消えないアドレス

「またオモロいもんが手に入ったから、10時にいつものとこな!」と、こんな感じにメールを送ってくるのはいつもの亜賀佐(アガサ)だった

彼の言う、オモロいもん、という言葉がどうも私の心を掴んで離さない。
彼からはいつも、こんな風に声をかけられて、そして奇想天外な話を聞かされる。
それがまた、奇運なことに私自身、物書きをしているという事もあり、そこから得たインスピレーションが作品作りに活かされるのだから、なんとも不思議な話である。
そんな事を思いながら、いつものように道路に面した大きなガラスのある席に座り、そして人通りの少なくなってきた街中を眺めながら頼んでいたアイスコーヒーをすすっていた。
しかし、今回は珍しくメールの文面だけで、何も添付されていないのが少し気になる。
いつもなら、写真なりPDFなり、何かを添付して事前に私の興味を引くようなメールを送ってくるのに、シンプルにオモロいもんが手に入った、とだけ書いてある。
逆に気になる。今回どんなモノが来るのか期待したくなる自分が少し可笑しかった。
しかし、遅い。
いつも思うが向こうから10時と指定してきてその時間に来たことがない。なのに遅れると連絡してくることも無い。ただ、大体はコーヒーを飲んでいればあいつは来るのだが今日はもうコーヒーを飲み終わろうとしている。かれこれ15分程だろうか?気になって時計を見ようとしたらいつものウエイトレスが来て、「冷コーさん、来ないんですか?」と声を掛けられた。
どうも私達はここで「冷コーさんとその友達」として認知されているらしい。そう思うとなんというか、可笑しくなってきたというか、自嘲気味な笑いが出てくる。そんな私にウエイトレスからアイスコーヒーのおかわりを聞かれたのでそのまま頂くことにした。
しかし、あいつは何をしているのか?とガラスの外を見ると見た事のある姿と独特のニヤニヤ顔を確認する事が出来た。
やっと来たのか、と思うと少しホッとした自分がいたが、店内に入ってきた彼はどうも男性と一緒に入ってきたらしい。そのまま2人で私の座る席の向かいに座った。
「悪い悪い、ちょっと待ち合わせしてたら遅れてしまったわ。」とほんとに悪いと思ってるように思えない、彼独特のニヤニヤした顔で言う。私は少し呆れながらも彼が連れてきた男性に目をやった。40代ぐらいだろうか、がっしりした体格の男性が少しバツの悪そうな感じで亜賀佐の隣に座っていた。
「すいません、遅れてしまったようで。今回、お世話になります。山田と申します。」と丁寧にお辞儀をして名乗られた。
つられて私もお辞儀をして「初めまして、土居琉衣(どいるい)と申します。」と名乗ると「ドイルと呼んだって」と亜賀佐が横から口を挟んだ。山田さんはちょっと困惑したような顔をしている。
そんなやり取りをしてると先程のウエイトレスがアイスコーヒーのおかわりを持ってきてくれた。ついでに「冷コーでいいですか?」と聞いてきた。さっきの冷コーさんを思い出して少し可笑しかった。
「わかってるやん!山田さんも冷コーでいいですか?」とあの独特のニヤニヤ顔で山田さんに聞いていた。山田さんもそれでいいみたいで軽く頷いていた。
「で、いつもならもう少し早く着くと思うがどうして遅れたんだい?」と、私は彼に問いただした。「あぁ、それ?いや、10時集合にしてたらなかなか山田さんと合流出来んくてさ」とニヤニヤ顔で悪びれもせずに言う。
「すいません、亜賀佐さんと上手くやり取りできてなくて、10時に改札と聞いていたのですが北口と南口と別々に出てしまってたようです。」と山田さんが申し訳なさそうに言う。が、待てよ?こいつは私と10時に待ち合わせしておいて山田さんとも10時に待ち合わせしていたのか?つまり、私を待たせるつもりでいたと、そういう事か?
そう思うと無性に腹が立ってきた。しかも、こいつは先日コーヒー代を払わずに帰ったのだ!
