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拝啓 私へ(2通目)

2月18日。1年に1度の定期検診だった。前は3ヶ月に一度あった病院に行く予定だったが、今となっては、飲み続けていた薬はなく、「最近の体調はどうか。」と医者から問われるだけの時間だ。

毎度病院へ行く度、普段住んでいる地域でも顔馴染みの人間の顔はなく、田舎でも知り合いに合わない場もあるものだな、と感心する。

受付で保険証を機械に差し込み、前回の検診の際に予約した【MRI検査】を受けるために、道順を記した案内の用紙を受け取る。

もともと母が何でもやってしまう性格の為、覚えなくてもついていけば良い、と小さな頃から頼りぱなしだったが、今となってはその癖のせいなのか、脳の血管のせいなのか証明のしようがない。

〝忘れてしまう〟事は、誰にでもあるけれど、私にとっても、また、私を知っている周りの人達にとっても、数年前にした病気のせいだ、という概念は呪いのように消えない。

口に出さずとも、何となく流れる空気から察してしまうのだ。はじめはその事すら許せなくて、モヤモヤしていたが、私の中で【しょうがない】で済ませているのも事実である。


検診の際、ついてこなくても良いと言っても母はついてくる。不満を漏らしながらも、心配をしてくれているのは、この歳になってもありがたい。しかし、私の脳は捻くれているので、「このまま一生、どちらかの息が止まるまで、私は母と離れられないのだな。」と溜め息をつく。指を組む母の癖は不安からくるものだと知っているから、尚更気が重くなる。

母がついてこないなら、聞きたいことがいろいろある。

・1人で過ごす様になった際気をつけることはあるか
・同じ症状の人達はどのように過ごしているのか
・記憶が飛ぶ症状の改善はないのか
・歳をとってから脳に影響はあるか

私は、1年に一度の検診になったのであれば、これからはあまり聞く機会がなくなるなと思ったので、あえて母の前で最後の項目の「今、祖母が歳をとったせいもあり忘れっぽいところがある。同じ症状の脳出血をした人は、歳をとってから、認知機能の低下や記憶障害が出ることはあるか。」と尋ねた。

医師も、これまで私が自分の口から質問してこなかったので少し驚いた様な顔をしていたが、「老化によっての血管の収縮もあるため、認知機能の低下(認知症)が進むのは早いかもしれない。」と淡々と話した。私は素直にやはりそうかと思った。予想はついていたが、医師から言われると少し気持ちが緩む。母は「祖母が最近そうだから不安になったのかもしれない。」と無駄なフォローをいれる。別に私の心の弁解なんて頼んでいないのに。

「血管の凝縮が少しでもないように、運動したり食生活に気をつけて過ごさなくちゃいけないですね。」と、私も重ねて無駄なフォローを入れた。母を笑わすために。

母も私も、悲しみはしなかった。私は心の中ですでに開き直っていた。忘れてしまうのであれば仕方がない、なんでも覚えているのが嫌になって私の脳が癇癪を起こしただけかもしれない、と。

母は、家へ帰ってから父にその状況を伝えていたけど、私は「もうなんでも記録して過ごすしかないから、今更問題ないよ。」とヘラヘラした。

父も笑ってくれた。



4年経っても、私は未だに一歩踏み出すことを躊躇ってしまう。

相手に気持ちを伝えることも、その時の感情で動くことも、自分のやりたいことも。

本当に少しずつだけれど、「これはやって良いんだよ、やろう!!やるぞ!!」と、逃げ出す自分を捕まえる私を認めることが出来てきた気がする。

仕方ないで済ましてしまう事は、いけない事かもしれないが、逃げ出すことができない、もうすでに答えが出ている問題からは目を逸らせない。

だから私は私なりに、好きな人達の笑顔を大事にして生きてやりたい。


そうやって生きてくれ、私。

忘れたって良いから、楽しく過ごそうね!



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追記

過去に書いて方公開するのを躊躇っていた記事です。私は弱虫が消えなくて、いつまでもやりたいことを我慢してしまう癖が抜けません😵

ただ、今日父には正直に音楽を続けたいと話した際「もっと好きなことやっていいぞ。遅いぐらいだ。」と言ってくれた事が嬉しかったので、下書きから取り出しました。踏み出すスピードは遅かったけれど、もっと自分らしくいられるようにしたいと思います。

2021年4月の望月マコトより

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