誹謗中傷や批判された時に役立つ考え方
ネットでの誹謗中傷が社会問題になっている。
昨年の東京五輪以降、スポーツ界でもアスリート自らが声を上げ始め、先日行われた中日ドラゴンズの福投手の記者会見も大きな話題になった。
また、所属チームが法的措置を検討するケースも出てきており、従来のような「テレビの前で選手(監督)の文句を言う」感覚でネットに書き込んでしまうと、思わぬしっぺ返しを食らう可能性が出てきた。
個人的には、被害者は「有名税だから」と泣き寝入りせずにじゃんじゃん訴訟でもなんでもやれば良いと思っているのだが、一方でこういった事例が世に出てきても、誹謗中傷はなくならないと思っている。というのも、何かの出来事に対して「一言言いたい」というのは人間の根源的な欲求であり、その一言の中には言われる方からすると耳を塞ぎたくなるような意見も含まれるからだ。
とくにスポーツは「感情」に訴えかけるものなので、理性では「よろしくない」と思っていてもとっさに汚い言葉が出てしまうこともある。完全に0にすることは難しいだろう。
また、ネット上には誹謗中傷とまではいかない「批判」も存在する。批判は別にいいのでは?と思われるかもしれないが、これもまた目にして気分が良いものではない。たとえば私がプロスポーツ選手だったとして、ミスをした時「あいつは下手くそだ」「チームに要らない」と言われたらどう思うか。「プロなんだから批判されて当然」とは思っていても、間違いなくそういった投稿を見たら気持ちは落ち込むし、自信もなくしてしまうだろう。
このような仕事のパフォーマンスを下げてしまう要因になる、誹謗中傷・批判の類は「見ない」のが一番である。私自身、選手にSNS上の誹謗中傷について相談されることもあるのだが、まず最初にするのは「どうやって見ないようにするか」というテクニカルなアドバイスだ。
一切の誹謗中傷・批判を見たくないという人には、「エゴサーチしない」「SNSの設定を変更して知り合い以外のDMを見ないようにする」「フォローしている人以外のリプライが見えないようにする」といったありとあらゆる方法を駆使して、ノイズが入らないようにする。
ただこのやり方は、多種多様な意見に触れられたり、気が合う人との繋がりが広がっていくというSNSの「良さ」が消えてしまうという欠点がある。個人的には、あまりガチガチにノイズをキャンセルしてしまうと、なんのためにSNSをやっているのかわからなくなるような気はしている。
ところで、私自身も今の仕事に就いてから、見ず知らずの人に批判されたり誹謗中傷を受けたりした。最初はなぜそんなことを言われるのか訳もわからずひどく傷ついたりしていたのだが、私自身の考え方を変えることで今ではまったくといっていいほど気にならなくなった。
他人を変えるのは困難だが、自分を変えるのは容易い。
ということで、今回は何人かにリクエストをいただいた「誹謗中傷や批判に負けない”考え方”」について、私が参考にした著名人の発言や、私自身がどのように考え方を変えたのかについて紹介したいと思う。
1. 「自分にとって価値のない人たちが、それを見て何を思おうと別に知ったこっちゃないよね」 by ひろゆき
おそらくおびただしい数の誹謗中傷を受けてきたであろう、2ちゃんねる創設者の「ひろゆき」こと西村博之氏。彼が誹謗中傷に対してどう受け止めているか、自身のYouTubeチャンネルで語っていたので、その切り抜き動画をご紹介したい。
端的に言うと「自分にとって価値がない人に何を言われても気にならない。犬に着替えを見られても恥ずかしくないのと同じ」ということである。
これは確かにそうだな、と思う。
よく「喧嘩は同レベルでしか発生しない」と言われるが、批判や誹謗中傷についても同じことが言える。たとえば、5歳の子どもに「バカ」と言われて真剣に腹を立てる大人はいないだろう。
匿名の書き込みに腹を立てるというのは、相手のことを自分と同格と認めることである。しかし、たとえばプロサッカー選手に「下手くそ」と言えるレベルの人がどのくらいいるのか、芸能人に「ブス」と言える容姿の人がどのくらいいるのかと考えれば、真に受ける必要もない書き込みであるとわかるだろう。面と向かっては到底言えないことだからこそ、彼らは匿名で発信しているのである。