しかし、山田さんは関係ないのだからここで怒るのもどうかと思い、出かかった言葉を胸の内に収めた。それを見越してか亜賀佐がまた例の独特なニヤニヤ顔で私を見ている。まるで私の胸中を見透かすように。そう思うと余計に腹が立ってきた。
「すいません、土居さん.......」と山田さんが申し訳なさそうに声をかけて来た。
どうも私は表情に出るらしく、改めなければと思い、咳払いをした。それでも亜賀佐の顔を見るとあの彼独特の表情だ。嫌になる。
私は気持ちを切り替える意味も込めて「亜賀佐、今日はどうしたんだ?」と聞いてみた。
「ああ、今日はな、取材してたらちょっと面白い事をこの山田さんから聞いたんよ」と話し始めた。
なんでも、別件で取材していた案件(私としてはその話も気になる)があったのだが、その取材の中で山田さんと知り合ったのだとかで、取材していく中で今回の奇妙な話を聞くことになったのだとか。しかし、それなら別に私はこの場にいなくてもいいのでは?と思う。しかし、彼はこの話を私に聞かせて、また当たりハズレを私の表情から判断したいのだと感じた。なんとも迷惑な話である。
しかし、山田さんもなぜ、こんな見ず知らずの私が参加することに了承したのだろうか?と思った。なので、「私は部外者なのにお話を聞いていいのですか?」と素直に聞いてみた。
すると、「土居さんがいる所でお話をして欲しいと亜賀佐さんから言われたので...」と山田さんがバツの悪そうに言う。その横であいつはニヤニヤしている。多分、いや、絶対私の反応を見たかっただけだ、と私は確信した。亜賀佐は記事の善し悪しを占うみたいに話を私に聞かせて反応を見て判断するのだ。
小さくため息を漏らした私は、アイスコーヒーに口をつけた、それから亜賀佐と山田さんにもアイスコーヒーが届けられた。
2人がアイスコーヒーにシロップとミルクを入れてるのを見ながら、今日はどんな話が聞けるのかと身構えていたら、亜賀佐が話し始めた。
「さて、冷コーも揃ったし、本題に入るけど、山田さん、あれの話して貰えますか??」と山田さんに話を振る。
すると山田さんはジャケット内側から携帯電話を取り出した。
なんとも懐かしいモデルで、もう10年以上も前に親が使っていたモデルとよく似た携帯電話が出てきた。折りたたみでもなく、液晶もカラーですらない。今どき、こんな携帯使えるのか?と疑問に思うと山田さんは「これは私が社会人になったばかりの頃に使っていた携帯で、もう20年ほど前の物なのですが、今回はこれについてお話を聞いて頂きたいのです。」と話し始めた。
「これを使っていた当時、私は学生の時からお付き合いしていた恋人がおりまして、その人とお揃いで揃えた携帯電話でした。」とその表情は懐かしい思い出を語ると言うには到底思えない、まるで苦虫を噛み潰したような表情をしている。
「この携帯は私自身、もうとっくに忘れて、失くしたものと思っていたのですが、それがことある事に、私の目の前に現れるようになったのです。」
山田さんの言う、ことある事に、とはどういう事だ?私は黙って聞いてみる事にした。
「今思えば、家族絡みで何かあると、まるで存在を主張するように現れたのかも知れません」と山田さんが言う。
彼が初めてこの携帯を意識したのは、約10年ほど前で、息子さんがいらっしゃるのだがその中学受験で奥さんと揉めたそうで、そこから火がついて奥さんが実家に帰ったそうな。あわやそれが離婚にまで発展するんじゃないかと言うぐらい揉めたそうだが、その時は何とか修復できたそうで、事なきを得たが、そんな時にふと気づくと彼の机の上にこの携帯が置いてあったそうだ。
懐かしいモノが出てきたな、先のゴタゴタでもしかしたらしまい込んでいたものが出てきたのを奥さんが机の上に置いておいたのかもしれないと思い、その時は特に気にもとめなかったという。
しかし、それから何か家族にあると、例えば、息子さんが中学校の帰り道、駅前から自宅に向かう際に、(当時は電車通学させていたそうだ)信号を待っていた所を自転車が突っ込んできて、幸か不幸か足の骨を折る怪我をしたそうだ。
原因としては突然、自転車のブレーキが効かなくなり、パニックになってたまたま息子さんにぶつかってしまった。
