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新年早々、怪しいマッサージ店でドキドキ快感体験♡のプロローグ

こんにちは、エトミカです。
お暇な方だけ、しょうもない私の日常をお読みください^^;

2022年1月1日。

正月の挨拶を終え、早めに実家を後にした私の背中は、異常なほどに凝り固まっていた。ただそれだけだった。

「実家」

それは30を過ぎた私にとって、もう帰る場所ではないのだ。こんなところに年末に1人で帰ってきてはいけないのだ、と年々強く思う。私が使っていた6畳南向き日当たりの良い角部屋は、一人暮らしを始めた10年前に、4畳半の小さな部屋を使っていた妹が使うようになった。それと同時に私の荷物は片付けられ、今度は4畳半の小さな部屋に妹のガラクタと共に閉じ込められた。5年前に妹も家を出ると、今度は2人の娘の荷物がごちゃ混ぜになり、几帳面な母によって大きなクリアケースに全てのガラクタと成長の記録が押し込められた。

そんな、自分の部屋の面影もない、実家。

2年前は従姉妹の結婚を、1年前は出産の報告を受けた。あちらの家族は、どんどん大きく暖かく明るくなっていく。一方で、私の実家は還暦を迎えた老夫婦が2人で暮らしている。

親である。

親であるが、最近なんだか気を遣う。

親の友人の子供も次々と結婚して「おじいちゃん」「おばあちゃん」という社会での新しい役割を果たしているそうだ。みんな孫の世話に大忙しで、不慣れなiPhoneで懸命に写真を撮りグループLINEで送り合う。コロナ禍だ、そんなことぐらいしか楽しみもない。いや、私が「そんなこと」と言ったものこそ、親世代にとってはかけがえのない時間である。

そんな役割を与えられていない、娘の私。

それでも、不自由なく穏やかに二人が暮らしているのならば、それでいいと思っていた。多少寂しい思いや惨めな思いをさせてしまっているかもしれない。それでも彼らの人生だ。「娘が結婚しないから不幸せだ」と他責で生きて欲しくない、本当にそう思っているならば見合い話のひとつやふたつあってもいい。二人は二人なりの幸せを見つけ、穏やかに暮らしていると信じていた。だから、気にしているが...気にしないように過ごしていたのだ。

しかし、本当のところは全くそんなことではないらしい。
それが露わになったのは、1ヶ月ほど前。

「ずっと離婚したいと思っていた」

母が泣きながらそう言った。真相は今でもよくわからない、父の気を引くためのパフォーマンスだったのかもしれない。ただ少なくともその瞬間、母は幸せではないこと、実はそんなこと子供の頃から察していたのにここ数年は自分のことに精一杯で見て見ぬ振りをしてしまっていたこと、思えば「娘の結婚」「娘の出産」「孫の成長」といったイベントがあればそんなことを考えさせる余裕もなかったのに...ということ。

いろんなことが頭をかけめぐり、私が親を不幸にさせているのだと思った。まぁ、なんて暗い食卓。それが私の実家である。

数年前から、手ぶらで帰れなくなった。
片道1時間もかからず、帰省と言うには大袈裟である。新宿のデパ地下と実家近くのデパ地下には同じものが売っている、私がわざわざ買い与える必要もない。それでもふるさと納税で食べきれなかった返礼品を紙袋に詰め、デパ地下で目に止まった菓子折を買って。着替えとパソコンの入った荷物を抱え、7cmヒールのブーツで新宿を小一時間彷徨い、紙袋が2つ増えたので特急券を買った。せっかく特急に乗るならとスタバでラテを買った頃には両手が完全に塞がり、どうやってスマホを取り出し改札を通ればいいのかわかなかった。

やっとのこと指定席に座りこみ、もらい過ぎたスカスカの紙袋を整理し終わることには最寄駅に着いた。私ひとり、最寄駅のロータリーに姿を見つけると、それでも父は娘の帰省を喜んでいるようで。私ひとり、実家の玄関を開ければ母もほっとしたような顔をしているようで。一応、私ひとりの帰省は歓迎されているのだと、安心する。二日酔いでぐるぐるしていたが、暗い顔はみせまいと、背筋を伸ばしハキハキと近況を話してみたり、歓迎された娘をしっかり演じてみたりした。

しかし、ほっとしたのも束の間で、今年はもう一人の従兄弟の授かり婚の報告を受ける。暗い顔は見せまいと思うものの、ダイニングテーブルの外れそうな脚カバーばかり気になって、気になって、「おめでたいじゃん」と言いながらそればかり見つめていた。

夕食のあと、酔った父がテレビにスマホを繋ぎ動画や写真を見せる。親戚の赤ちゃんの写真を一頻り見せ終わると、今度は私が子供の頃の写真をめくり始める。少し前は「こんなにも私は愛されている娘なのだ」と思えたが、最近はこの夫婦は孫の写真を撮れない代わりに、娘の幼少時代の写真を眺めているのだと思うと心が苦しく、複雑な気持ちで熱のとれた鍋ばかりつついていた。

それ以上の出来事は特になかった。
子供の頃に使っていたシングルベッドではうまく眠れず、朝は老夫婦の生活音で目が覚めた。実家に帰っても、近所に友人はもう住んでいないので出かける予定はない。ただテレビをみてピアノを弾き、座り慣れないソファーでうたた寝をし、暇を持て余して会社のSNSを更新した。規則正しい時間に1日3回呼ばれて食事をする、自由のようで自由でない時間。やや標高の高い実家は小寒く、エアコンをつけたがらない母と電気ストーブの前で小さくなっている時間。悪くもないが、2日目となると特に話題もなく、年越しを一緒に迎えて帰宅することにした。母は米を、父は酒を、私の持ってきた紙袋に詰めて持って帰らせた。ちなみに妹もこの日ひょっこり顔を出したがすぐに帰ると言った。親は妹にもハムだのキントンだのを持って帰らせようとパックに詰めたが、妹は「いらない」と言った。結局そのパックも私がもらい、荷物は1.2倍ぐらいの重さになっていた。

「実家」

私と妹が帰れば、また老夫婦がチクチクと喧嘩をしながら生活する、縮小していくだけの小さくて暗い食卓。

来年こそは誰かに恋人役になってもらい、親に紹介したらいいだろうか。そろそろ菓子折では足りない気がしている。

親は私の将来について何も言わないが、何も言わないからこそ私の肩には無言の重たい重たいプレッシャーを感じた。小さなアパートの玄関に米の入った旅行バッグを下ろしても、その重みからは解放されなかった。

「あぁ、マッサージにいきたい」

欲しいと思っても手に入らない幸せな家族の代わりに、お金で解決できるものは今すぐ手に入れたい。それが独身の醍醐味なのだから。

「独身最高〜!独身最高〜!」

そんな暗示をかけながら、ホットペッパービューティーを開いた。

つづく。


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