【ウェルビーイング】 地球がまわる音を聴く|森美術館
こんにちは。休日の美術館巡りが大好きなRyan(ライアン)です。
先日、森美術館で2022年11月6日(日)まで開催していた展覧会「地球がまわる音を聴く:パンデミック以降のウェルビーイング」に行ってきました!
実際に行ってみて感じたことや学んだことを、レポート形式で紹介します。
地球がまわる音を聴く:パンデミック以降のウェルビーイング
六本木ヒルズにある森美術館で2022年11月6日(日)まで開催している「地球がまわる音を聴く:パンデミック以降のウェルビーイング」は、2020年のパンデミック以降の新しい時代をいかに生きるのか、心身ともに健康である「ウェルビーイング」とは何かを、現代美術に込められた多様な視点を通して考えることができる展覧会です。
■展覧会タイトルに隠された意味
本展のタイトル「地球がまわる音を聴く」は、オノ・ヨーコさんのインストラクション・アートから引用したものなんです!
実際にオノ・ヨーコさんの作品は「地球がまわる音を聴く」を含め12作品も展示されていました。
「パンデミック以降の世界で人間の生を本質的に問い直そうとする時、想像力こそが私たちに未来の可能性を示してくれるのではないか」という意も込められています。いかなる状況でも想像力を持つことの重要性を示すオノ・ヨーコさんの作品は、その後に発表された《戦争は終わった》など、直接的に反戦を訴える作品へと繋がっていき、現在も重要性が高まっています。
■素材に宿るエネルギーや生命の本質
医学の博士号をもつ芸術家ヴォルフガング・ライプは、医学の知識を活かしつつ、両親の影響で興味のあった東洋の思想や文化から垣間見える命を、「生命」とは何かということを追求・具現化する芸術家として表現しています。
例えば、本展のメインビジュアルでもあった《ヘーゼルナッツの花粉》は、ドイツ南部の小さな村で集められたたんぽぽやヘーゼルナッツなどの花粉を使ったインスタレーションで、ごくわずかな量しか採取できない花粉の中には繁殖のための遺伝子情報が凝縮されており、その希少性ゆえに命の重さを考えさせられます。
また、《ミルクストーン》という作品は、浅く削られた白い大理石板の表面に毎朝作者が牛乳を流し入れたもので、この最もシンプルな形・色・行為によって表面張力の緊張感とともに、毎日の繰り返しから感じる1日のエネルギーや、神羅万象の歴史を投影する生命の深遠さなどについて考えさせられます。
現在、不可視のウイルスに人類が翻弄されるなか、命の重さと儚さを展覧会を通して実感しました。
■一貫する揺るぎない自然の強さ
目の前のモチーフからときには1年もの時間をかけて作品を生むエレン・アルトフェストさん。本展では身の回りにある自然を描いた12点の絵画が展示されていました。
上記の作品を見るとわかるように、精密すぎて一度では把握できないほどの視覚情報が凝縮されています。
この精密な絵画を描くためにアルトフェストさんは、対象物を長い時間をかけて徹底的に見ることでつながりを強く感じ、どこまで描くか、何を描くか、あるいは何を描かないかを常に考えながら描いているそうです。
例えば、京都の厭離庵(えんりあん)で制作した《杉苔》は、精密すぎて細かな形や模様、影や光などを目で追ってしまいます。これは写真ではなく、あえて絵画として時間をかけて描くことで精密さをより認識することができるのです。
とても小さなミクロの世界を見ていたのに、なぜかとても大きな世界を連想してしまうような感覚がありました。
一方で、実物の植物を見る際は複雑な模様などを詳細に認識することはないでしょう。
パンデミックによって人間の脆弱性について考えるようになりましたが、我々が生きているのは一貫する揺るぎない自然の強さ根本的にあるのだと気づかせてくれました。
■東日本大震災「破壊と再生・修復」
1990年代から一貫して空き地や海岸などで拾った廃棄物を「修復」「なおす」という手法で制作してきた青野文昭さん。
本展では、東日本大震災で被災した当日に青野さんが渡った「八木山橋」と、その八木山にかつて存在していた「越路山神社」を復元した作品が展示されていました。
実際に作品を通して八木山橋を渡り、越路山神社の中を鑑賞することで東日本大震災を追体験することになり、なぜか同じ展示室なのに別世界に来たような感覚になりました。
本当の意味で修復ができているのか不思議と考えるようになり、まだまだイメージだけが先行して見えていない部分も大きいのかと思います。