奇妙なのは、加害者の自転車のブレーキワイヤーが切れていた、と後から聞かされたそうだ。
また、息子さんが高校受験の際、40度近い熱が出て、受験どころか命さえも危ぶまれた事もあれば、台風で帰れないかもしれない息子さんを奥さんが車で迎えに行ったら、帰り道の橋の途中で車がエンストした事もあった。
こういうことがあると、必ずと言っていいほど彼の前に現れたのが、この携帯電話だと、彼は辛そうな表情で話をしてくれた。
しかし、私は彼の話を聞いていると、どうにも引っかかるのだ。なので、少し整理をしてみることにする。携帯が現れるのは家族に関連した不幸の時、お子さんの中学受験で、その方針で奥さんとあわや離婚するかもしれないぐらいに揉めた時、お子さんが自転車とぶつかって骨折した時、お子さんの高校受験で熱が出て危なかった時、お子さんを迎えに行ったら車がエンストした時。
私はハッとして、「山田さん、もしかしてお子さんの事で何かあって、この携帯が現れたんじゃないですか?」と尋ねてみた。
山田さんは驚いた顔をして「そうなんです、どうしてわかったんですか?」と聞き返した。
「先程、お話を伺った時に家族のことで何かあると携帯が出てくると仰ってましたが、家族と言うよりもお子さんとの事でこの携帯電話が出てきてると思ったんです。」と私は伝えた。すると山田さんもハッとした顔になり、「言われてみれば確かにそうです!全て、息子に関連した事です!」と声が一段と高く返事をしてくれた。
「実は、今回も携帯が出てきたので家族の事で何かあるんじゃないかと心配しているのですが、その中でも特に気がかりなのが、息子の結婚が控えているのです。」と彼は教えてくれた。
なるほど、それで藁をすがる思いでこんな他人に話をしてくれているのかと合点がいった。
すると、さっきまで彼独特のニヤニヤした表情をしていた亜賀佐だが、それが消えて真剣な顔をしている。
「実はある雑誌で、3G回線(古い携帯の電波)の利用停止に伴う、昔の携帯の思い出を聞くって言う特集で募集した中に、山田さんの投稿があったのを見つけたんよ」と亜賀佐は続けた。
こいつは一体どんな仕事してるんだ?と思いながらも彼の話を聞く。
「大体は、やれ、メールを使って文通してたとか、16和音や32和音やら、はたまた家族や恋人とのメールや写メの話なんかの中に、家族に何かあると出てくる携帯の話なんか見かけたら、そりゃ食いつきたくなるやん?」と、さも当たり前のように言う。というかこいつの本分はそういうオカルトめいた不思議な話にこそ、興味があるのだから、当然と言えば当然だ。
「そしたら、さっきみたいな話をメールで貰えたんやけど、さすがドイル。そんなとこに気づいてくれるとはさすが、さすが!」と彼のいつもの独特の表情が見れた。
しかし、そこに気づいた所でまだ何か解決した訳では無い。
「山田さん、その携帯電話、何か心当たりがあるですか?」と聞いてみると、山田さんは少し黙ってアイスコーヒーをすすったあとにこう切り出した。
「さっきもお伝えしたと思いますが、これは学生時代に付き合ってた彼女と一緒に買った携帯なんです。その彼女とはいずれは結婚出来ればなんて思っていましたが、大学進学を機に私は地元から出てきましたので、離れ離れになる寂しさから、当時普及し出した携帯電話を一緒に買いました。最初の頃は電話をして、寂しさを紛らわせていたのですが、通話料が高く、それに私も若くて大学でできた仲間たちと一緒にいるうちにそっちと過ごすのが楽しくて、少しづつ疎遠になってしまったんですよね。」と寂しさを募らせるようにそう説明してくれた。
「そのうち、彼女とは別の、他の大学で知り合った女性といい感じになり、どっちつかずになるのも申し訳なくて、私は彼女に別れ話を告げました。もちろん、身勝手な話だと思います。彼女にどう伝えようかと震えながらアドレス帳の彼女の名前を探し、電話したものです。彼女は電話の向こうで黙って私の話を聞いてくれてました。申し訳ない、身勝手な話だが別れて欲しいと、そのような事を喋ったと思いますが、もう20年も前の話です。自分が何を喋ってどのように彼女に伝えて、どう傷つけたかは覚えてません。ただ、電話の向こうで泣いている彼女の声だけが聞こえていたように思います。多分、私は自分の話をして、そのまま翌日に携帯を買い替えに行ったと思います。」と彼はコーヒーに口をつけた。
