凡人で良かったと思うこと
生まれた年代を問わず「普通は嫌だ」「人と違ったことがしたい」「レールの上を歩きたくない」と思う若者は少なくないようで、最近こんなエントリーがバズっていた。
4ヶ月で大学を中退し起業します。レールに沿ったつまらない人生はもう嫌だ。(いしだの話)
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この往年の尾崎豊の歌詞を彷彿させるようなエントリーに対して、心配する大人の声が多数聞かれた。それはそうだろう。この世代を通り抜けたおじさんおばさんからすれば、これは典型的な「若気の至りあるある」であり、多くの人が(行動に移すかどうかはさておき)大なり小なり経験している感情だからだ。
「普通を嫌うのは普通のことである」というジレンマ
かくいう私にも「普通は嫌だ」と思っていた時期があった。中学生くらいの頃、まさに中二病を患っていた頃だと思う。
ただ、だんだんと成長するにつれ、本当の意味で普通でないクレイジーな人たちと出会い、はたと気づいた。「普通になりたくないと思うこと自体がそもそも凡人の発想なんじゃないか」と。
なぜなら、私が出会ったナチュラルにクレイジーな人たちは、むしろ普通になりたがっているように見えたからだ。普通に生きていきたいのにそうできない、他人に理解されない彼らなりの生きづらさのようなものを抱えているように、私には見えた。
「普通になりたくない」と願う自分は、実は誰よりも普通の人なんじゃないかと思い、それからは平凡な自分を受け入れて生きていくことにした。英語とプログラミングを学びたいと思って海外に出たのも、それが特段の才能がなくても食いっぱぐれがない道のように(そのときは)見えたからだった。
凡人であることは卑下するようなことではない
ただ、若い頃こそこういう自分の凡庸さに失望したり、アーティスティックな友人を羨ましいと思ったりすることが多かったのだけど、自分で商売をやるようになってからはちょっと考えが変わった。
むしろこの自分の大衆寄りの凡庸な感性は武器なんじゃないかと。なぜなら私が良いと思うものはみんなが良いと思う可能性が高いからだ。
最初にそれを実感したのは、20代の頃ライターをやりながらヤフオクで輸入家具の売買をやっていたときだ。当時私が輸入していたのは、おしゃれだけどおしゃれ過ぎない、お手頃価格の、今でいうIKEAのような北欧テイストの家具だった。選択の基準は「私が欲しいと思うかどうか」のみだったが、この家具は飛ぶように売れた。
その後もいくつかのジャンルの異なるビジネスを立ち上げたりしてきたけれども、一貫しているのは「自分が欲しいと思ったもの」か「自分が良いと思ったもの」を扱うことだった。たいていは綿密な市場調査なんかしなくても、数千万円から数億円のビジネスにはなった。
一時期は、やることなすことがぼちぼち当たるので「自分は天才なんじゃないか」と勘違いしたこともあったが、むしろその逆で、私は驚くほど大衆のど真ん中の感性を持つ「普通の人」だったのだ。
その証拠に私のやることはどれもぼちぼちしか当たらなかった。きっと私が天才だったら、もっと大きくドカンと世間をあっと言わせるようなビジネスができたに違いない。でもそうならないのは、やはり自分が凡人で誰もが思いつきそうなことしかやらなかったからだと思う。
凡人の生存戦略は「行動あるのみ」
いま手がけているスナップマートはその辺の自分の限界も加味して最初から1人ではやらないようにしようと決めていたのだが、当初発案したときから「誰でも思いつきそうなことだなー」という自覚はあった。だからリリース後に「実は同じようなものを作ろうと思ってたんですよ」というメッセージをたくさんもらったときも、「そりゃそうだろうな」と思った。
むしろ、私がこのサービスのアイデアを思いついたのは2014年の11月なので、とっくの昔に類似サービスが出てきていてもおかしくはないと思っていた。だから私は予定よりローンチが遅れたことに相当焦っていたのだが、2016年9月現在まだ国内では類似のアプリは出てきていない。
これが何を意味するのかというと、誰もが思いつきそうな凡庸なアイデアであっても、それを思いついた瞬間に実行に移す人はそう多くはないということだ。
これまでの体感値でいうと、100人が同じアイデアを思いついて実際にその実現可能性を調査をするのは7〜8人、ものを作るとこまで行くのは2〜3人、ローンチまでいける人は1人いるかいないかといったところじゃないかと思う。
ビジネスで成功するというと、誰も思いつかないような凄いものを発案しなければならないように思うが、実際には誰も思いつかないようなユニークなアイデアは、時期尚早だったり、大衆には理解できなかったりして、打率としては芳しくない。
それよりは、誰もが思いつきそうなアイデアを思いついた瞬間に光の速さで実行に移すほうが、打率は高いのではないかと思う。
だから冒頭の18歳の彼も、もっと自分のこれまでの人生や普通の若者らしい感性に自信を持ってもよかったのにな、と思う。
「普通」であることは決して卑下するようなことではなく、ビジネスの世界においては、多数派に身をおくことがむしろ有利に働くこともあるのだ。
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