小樽、トカレフ、大沢誉志幸
私は突如学校に行かなくなった。自分でも説明不能である。何かがプツリと切れてしまった。人体は正直で、来るべくして来た心身の限界であり、虚無があらわになった瞬間だった。
車を持っていたが駐車場を持たず、アパートの前に路駐していた。1階のテナントに入る怪しげな業者の男に「店の前に停めるのは失礼だろうが」と凄まれたが、我関せず放っておくと警察に通報され、レッカーされた。罰金を払って車を取り戻し、あてもなく車を走らせる。
吹雪の夜、私は小樽にいた。今もって観光地としての顔よりも、あやしさとうらがなしさを覚える。
小樽と言えば、近藤恒夫氏が思い浮かぶ。北前船のように小樽と敦賀、舞鶴を行き来する新日本海フェリーの乗員となり、歯痛を治めるためにトラック運転手に覚せい剤を打たれ、常習者となる。小樽に開いたスナックで客と打ちまくった。
周りを巻き込んで壮絶なる破滅の道を突き進み、逮捕される。そして薬物依存症からの回復施設「ダルク(DARC)」を立ち上げ、名状しがたい差別と困難のなかを全国に展開するのである。2022年2月他界、享年80。
運河も赤レンガも、ガラス細工もオルゴールも眠りにつき、凍りはじめた道をキュキュッと鳴らして私は波止場にハンドルを切る。風雪がフロントガラスを真っ白に曇らせる。立入禁止らしいガードの横をすり抜けると眼前は海だった。
港には貨物船が数隻停泊していて、どれもがロシア船籍だった。1989年に東欧の社会主義国が崩壊。1991年にソ連が崩壊。前後して日本海を超えた船が来るようになり、小樽のまちなかではロシア語の看板が急に増えた。
港湾に出た私は灯火を落とし、ゆっくりとロシア船に近づいて行った。高い甲板には灯がともり、吹雪の中に人影が見える。まるで映画「ユージュアル・サスペクツ」のワンシーンのようだった。
どこかでトカレフの取引がされているはずだった。不審な貨物船の傍らを、不審な無灯火の車でそろりと徐行する。捕まるかもしれない。彼らの世界に入るかもしれないと思っていた。
横殴りの吹雪、小樽のロシア船。
カーステから流れていた、大沢誉志幸「君の住む街角」。
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