「そういえば、そこでこんな不思議な事があったんですよ。」と彼は続けた。
「携帯を買い替えて、アドレス帳を移して欲しくて、やってくれたんですが、その時、彼女の、電話番号は移したくなくて、多分、残してると、罪悪感を、感じると思ったんでしょうね、それは、引き継ぎしたくなくて、元の端末から彼女のアドレスを消そうとしたんですが.......消えなかったんです。何をしても消えませんでした。その時、諦めても良かったのに、多分、残したくなかったんでしょうね、携帯を初期化したにも関わらず、その番号だけが、ずっと残っていたのです。」この話をしている辛そうな表情の山田さんの隣で話を聞く亜賀佐の瞳に、真剣さと凄みを抱いた強い光が感じられる。
「携帯ショップの方も頭を抱えていましたが、結局消すことが出来ず、そのまま手帳に控えていたので、アドレス帳は手写ししたのですが.......あれ?」と山田さんの顔が怪訝そうな顔をした。
「私は確か.......その時.......」といっそう厳しい表情をして「携帯ショップの方に、処分を、お願いしたはず.......」と目の前の携帯を見つめながら、山田さんはわなわな震え出した。まるで、その記憶を否定するように「ハハ、ハハハ、でも預けたならここにあるはずないですよね、私の記憶違いかな.......」と彼は力なく笑っていた。
私はここで、山田さんの話を聞いて、すごく気になっていた事があるのだが、聞いていいのか、でも、確認するのはなんだか怖いような、すごく複雑な気持ちになった。そんな私の気持ちを振り払うように、私はアイスコーヒーを一気に飲み干し、そして山田さんも同じようにアイスコーヒーを飲み干していた。
私は意を決してこう切り出そうとした。
「携帯の電源、いれてみてもいいですか?」と。
しかし、私の決意よりも先に亜賀佐が切り出した。さも、あたり前のように...
なぜ、やつはこうも容易く私の決意の上を行くのだろうか?しかも、なんであいつは少し勝ち誇ったような目をこちらに向けるのだ?さっきまでの真剣な顔はどこに行った?こっちを見るな!見るな!!!と私は心の中で毒づいていた。
「あ、電源...ですか?しかし、充電してないから電源は入らないと思いますよ」と山田さんが答えた。確かにもう20年前のものでずっと放ったらかしになってたものだ。電源なんて入るはずもない。(先程、電源をつけようとすぐ言い出せなかったのはこの事を懸念してでもある。)
「これ、あそこの携帯会社のやな。ちょっと待ってて。」と亜賀佐は山田さんと私を残して喫茶店を出て、駅の方に消えていった。
その間、残された私たちだが、何となくあんな話の後だし、どんな話をしたらいいのか思案していた。そもそも、私はそこまで社交的では無い。居心地が悪いし、向こうもそう思ってるのか、この沈黙が辛い。
幸い、本日3回目のウエイトレスの登場である。彼女は「冷コー、おかわりされますか?」と私たち声をかけてくれた。
私は彼女にアイスコーヒーのおかわりを告げ、山田さんもおかわりをしていた。ついでに亜賀佐のも、と思ったがまだ半分ほど残っているので、亜賀佐の分は頼まなかった。
この空気に耐えれない、という訳じゃないがかれこれ2杯もアイスコーヒーを飲んでいるわけで、私はトイレが近くなっていた。
申し訳ないと思いながら、山田さんに断ってトイレに向かう事にした。
その間に、私は今回の話をまとめる事にする。
学生時代の恋人とお揃いの携帯電話。そのアドレスが消えず、処分したはずなのに何故か手元に残っている。そして、この携帯が現れるのは決まって家族の、特にお子さんのことで良くないことがあった時である。
そして今度、お子さんの結婚が控えているというのだ。
亜賀佐なら、オカルト的に考えて、とか言って何かしら道筋を立ててくれるかもしれないし、もうあいつの中で何か道筋を用意してるかもしれない。
しかし、私にはどうも、彼独特のオカルト的感性が備わってないので説明をするのが出来そうにない。そもそも、そんなものを用意したところで山田さんの問題を解決できるのか?最低でも気を晴れされることが出来るのだろうか?
