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かもめ食堂ごっこ

フィンランドのかもめは丸い。こんにちは。Natsuです。

昨晩、noteに小説「かもめ食堂」のリンクを挿入しようとして、アマプラで映画を観られることを知りました。

さっそくお風呂上がりに適当なストレッチをしながら映画「かもめ食堂」を見ました。この映画といえばおにぎりとシナモンロールとコーヒー。映画に出てくるシナモンロールはデニッシュっぽい見た目でとても美味しそう。キッチンに立ち込める焼き立ての幸福な匂いを想像して、ご多分にもれず、とてもシナモンロールが食べたくなってしまいました。

わたしは一時期(といってももう10年近く前になりますが…)パン作りに凝っていました。お菓子だのパンだのパスタだの、小麦粉をこねて色んなものにするのが楽しくて、しかもそれを食べられるのが面白くて、毎週末何かしら小麦粉で遊んでいたように思います。その時は一人暮らしではなかったので、他の家族がキッチンを使う時間をちょうど発酵などにあてられるよう、時間も計算して作っていた気がします。

映画を見ながら、わたしが作るなら生地は薄力粉だけじゃなくてちょっと強力粉も入ったような、フカフカで表面が固くなるようなのにするかな、バターは織り込まないで全部混ぜちゃって、フィリングは少なめで…などと捗る妄想。ここ数年は自炊をあまりしていなくて、小麦粉熱も冷めていたのですが、またやりたいなあと思いました。それこそ料理が好きな友達が都内にいるから可能になったら遊びに来てもらって一緒に作りたい。

何はともあれ、とりあえず美味しいシナモンロールを食べたいぞ!!ってことで退勤してすぐ、美味しそうなパン屋さんへ。シナモンロールがない可能性などこの時は考えてもいません。果たして、強い思い込みが功を奏したのか、一個だけシナモンロールが残っていたんです!それも、よくあるタイプじゃなくてかもめ食堂みたいなデニッシュタイプのが!!

わーいわーい。

さっそく帰って手を洗ってうがいして家でコーヒーを淹れます。

マグカップは、引越し前によく行った、Blue mag coffeeのトールサイズ。これがねえ、お店でトールサイズのホットドリンクを頼むと出てくるのと同じものなんですけど、ほんとに大きくて、たっぷりとしていてすごくお気に入りなのです。

わたしは普段から様々な飲み物をたっぷりと飲む習慣があるので、こういう大きいマグカップがずっとずっと欲しかったのでした。わたしの人生においては本当によくあることで、「これは絶対に欲しいのでいつか買う」と購入を決定してから実際買うまで、極端に早いか遅いかの2パターンなんですね。このマグカップは遅いパターンで、引っ越す前日か何かに行き納めとともに買いました。噂によると、その直後にマグカップのデザインがリニューアルしたそうで、ギリギリ間に合ってよかったです。

今飲んでいるコーヒーはカルディのプレミアムブレンド。

今くらいの季節だと、あつあつのコーヒーに冷たい牛乳を淹れてぬるいラテにするのが好きです。

シナモンロールは軽く温めても良かったんですけど、基本的にパンは常温で食べるので、今回もそれで。

ラテとシナモンロールをトレイにのせて、掃き出しの窓から足をベランダに投げ出して食べました。

理由を説明するのは難しいですが、なんの変哲もない普通の食べ物(朝ごはんの目玉焼きとか、ばんごはんの餃子とか、おやつとお茶とか)を、庭やベランダで食べるのが気持ちよくて好きです。夏の夜は安くて味の薄いチョコミントアイスバーをベランダでよく食べます。

学生のころトレッキングを時々していて、山で食べるご飯うま!ってなってから外で食べるようになったような気もしなくもないです。

シナモンロールは甘めでサクサクで、たっぷりのラテとよく合いました。美味しかったなあ。

「この人いつもこんなことしてんの?」というお声が聞こえてきそうですが、時と場合によります。が最近はいつもこんな感じです。

というのも、わたしの小さい頃からの夢が「海の近くのかわいい部屋で楽しく一人暮らしする」で、その欲望を満たされたので毎日楽しくご機嫌じゃない理由がないんですよね。(当時も海の近くに住んでいたのに海辺の暮らしにあこがれていたのは、魔女の宅急便の世界観にあこがれていたから。今でも紺色のワンピースが好きなのも魔女の宅急便が好きだから。今、高校生の頃「ミセスメルヘン」というあだ名をつけられていたのを急に思い出して恥ずかしい。)

引越してきて急にこんなyoutuberみたいな暮らしを始めたのではなく、ずっと温めていた妄想をやっと現実世界で表現できるようになってきたように思います。

何かが欲しいとか、○○という職業に就きたいとか、達成したかどうかわかりやすい目標を立てないと、いつまでもその目標にたどり着かないという話がありますが、そんな中でも今は自分のしたかった暮らしをできているというのを毎日感じていて、何もなくても満足だし嬉しい日々です。

QOLは今までの人生で間違いなく現在が一番高いですね。

かもめ食堂で「人生すべて修行」という主人公の父の言葉が出てきます。

わたしにとって最近一番修行になったのは、直前の仕事でした。たった数ヶ月ではありましたが、「ポジションはあるけど仕事はあんまりない。何をしてもいいし何もしなくてもいいけど、とにかく毎日そこにいなくてはならない」という、今まで生きてきて初めてのことを要求されました。

円環的時間の中で、何をどうしたら良いかの方向性すら示されず、ただそこにいなくてはならない。はじめは時間がすぎるのが恐ろしく遅くて、何かしてみては「自分は何もしていない無能なやつではない」と言い聞かせたり、周りの目や言葉が気になっていちいちトゲトゲしたりしていましたが、だんだんに「いる」のが苦痛じゃなくなってきて、そうやって何か「する」わたしでなく、そこに「いる」わたしに人が集まってきたりするのを経験して、1面クリアっていうか、レベルアップした感じがありました。

誰かに直接何かを今すぐしてあげられなくても、本を読んだり音楽を聞いたり金魚の世話をしたりして、ふっくらとした自分になって、その状態で「いつもそこにいる人」「いつ話しかけてもいい人」で「いる」ことによって出来ることがあるんだっていうのを身を以て学べたのはありがたいことでした。

中勘助「蜜蜂」の中に、お姉さんについてこんなことを言う人がいます。

「をば様はとてもはつめいで何でもよくわかり、よく出来て、しかもそのはつめいが目だつやうに表へ出ず、隠すというでもなく、自然に内に籠って底光してた。それでゐながらうぶで、ぼーつとして、ふつくらとしたところもあつて、ほんとにをば様みたいな人はもうありゃしない」

何者だというくらい褒め方が神がかっているのはおいておいて、わたしも死んだらこんなこと言ってもらえる人になりたいなあ。

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