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父の愛

29年間生きてきて、初めて父の前で泣いた。

「お父さんとお母さんはいつでもお前の見方だ。
好きなように過ごせばいい。お前が調子が良さそうな時に笑顔でいる姿を見ると、お父さんはとっても嬉しく思うんだよ。
もしかしたら、壁にぶつかってどうしようと辛い気持ちでいるのかもしれないけれど、今は人間は100年生きる時代なんだ。全くもって焦らなくて良い。
人生のほんのわずかな期間を休養にあてることなんて、これからの将来においても少しばかりも問題にならないよ。」

父からのこの言葉は私の心に届いた瞬間全身に響いた。
父親の愛情を感じた瞬間だった。

***

私は現在、適応障害を克服中だ(発症当時のことは、以前更新した記事からご覧ください)。

自分の病気と向き合っていく中で、症状が重い時は、夫に謝って数週間単位で帰省をするようになった。帰省をするようになった理由は主に3つ。

✅夫は平日は仕事で朝早くから夜遅くまで不在にするため、私の体調を観ていることはできない。
✅私が夫と住む家は都心にあり、都会の騒音や明るさが時に私をかなり苦しめる。今の私は音や光にかなり過敏になっていて、自宅の周りはわりと繁華街で交通量も多いため、ストレスに感じてしまうのだ。体も心も休まらず、居心地が良くないとどうしても感じてしまう。
✅夫といると家事や料理をやる必要がある。夫がどんなに「やらなくて良いよ」と言ってくれたとしても、私は「やらないといけない」と思ってしまい、体調が悪い時でも無理をしてやろうとしてしまう。
また、たとえ家事や料理をやらないという選択肢をとっても、自分が情けなくなって悲しくなってきて、情緒不安定になってしまうのだ。そして、最終的にはやはり、動かない体に鞭打って家事や料理をやることになり、体調が悪くなる。

そんな状況から逃げるように、私はある日また帰省をした。田舎にある実家は、朝目覚めると部屋に太陽の日差しがサンサンと差し込み、法華経が鳴く声が聞こえ、風で緑が揺れる音も心地よい。心も脳もリラックスをして日々を過ごすことができている気もする。

実家にいる時は、家事も料理も全部甘えてしまっている。できる時はお皿を洗ったり、洗濯をしたりはするけれども、基本的に母には甘えっぱなしだ。

アラサー女が家事も料理もせず、働きもせず、仕事で忙しい夫を置き去りにして、実家の部屋でぼーっと過ごしていて、たまに子供のように不安で泣いたり体調の悪さを訴えたりする。

「なんて世話の焼ける子供なのだろう。迷惑かけてごめんね。」
発症当初は、両親に「申し訳ない」と「ごめんなさい」の気持ちで心がいっぱいだった。今でもそのような気持ちがなくなったわけではないが、それでも、「早く良くなりたい。いつも協力してくれてありがとう」という気持ちが強くなっている気がする。

いつものように実家のベッドで横になって過ごしていたある日、私は母と喧嘩をした。母は私に、「もう少し夫といる家で過ごせるように努力をしてみるのはどうか」と言った。それは、私の夫の気持ちも気遣ってあげる必要があっただろうし、私にこれからの仕事のことも少しずつ考えて欲しかったのであろうし、普段の日常へ徐々にでも戻ることのできるようにと考えた母の愛情ゆえの言葉だったことは分かっていた。
そして、「いつまで帰省をする生活を続けるつもりなの?」と私に聞いた。

この母の言葉を機に、私の感情爆発スイッチが入ったのだ。
「夫にも両親にも迷惑をかけていることなんて分かっている。頑張って夫との家にいられるように試みたけど、夫の住む家に戻らないといけないことだって分かっているけど、実家にいたいと思っているわけでもないけど、家事もご飯も甘えられて静かな環境の実家の方が休養できるし、今は自分を休める環境に置くことを大切にしたい。前に、お母さんは、家族なのだから迷惑を掛けているだなんて思わなくて良いよっていってくれたじゃない。これからどうするかなんてわからないよ、今後の事なんて考えられない」

こんな言葉を言い放ち、続けて、

「夫との自宅には戻りたくない。そんなことを言うのなら、どこかホテルを探して泊まるから」と、泣きじゃくりながら最低限の荷物を持って家を出て行こうとした。

母はそんな私を止めた。「今の体調でまともに外に出られるわけない。倒れられたらみんなが心配するんだよ。一旦落ち着きなさい」と。

母は別部屋にいた父を連れてきた。

父はいわゆるエリートサラリーマンだ。大学を卒業してから、ずっと同じ大きな企業に勤め、今はかなり偉いポジションにいる。とくに若い頃は激務であったのだろう、朝5時頃には自宅を出て、帰宅が深夜になることも頻繁にあった。かなりの亭主関白タイプで、The 昭和の人間である。

そんな父だったので、私が適応障害と診断されたことを伝えるのが怖かった。「気持ちの持ちようでどうにかなるから頑張りなさい」と言われる気がしてならずにいた。ただ、最初に病気を伝えた時の父の反応は私の想像とは真逆のもので、

父「ま、今はそういう人も多いからな。」
私「うん。」
という会話で終了。

父とは昔からあまり会話をしない。
母と私の会話量が100としたら、父と私の会話量は5くらいだ。

こんな父が、泣きじゃくる私に言ってくれた言葉はとても力がこもっていて、父の愛情を直に感じられた。私の目をしっかりと見つめ、淡々と、でも柔らかく父の言葉を伝えてくれた。
「あ、お父さんってこんなにも私のことを考えて、大切に、愛してくれているんだな」と、こんな気持ちになったのはもしかしたら人生で初めてかもしれない。

母や夫には「ありがとう」と良く伝えていたけれど、父にはあまり伝えられていなかったかもしれないな。お父さん、ありがとうね。

***

適応障害は厄介だ。この診断を受けた時は、数か月もあれば十分に治るだろうと思っていた。でも、意外に治るまでの道のりは長そうだ。一日の中でも気分の起伏が激しい時もある。日によっても自分の体調が違う。強い倦怠感や頭痛や吐き気に悩まされることもある。不安の負のループに入ってしまうとなかなか大変で、家族や友人、自分までも否定的に捉えてしまって、自分の未来には希望がないように思えてしまう。この病気はもしかしたらずっと治らないのではないかと考えてしまう日だってある。

でも、きちんんと向き合わないといけないことも分かっているし、不安になることもネガティブにいろいろと考えてしまうことも通常の私ではないことは分かっている。

noteを通じて同じような精神疾患で悩まれている方が沢山いることを知り、勝手に仲間意識というか、そのような方々の記事がとても励みになっているので、私もこの病気のことを発信していきたいなと思った。

病気は苦しいけれど、多分今は神様が、「今まで頑張りすぎたんだから少し休みなさい」と言ってくれているのだ。と同時に、自分の人生を振り返り、これからのことをじっくりと考えるための時間と周囲の人たちの愛情に改めて気づけるためのきっかけを与えてくれているのだと思えるようになっている。


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