そんな事を考えながら、トイレから戻る。
戻ると山田さんは手持ち無沙汰なようで申し訳ないと思いながら(でも、ほんとにトイレは結構我慢してたので仕方ない)「すいません、1人にさせてしまって」と山田さんに声をかけて席に着いた。
「山田さんはトイレ大丈夫ですか?」とトイレを促すと「いえ、大丈夫です」と断られてしまった。ここで行ってくれたら少しは私の気まずさから開放されたのだが、仕方ない。
そうは言っても亜賀佐が帰ってくるまでこのままという訳にもいかないと思っていたところに「あの、ここはアイスコーヒーを冷コーと呼ぶのが当たり前なのですか?」と質問してくれた。「あぁ、それは多分、亜賀佐だけですね。私たちがここをよく使っているので定着したみたいです。」と説明した。
「そうですよね、冷コーって確か関西でしたっけ?確か私の親の世代で流行った様な気がしますが、今でも言うのでしょうか?」と質問してくれた。まさか、冷コーで話題ができるとは思いもしなかった。冷コー様々だ。
「私もあまりよく分からないのですが、亜賀佐のお父さんがよくアイスコーヒーの事を冷コーと呼ぶみたいであいつはその影響でずっと冷コーと呼んでるみたいです。おかげで私たちは冷コーさんとその友達と思われてるみたいですね。」と自嘲気味に笑いながら伝えた。
それを聞いていたのか、あのウエイトレスが来て「いつも、冷コー1つ!って入ってくるんですもん。何回も聞いてたら覚えますよ!」とオカワリをもって来てくれた。
「たまには冷コー...じゃなかった、アイスコーヒー以外も頼んでくださいね。いつも午前中に来てくれるんだし、モーニング食べてくださいよ。うちのピザトーストは、絶品ですからね!」と満面の笑顔で勧められた。
確かに、ここの喫茶店ではアイスコーヒーしか頼んでなかったので今度モーニングを頼んでみようと思う。
そんな事を話していたらさっきまでの気まずい空気が紛れて、話題がお子さんの結婚の話になっていった。なにかしら、不思議な話でも聞けるかもと期待したが、特に何もなく、工業高校卒業してから就職し、2年ほど経つのだが数ヶ月後に結婚するのだそうだ。お相手は中学の時の同級生でずっと一途に付き合っていたらしい。何となく、さっきまでの不気味な話を聞いていたので、こういうほっこりする話は安心する。
しかし、なんであろうか、この違和感は。何かが私の中で引っかかるのである。このスッキリしない感じが気になる。
何が引っかかるのか分からないまま、亜賀佐が戻ってきた。亜賀佐は帰ってくるなり、「お姉ちゃん、冷コー1つ!」とウエイトレスに伝え、席に戻るなり、残っていたアイスコーヒーを飲み干した。
そして亜賀佐が持ってきたのは古い携帯の充電器で、携帯ショップまで買いに行っていたようだ。今でも取り扱っているのだと、少し感心した。そして有難い事に、ここの席にはコンセントもあるので、充電器を挿して、電源が入るか試すことが出来た。
携帯の充電ランプは点く、そしてしばらくした後、電源ボタンを長押ししてみると、ちゃんと電源が入った。
しばらくの後、携帯が立ち上がると私達はアドレス帳を開いてみた。
そこには、やはりひとつの電話番号が残ってる。山田さんにご自身の番号ではないか確認すると今まで番号は変えた事がないので、自分の番号で無い事は間違いないとの事。
山田さんは残っていたアドレス帳を見て顔が青くなっていた。無理もないと思う。息子に何かある度に出てくる携帯に、消えない電話番号、そしてそれが自分の身勝手で別れた彼女の番号なのである。
わなわな震え、山田さんがこの番号を消そうと操作するも、戸惑ってしまいなかなか消せないようだ。
すると、亜賀佐が急に「なぁ、ドイル。これ、消せるか試してみてぇや!」と急に私に話を振る。いや、お前がやれよ!と思ったが、その目から発せられる凄みに飲まれて私は断ることが出来なかった。
仕方ない、この不気味な携帯電話に触りたくはないが、やるしかない、やるしかない、やるしかない、行くぞ、行くぞ!
