なぜTwitterをがんばってはいけないのか
今日のnoteは予告どおりこちらの深堀り(全文無料です)。
※誤字はご愛敬ということで。
こんな本の著者に名を連ねていることや、スポーツ業界の内側にいるということもあり、私の元には多くのアスリートの皆さんから「Twitterを頑張りたいのだけどどうしたらいいか」という相談が寄せられる。
結論を言うと、Twitterは頑張ってはいけないのである。
ちょうどいいタイミングで、私はGoodpatchの土屋社長とこんな会話を交わしていたのでご紹介したい。
冗談めかしているが、この会話はかなりTwitterの本質に迫っている。私が知る限り、Twitterでフォロワーを増やしその恩恵にあずかっているように見える人たちの多くは、Twitterを全く頑張っていないのである。
「人が知りたい情報を発信せよ」の落とし穴
「自分の言いたいことだけ言っててもフォロワー増えないですよ」というと、「そうですよね、他人が知りたいことを発信しないとダメですよね」という返答が来るくらいには、最近のSNSユーザーは勉強熱心である。少なくとも仕事にSNSを活用したいと思う人たちの多くは、様々なインフルエンサーから情報を得ており、得た知見を生かそうと努力している。
しかし、ここにまた落とし穴がある。どういうことかというと、他人に合わせてばかりいるうちに「自分」を見失ってしまうのだ。
たとえば、私がフォロワーを増やそうとして、「世の中には猫が好きな人が多いから、本当は一番好きな動物はヤンバルクイナなのだけど、ヤンバルクイナについて熱く語ってもフォロワーは増えないから猫について投稿しよう」と思い立ち、実際にかわいい猫ちゃんの写真を投稿しまくってフォロワーが10万人になったとしよう。
満を持してその場所でヤンバルクイナの話をし始めたら、どうだろうか。フォロワーが減るのではないだろうか。あるいはフォロー解除まではいかなくても、最近のツイッターはエンゲージメント(いいねやリツイートなどのアクション)が低下するとフォローしていてもタイムラインに投稿が流れなくなるので、フォローはしているけど「最近見ない人」になってしまう可能性が高い。
確かに世間のニーズに迎合すればフォロワーは増える。これは間違いない。しかし、その先にあるのは本当に自分が望む世界なのか?というのは考えてみたほうが良いと思う。
というか、そもそもこういったやり方で5年10年とTwitterを続けられている個人はほとんどいないので、そもそも続かないという説が有力である。
アスリートは誰に向かって発信すべきか
ところで、冒頭の相談者はアスリートの方であったのだが、アスリートにはアスリート特有の問題というか、フォロワーを増やす上で避けて通れない課題が発生する。
それは「誰に向けて発信するべきか」という問題だ。
アスリートの多くは公式マークをつけて、「アスリートとして」発信を行っている。そして多くのアスリートには「ファン」が存在する。そのファンは、個人のファンである場合もあるし、団体競技であればチームのファンという場合もある。
アスリートがSNSアカウントを開設すると、まず最初に既存のファンがフォローをする。個人の知名度やチームの人気度によって、この「初期フォロワー」は決まるのだが、多くのアスリートはこの「初期フォロワー」から大きく増えないという問題に直面する。
たとえば私が関わっているサッカーの場合、選手のフォロワーが増えるのは
・アカウント開設時
・チーム移籍(加入)時
・メディアに大きく取り上げられた時(代表に選ばれた時など)
この3つのタイミングである。これ以外のタイミングで大幅にフォロワーが増えている選手やコンスタントにフォロワー数を伸ばしている選手は極めて少ない。つまり、フォロワーが多い選手はもともと人気があるか、人気のあるクラブに所属している選手であり、SNSの投稿自体がフックになって人気を獲得している人は稀な存在である、ということなのである。
これはなぜなのかというと、多くのアスリートが既存のファンに向かって発信しているからではないかと思う。アスリートの投稿は「勝ちました」「負けました。次がんばります」といった投稿や、日常の一コマを切り取ったものだが、これらの投稿を見てありがたがるのは基本的にファンしかいない。その選手を知らない人には興味がない情報なのである。
そういった投稿が悪いとは思わないし、私はアスリートの投稿はそれでいいとも思っている。しかし「Twitterでフォロワーを増やしたい」「SNSを介して自分(や競技)を知ってもらいたい」「もっと拡散されたい」と思うのであれば、もうひと工夫欲しいところである。
アスリートの投稿に欠けているもの
ではどのようにすればアスリートはフォロワーを増やすことができるのか。
まずその前に、1つ残念なお知らせなのであるが、大多数の競技のアスリートはその職業の特性上あまりツイッターには向かない、という現実がある。
これはなぜかというと、ツイッターでは「非の打ちどころのない完全な状態」のものよりも、少し突っ込まれどころがある、やや欠落した「人間味」や「ゆるさ」を感じさせるコンテンツのほうが好まれる傾向があるからだ。
