじりついて食べたそうです。それを見た信長は大きな声で笑い、その豪快さに感心して、村重に摂津の国を任せたそうです。このエピソードから、村重の地元である伊丹では、「あっぱれ村重まんじゅう」というお饅頭が販売されているそうです。

数年前の大河ドラマ「軍師官兵衛」に、村重が登場していました。黒田官兵衛は、秀吉から派遣されて、信長への謀反をやめるようにと村重を説得しに行ったのですが、村重は官兵衛を捕らえて、約1年間、幽閉しました。そのことが原因で、官兵衛は足をひきずって、杖をついて生活しなければならなくなったと言われています。

時が過ぎ、村重が信長に反旗を翻してから1年がたった頃、村重は不利な状況になってきました。信長が、「降伏するならば、命は助ける」と伝えたのですが、なんと村重は、家族や家臣たちを残して、逃げ出してしまいました。ただ、これは諸説あって、逃げたのではなく、援軍を頼みに行くための行動だった・・・とも言われているようです。

どちらにしろ、結果的に、村重が最後まで降伏しなかったので、残された家族、家臣、家臣の家族など、合せて600人以上が酷い公開処刑をされてしまいました。信長を裏切り、一族を見捨て、何もかも失った村重はその後、自らを

「道に転がる糞のような男」

という意味で、「道糞(どうふん)」と名乗ったそうです。道糞は、本能寺の変が起きるまで隠れて生活していましたが、信長が討たれたことを知ると堺に戻り、新しい人生をスタートさせました。

なんと、千利休と親交を持ち、利休七哲という、千利休の優れた弟子ベスト7に入る茶人になって、秀吉に仕えました。でも、秀吉の悪口を言っていたことがバレてしまい、処刑を恐れて、秀吉の元を離れ、出家。堺でひっそりと、その生涯を閉じたそうです。

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