削除ボタンが出た。これでYESと押せば、答えは出るが、もし消えなかったら、というかこれ、削除の操作して大丈夫なのか?私は後でなにかトラブルに見舞われないだろうか?出来るなら、やりたくない、やりたくないが.......亜賀佐の目が私を捕らえて離さない.......
もう、意を決してYESのボタンを押した。その瞬間、私達は画面を凝視していた。しかし、やはり、画面から、この番号は消えなかったのだった。亜賀佐も山田さんも画面を覗き込んでいる。そして、私はもう1人、この画面を覗き込んでいる人を見てしまった。山田さんの後ろから、画面を覗き込む髪の長い女の首が、伸びていた。
私はその異様な光景を目の当たりにして、驚きと恐怖で声が出なかった。
そんな私に気づいたようで、亜賀佐も山田さんも顔をあげる。と同時にその女の顔もあがったので私は女の顔を見る事になってしまった。
私はその姿から目が離せなかったが、亜賀佐の声が私を現実に引き戻した。
「ドイル、どうしたんや?」とそして山田さんが驚いたように声をあげた。
「あれ?電話番号、消えてますよ」
その声と同時に私は女の顔がすぅっと消えていくのを見つめていた。
山田さんもアドレス帳から電話番号が消えて、さっきまでの不安な顔が幾分か安心の色に染まっていた。
ただ、私1人だけが2人の知らない不安を抱える事となった。
そんな私の表情から汲み取ったのだろう、亜賀佐が聞いてきた。
「ドイル、もしかしてなんか見たんか?」と真剣な表情で言う。
私は「実は言い難いのだけど、山田さんの後ろから、その、女の首が伸びていたんだ。」と素直に打ち明けた。
そして、「多分、すぅっと消えていったから、もう大丈夫だと思う。」と私は付け加えた。

後日、私の元にハガキが届いた。
そこには山田さんと、山田さんを若くしたような、幸せそうな青年とその奥さんであろう若い女性の3人が写っていた。
私は、この写真を見て、安心した、と締めくくりたかった。
しかし、どうしてもそう締めくくるにはあの女性の顔が忘れられないのである。
そして私が気づいたあの時の違和感。
トイレから戻って来た時に感じた、あの違和感の正体。もしかしたら、この写真に答えがあるのかもと思うのは邪推かもしれない。
ただ、そう思いたくなるくらい、あの時、消えていく女の顔が恨めしさでいっぱいだったのである。
私はこの話を山田さんに伝える勇気もなく、亜賀佐にも話しはしていない。
もし亜賀佐経由で伝わると、と思ってしまい黙っている。
しかし、あの亜賀佐の事だ。きっと私が何か知っているのは承知なのだろう。あの後1度だけ、「あの顔みたら当たりやと思ったんやけど、ドイルがあの時、何を見たかちゃんと話してくれな、記事に出来そうにないわ。」と私が見たものを催促されたことがある。
私は、答えられないと伝えると、「まぁ、しゃぁないか。3流ライターの飯のタネはいくらでもあるからな」と笑いながら諦めてくれた。おそらく、彼独特の「オカルト的」発想で記事にし、この話も「ネットにでも残れば御の字やと思う」と、以前話してくれた様に割り切ってくれるのだろう。
私は、モーニングのピザトーストを食べながら、出勤する人たちで賑わう道路を喫茶店の中から見ていた。



こちらは朗読用に書いたフリー台本です。
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