東日本大震災で被災した当事者と現在の自分を比べると若干危機感が薄れてきた感覚がありました。
しかし、天災や環境問題、戦争、感染症のパンデミックなどの困難に直面したとき、破壊と再生の循環が必ず起こります。そのために、違う形で追体験して風化させないことが今後のウェルビーイングにもつながるのだと感じました。
■呼吸することで自分自身を意識する
モンティエン・ブンマーの《自然の呼吸:アロカヤサラ》は、家族の死や自身の病に向き合うなかで生み出された作品で、都市構造を思わせる金属製の箱が天井に向かって積み重なっており、作品の天井部からは肺の形をしたテラコッタ製の彫刻が吊り下げられています。
本作のタイトル「アロカヤサラ」は、「アロカヤ」が「無病」を、「サラ」が「家」や「場所」を意味する作家自身による造語で、かつては儀式のための場所がその役割を担っており、人々にとって安息を見出すことのできる場であることが示されています。
実際に作品に近づいてみると、スパイスのような香りが漂いました。金属製の箱にはタイの伝統医学で用いられる薬草が内部に置かれ、視覚だけでなく嗅覚にも働きかけます。
作品内部で深い呼吸を繰り返すことによって感覚が研ぎ澄まされ、感じる重力によって地球に存在する自分自身を意識することができました。
■密教の伝統をもとに天然顔料を用いた作品
中国西部の仏教遺跡であるや莫高窟やモンゴル、日本の高野山などを訪れてリサーチを行い、密教の伝統をもとにした作品を制作しているツァイ・チャウェイさんは、本展で《5人の空のダンサー》と《子宮とダイヤモンド》の2点の作品を展示していました。
《5人の空のダンサー》は、COVID-19によるパンデミックの経験から、自然環境に対する影響ができるだけ少ない方法で作品を制作することを模索し、角閃石(かくせんせき)、籃銅鉱(らんどうこう)、辰砂(しんしゃ)などの天然顔料を用いて制作されました。
また、それらの顔料は中央アジアからシルクロードを経てアジア全域へ広がったもので、実際に私が莫高窟に行った際には、遺跡の壁画にも使われていたことが確認でき、密教伝来の要所であったことがわかります。
5つの色はチベット仏教において行者を悟りに導く女神である5人の智恵のダーキニーが表されていました。
《子宮とダイヤモンド》は、密教に見られる両界曼茶羅の形式を踏襲した作品です。鏡で作られた曼茶羅である本作では、インドの密教において不滅の力を表す金剛界をダイヤモンド、すべてを包み込む空間を表す胎蔵界をブータンの僧侶がマントラを唱えながら吹かれたガラスの彫刻によって表現されていました。
実際に鑑賞した時には、すべてを映し込む鏡の性質によって、周囲の環境と等しく、宇宙の一部であることが感じられました。
個人的ベストワン作品
ズバリ!個人的に本展覧会でベストワンだった作品は、堀尾貞治さんの「色塗り」シリーズです!
一定のスタイルを持たない方法論で数多くの作品を制作してきた堀尾貞治さん。
床から天井まで配置された「色塗り」シリーズは、堀尾さんが不用品や拾得物を無造作に並べ、1日に1色、色を塗るという作業を1985年から亡くなる2018年まで33年間毎日欠かさず制作してきた作品です。
堀尾さんは「色塗り」について、「3歳の子どもでも、死にかけている人でもできる意味のないことの繰り返し」であり、「生きていることの確認」だと説明していました。
ウェルビーイングを考えた上で作品を眺めていくと、「空気」のように目に見えないが、生きる上で本質的な存在になるものをアートで可視化したような作品だなと感じます。
堀尾さんが大事にしている「あたりまえのこと」という制作コンセプトが、自分たちの生活に紐づく目に見えないあたりまえを再認識させてくれるような感覚になりました。
さいごに
「地球がまわる音を聴く:パンデミック以降のウェルビーイング」を通して、パンデミック以降の新しい時代・ニューノーマルな社会をどのように生きるのか、心身ともに健康である「ウェルビーイング」は自分にとってどのような存在になるかなどを深く考えることができました。
今までの生活とは全く違った常識や生き方を現代アートから学べる素晴らしい展覧会だったので、皆さんもこのレポートをもとに「自然と人間」「個人と社会」「日常と非日常」「生と死」などを自分事化して、ぜひ想像して観てください!
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