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日記 【人生を変えた2人の香港人、1人目】

こんばんは。

香港が水泳競技で2つ目の銀メダルを取りましたね!香港はこれで3つ目のメダル獲得。素晴らしい!

ところで、私が一番最初に香港人と出会ったのは、まだ19か20くらいの時だったと思う。英語が全く出来ず、渡米する事が決まって日本で最初に受けたTOEFLの点数は勉強した後も400点代前半だった。アメリカに住み始めた後は、English for Second Language、俗にESLと呼ばれる語学学校に通った。なんとかTOEFLの点数がコミュニティ・カレッジに入学出来る点数に達した後は、学校で授業を取り始めた。

しかし、この頃の私は自分は頭も悪く、英語も喋れず、成績が悪くて当然だと思っていた。アメリカのコミュニティ・カレッジでは、成績がA+, A, A-, B+, B, B-, C+, C, C-, D+, D, D-, Fと上から判定される。A+は97~100, Aは93~96, A-は90〜92, と細かく別れている。FはFailで、その科目が取れなかった事を示す。そして、今はどうか知らないが、留学生の場合は必須科目にFをもらったら自動的に退学となってしまうのだった。

私の成績がどれだけ酷かったかというと、小学生レベルの算数の(Algebra)のクラスで、英語の意味がわからなくてBを取ったりしていた。日本人なら誰でも100点が取れるレベルの簡単な問題なのにだ。心に残っているのは、”What is the reciprocal of 3?”と言う問題で、私はreciprocalという意味が分からず答えられなかった。この問題の答えは、3分の1だ。

そんな中、そのコミュニティ・カレッジで香港人の女性と友達になる。彼女はイギリス発音の英語で話し、私より全然年上だった。香港では弁護士をしていて、キャリアアップの為に旦那さんと一緒にアメリカに留学しに来ていた。コミュニティ・カレッジの学生達は、多くがパートタイムで仕事をしながら通うアメリカ人達で、留学生はとても少なかった事もあり、同じアジア人だし歳が離れていても直ぐに友達になった。

その頃、ECON101と呼ばれる、アメリカの大学課程の必須科目の一つである経済学初歩、のクラスを取った。その時の私の英語は、Albegraの授業を取った時よりはまだマシになっていたが、それでもまだ辞書を片手に英語と格闘していた。そして、私の心の中には、自分は頭が悪いんだし英語が母国語じゃ無いんだしクラスメートのアメリカ人達より出来なくて当然、と言う言い訳がまだあった。

ショックだった事に、そのECON101の中間テストで、私は留学して初めてのFを取ってしまった。経済学のテストは、計算では無く言葉を理解するテストだ。4択の質問の中で、何を聞かれているのか理解して微妙な意味の違いを判断しないといけない。日本では習ったことの無い科目だった事もあり、とても難しかった。

しかし、中間テストでFを取ったという事は、期末テストでかなり良い点数を取らなければ平均点がC以上に挽回しない。ちなみに、C以下の成績だと、Fの様に退学にはならないが科目を履修する必要がある。私は、テストの難しさと自分の能力から言って、またFを取るかもしれないと思った。そうしたら、学校からは自動的に退学になり、学生ビザを失ってまだ英語も喋れず何も達成していないのに日本に戻る事になる。想像しただけで、目の前が暗くなった。

そんな時、香港人の彼女が私に言ってくれたのだ。「私は、あなたと話をしていてあなたは本当は頭が良いと思うよ。絶対に挽回出来るよ。」家族に馬鹿だと言われ続け、自分は頭が悪いと信じていた私はその言葉に驚いた。そして、私自身がとても単純な事もあって(笑)、彼女を信じて猛勉強し始めた。

背水の陣であった私だが、その猛勉強が報われて、ECON101の期末テストでなんとクラスで1番になった。そんなに頑張ったのは、人生初めてだったかもしれない。英語を母国語で話すアメリカ人達を差し置いて言葉の理解力が試される経済学の試験で1番になったのだ。これが私のアメリカ滞在の転機だった。

と言う事で、私は彼女に出会った事に感謝している。残念ながらその時はFacebookや個人メール等も無く、彼女の連絡先も知らない為そのコミュニティ・カレッジを離れた後は彼女がどうなったか知らない。今は彼女も60代だろうか。香港じゃ無くても、世界のどこかで元気で幸せに暮らしている事を祈っている。

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