2. 「悪口や陰口って言われてる方が主役だから。言ってる方は脇役なんよ」 by DJ社長
2つ目は「レペゼン地球」改め「Repezen Foxx」のリーダーDJ社長の言葉。
実はこの言葉は、過去に作家の寺山修司が同様の発言をしており、もしかしたらそちらの方が原典かもしれない。
「悪口の中においては、常に言われている方が主役であり、言っている方が脇役であるという宿命がある。」 by 寺山修司
ただ、DJ社長の言葉のほうが伝わってくるものがあったので、こちらの動画を紹介することにした。
これも「確かにそうだよなぁ」と、悪口を言われている側からすると元気がもらえる考え方である。
ちなみに私自身は、たまにまったく知らない人が自分について言及しているのを見つけると、「えとみほも有名になったもんやなぁ...」と、妙に感慨深くなってしまう。知っている人に悪口を言われたら悲しいけれども、まったくこちらが存じ上げない人にああだこうだと論評されるのは、気分が悪いのと同時にある種の快感があるのだ。これが「主役になる」ということなのかもしれない。
3. 「予想もしなかった悪口って逆にいい意見だったりする」「9割9分の泥を受け止めてでも伸びたいということ」 by 中田敦彦
次は、「悪口をあえて見る」という中田敦彦さんの考え方。
「人の人に対する悪口は千変万化じゃない。9割9分は類型化された罵詈雑言。だけど、ごく稀に予想もしなかったような意見があり、それは逆にいい意見だったりする。自分に対する悪口は聞きたくないが、聞きたくないに勝るのが成長したいという気持ち。9割9分の泥を受け止めてでも伸びたい」
これが中田敦彦さんのアンチに対する向き合い方だ。メンタルが強い人でないとできないことだが、確かに悪口の中には時々ズバリ的を射ているものがある。本当に100回に1回くらいの割合だが。
100回に1回くらいの頻度なので、99回の罵詈雑言に精神を汚染されるくらいなら見ないほうが良いと普通は思うが、それでも見るのは成長意欲が強いから。そうやって自分の行いを肯定的に捉えることで乗り越えるのも1つの方法である。
ちなみに、昨日のサッカー日本代表の試合中継での岡田武史さんの発言も、批判を成長の機会と前向きに捉えた考え方である。
「アンチ」がいるのはメジャーの証
ところで、「アンチ」の存在をネガティブに捉える人が多いように思うのだが、私は逆にアンチがいるというのはすごいことだなと思っている。というのも、見ず知らずの人に嫌われるほど存在が知られているということだからだ。つまり、自分を嫌う人が多ければ多いほど「メジャー」なのである。
一般人はともかくとして、芸能人やアスリートなど「有名であること」や「人気があること」が商売になる人たちは、アンチがいることはむしろ喜ぶべきことである。なぜなら、アンチの数(熱量)とファンの数(熱量)は、ほぼイコールだからだ。
これについては、かのマイケル・ジャクソンもこう言っている。
ときどき、批判されたり、価値観を否定されたり落ち込むこともあるけど、全ての人が、私の事好きになってもらえることはない。でも、私がどんな価値観を持っていようとも、2割の人は、好きでいてくれる。あとの6割は、私の行ないによって変わる。残り2割は、私が何をしても否定する。そう思ったら激しく落ち込む必要もない。
おそらくSNSで発信活動をやっている人は、この話が体感できていると思う。この割合は神の領分なので、私たちにできるのは中間の6割の人に働きかけることと、全体の母数を増やすことである。
間違っても「否定的な2割」を0にしようとして自分自身の振る舞いを変えてはいけない。そこを意識し始めた途端に「肯定的な2割」を失うという罠に陥ってしまうからだ。
批判や誹謗中傷を受けることの最大の利点
最後に、私自身が批判や誹謗中傷に対して、無理やり前向きに捉えるのではなく実際に「メリットである」と感じていることについてお話ししたい。
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