しかしアスリートという職業は、人に夢を与える仕事であり、憧れの存在でなければならない。少なくとも多くのアスリートは無意識レベルでそう思っており、周囲もそのような期待をする。幻想を打ち砕いてはいけないのだ。極めて「人間味」を出しづらい職業なのである。
ちなみに、アスリートの中にも言いたいことを言ってたまに炎上したりしながらも人間味のある投稿をしてフォロワーをガンガン増やしている方もいるにはいるが、たいていの場合そういった方はそもそも人気実力ともに兼ね備えた「スーパースター」である。SNSで多少論争を巻き起こしたくらいで契約を切られるとかスポンサーが離れるといった心配をしなくていい人たちなので、標準的なアスリートとはまったく立ち位置が違うと考えたほうが良いだろう。
看板のない自分を応援してくれる人が何人いるか
ここで話が終わってしまうと「アスリートはツイッターに向かないからインスタでもやっときなさい」という結論になってしまい何も面白くないので、「どうしてもTwitterで」という方のために参考になるかわからないが私自身の経験を少しお話ししたい。
私は現在Twitterのフォロワーが5.8万人くらいいるのだが、初期のごく一時期を除いて、「Twitterを頑張ろう」と思ったことがなかった。ただ、ある時期にあることを意識し始めてからフォロワーが増え始めた。
1つは以前書いたように140文字いっぱいでツイートするということ、もう1つは私自身のファン(=自分をよく知り理解してくれる人)を50人作るということを意識し始めたことだった。
前者についてはあくまでアルゴリズムハックの話なので、現在はもう気に留めていない。逆に最近は短いツイートのほうがいいような気すらしている。
後者については、ツイッターを始めた当初から今も変わらず意識していることである。フォロワーが何人になろうが、私はありのままの私自身をよく知ってくれていて肯定的に捉えてくれる人が50人いればいいと思っており、今もその50人に向かって発信している(最近はツイッターで発信しづらいのでnoteのマガジンに移行しているが)。
ちなみになぜ50人なのかというと、たまたま見たテレビ番組で元アイドルの男性が「ものすごく熱心に応援してくれるファンが50人残っていれば生きていける」という話をしていたのが記憶に残っていたからだ。それまで、アイドルのような人気稼業はテレビに出て日本中の人に知られなければ食っていけないだろうと思っていたので、「50人」という想像よりずっと少ない数字に衝撃を受けた。同時に「50人なら自分のような一般人でもファン(理解者)を作れるのでは」と思ったのだった。
自分個人を応援してくれる人が50人いると何が起こるかというと、自分が書いた記事を拡散してくれたり、丁寧な感想を寄せてくれたり、登壇するイベントに来てくれたり、困っているときに助けてくれたり、落ち込んでいるときに励ましてもらえたりする。これまでSNSをやっていて嫌なことも無数にあったが、続けてこられたのはこの50人のおかげである。
ところで「ファンを50人作る」というと、メジャー競技のアスリートなら余裕だと思われるかもしれない。しかし、競技やチームのファンではなく、純粋にその人個人のファンと考えると、Jリーガーでも毎月自分にコンスタントにお金を落としてくれるファンを50人作るのは大変なことである。
だから「自分の中身を知って応援してくれるファンを50人作る」というのは、アスリートにとってもそこそこハードルが高く、そして達成できたときには得られるものが大きい目標なのではないかと思う。
個人を起点に興味の対象を広げてもらう
ところで、最初に相談をしてくれたアスリートの方の目的は「競技の面白さを広めたい」ということだったのだが、この目的を考えると自分個人のファンを増やしてもしょうがないと思われるかもしれない。しかしその心配は無用である。SNSでの興味・関心の広がり方は、すべて個人を起点にしているからだ。いわゆる「インフルエンサー」が重宝されるのもこのためである。
アスリートが競技の普及のためにできることは、まず自分をよく知ってもらい、自分を好きになってもらうことなのではないかと思う。その人を好きになれば、おのずとその人がやっている競技にも興味が湧くからだ。
しかしそのときに「たくさんフォロワーを増やさないといけない」とか「すべての人に愛されなければならない」と思うとプレッシャーになってしまうし、SNSがきっかけで病んでしまうことにもなりかねない。ここが2つ目の落とし穴である。私が「50人」の話をしたのは、「理解者」はそのくらいの人数でも十分であるし、50人の人に好かれるように振る舞うことはそう難しくないからだ。間違っても全員に好かれようなどとは思わないで欲しい。
以上が「Twitterを頑張ってはいけない」理由である。頑張るというのは、つまり無理をする、普段の自分ならやらないことをする、辛いことも歯を食いしばって耐える、ということである。
アスリートのみなさんは頑張るのがとても得意で、1つ目標が決まると恐ろしい集中力で頑張ってしまう。そんな人たちだからこそ、声を大にして言いたい。
Twitterを頑張ってはいけないのだ。
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