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嫌われると自由になれる。

嫌われることを恐れていた。
顔色を伺っては
なんだかんだいい顔をしたり、
話しかけたりしていた。

40代を過ぎ、それが全くもって無駄なことだと気がついた。

自分が大切だと思うことを
大切にしていけば
何年か経って誤解も溶けることもある。
または、嫌われたままでいいってこと。

嫌う人は無視をしたり
自分のことをチヤホヤしてくれる人にだけ
反応する。

残念ながら、私はチヤホヤはしない。
素敵なところは一人一人ある。
そこを見逃したくはない。

相手がどうか次第のことで
自分の心を振り回されては
なんか違うなーと思うのだ。

メディアで騒がれている人は
本当に悪者なのか。

悪者に仕立て上げたい人物がいるのではないか。

反応がなければ
人は対象が消え
いずれ攻撃をやめるだろう。
そうだな、目の前から消えるか
相手の傘下に入るか。

さっと離れる。
これに限る。
例え視界に入ったとしても
挨拶は交わし、後は知らんぷりでいい。

びっくりするくらい無視する人がいる。
あれもすごい術だと思う。

まだ私はそこまでできない。
いや、話しかけて
無視するって大人でもするものなのだなとびっくりする。

ちょっと奥深い話になるが、
私の中で決めていることは
何が起ころうとも
死なないことだ。

それが私の素敵を作る術なのだ。

弱いもの同士、表現の自由があり、
生きて行くための術があるのだろう。

とりあえず、私の中で無視はないけれども
その後、視界から消す。
という術は身につけられそうだ。

今日、私のことを無視していた
アラサーの女子が先に去った。
ありがとう、
アラフォー以上の私を楽しませてくれた
お客様たち。

私はまだ楽しみたかった。

若い子には若い子達の居場所がある。
年齢関係ないと思ってはいても、
5.6歳離れる頃合いの
人にはまだ抜けきれない何かがあると思う。

私がそうだったように。

同じ世代の友達とだけ話すように
隣同士なのに私に背を向け露骨だったなぁ。

だけど、嫌われることは
自由になれるということだ。

めっちゃ清々しい。
本当にわかってくれる人を見つけられるチャンスなのだ。

今日、また私はひとつ
年齢を超え、
見てくれている人を見つけられた気がする。

かまってちゃん、より
構われなくても
楽しめるちゃんになりたいのだ。

女の悪口、同じメンツの陰口。
ここに加担しないことだ。

1匹狼上等。
幸せの形や場所、穏やかに過ごせる人は
自分のあれ?を信じていると思う。

心の底から辛い経験をした人は
人に辛いことはしないと思う。

または距離を置くのだと思う。
そこに共感は求めなくても良い。
自分の心の問題をわかってもらわなくていい。

今日、私はカラオケ辛口採点ゲームで最後まで歌い切ることができ、お店で当店一位になり
シャンパンをもらった。無視された人たちにも振る舞われた。

めっちゃ、気を使うシチュエーションで
みんながハッピーになるゲームに勝った。

恥ずかしい、上手く歌えなかったらどうしよう、など捨てた結果だ。
ちなみに残酷な天使のテーゼと
荻野目洋子のダンシングヒーローは
高得点が出る。
アップテンポの曲は採点機能が高いことを知っていた。

嫌われていようがどうでもいい。
共に過ごす人を巻き込み、楽しくさせられるかどうかが、私のポリシーだ。

何年か後には
嫌うことを諦めてくれることを願う。

その前に、私を嫌う理由を聞きたい。
私が嫌う理由は
他人の悪口陰口、無視をする人だから。
そこじゃなかったら本当にごめんなさいだ。

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