アイスコーヒーが飲み終わるまでに

駅前の喫茶店でアイスコーヒーを飲みながらあいつが来るのを待っていた。
時間は朝10時を少し回ったところ。
道路に面した大きなガラス張りのところにある席に座りながら、通勤の人通りが落ち着いた街中を時々、目配せしながらあいつを探してみたりするが見つからない。
毎回毎回、あいつは遅れて来るのに律儀に時間通りに来る自分に少し呆れながらも、先日あいつから送られてきたメールを改めてチェックする。

「また面白そうなモン手に入ったからいつもの喫茶店で10時にな。」

その一文と共に添付されていたのが奇妙な写真である。
崖の上なのだろうか、カメラを覗き込む男性を真正面から捉えたモノで、こんな場所でこんな写真を撮るには、おかしいと言えばおかしいのだが、仲間内でふざけて撮ったと言えばそれだけの話な気もする。
ただ、あいつが呼び出して話をするというのだからそんな単純な話ではないだろう。
しかし、もう少し可愛げのある文面でメールを送れないものだろうか、と思う。最初の頃はもっと丁寧だったのにな、と思っていたら突然、影が差した。
影に顔を向けると、ガラス越しにあのニヤついた、いつもの笑顔でこちらに手を振っている。
いつものあいつの登場の仕方だ。
あいつ、亜賀佐(アガサ)はそのまま店にはいると、こちらの向かいの席に座り、ウェイトレスにいつもの様に「冷コー1つ!」と関西風に注文する。なんでも彼も、彼の父親も関西人だとかで、アイスコーヒーと言えば冷コーなのだと、以前熱弁された事がある。
また、ウェイトレスもいつもの注文の仕方に慣れた様子で、さも当たり前のように注文を受けるとそのまま下がっていった。
さて、彼のアイスコーヒーを待つ事無く、彼から例の写真に着いて話が上がった。
「ドイルはもうチェックしてくれてると思うんやけど」と、彼はいつもの様に私の名前を呼んだ。
私の名前が土居 琉衣(どい るい)なのをもじってドイルと呼んでくる。慣れというのは凄いもので、最初こそ恥ずかしかったこの呼び名も、今となっては普通に受け入れてしまっていた。
彼が「あの写真の違和感、わかった?」といつもの様に、彼独特のニヤニヤとした顔で、こちらを見ながら亜賀佐は聞いてくる。「その表情やと、わかってへんな」と満足そうに彼は言ってきた。
その顔に反論するように「崖の上の男を真正面から撮るってのはおかしな構図だが、これくらいならふざけて撮った写真と言えるだろ?なにが奇妙なんだ?」と私は素直に問いただす。「そりゃ、この1枚だけならそう感じるわな。」と彼はジャケットの内ポケットから封筒を取り出す。
彼はいつもこういった回りくどい話し方をする。素直に結末だけを言ってくれたらいいのに、といつも思うが亜賀佐のこの小出しに情報を出してくる感じは嫌いじゃない。
そして彼が出してきた封筒の中には添付されていた写真とそれ以外にも写真の束が入っていた。
「これはとある崖の上でな、カメラだけが置いてあって、その中のデータを現像したものなんよ」と亜賀佐が話す。
「撮影されたんがかれこれ10年以上前みたいで、たまたまどっかのオカルト雑誌の編集が持ってたSDカードのデータを拝借してきたんよ」と説明した。
彼がなぜこんなものを、と思ったが彼の仕事がライターだとかでいつもこんな変なものを見つけては私に話をしてくれる。その反応を見て面白い記事になるか判断するのだと以前に話をしてくれていた。
私としては毎度、奇想天外な話に付き合わされているが、これでも物書きの端くれなので彼の話は私の創作のネタにさせて頂いてるので助かるのも事実である。
「まず、この写真見て」とさっきまでのニヤニヤした彼独特の顔から、やけに真剣な表情へと変わる。亜賀佐が1番上の添付されていた写真を束の後ろに回し、次に出てきた写真は崖の上に立つ女性の写真である。
何となく、この構図は嫌な予感がする。そして2枚目をめくると先程よりも少し拡大された女性の写真が写されていた。
「おい、これは……」と言いかけた私の言葉を遮るように亜賀佐は彼の口の前に人差し指を立てた。その目には、黙って見てろと言わんばかりの凄みがあった。
その凄みに飲まれてしまったようで私はその目線を写真に戻した。
そして案の定、私の予想した通りその写真を1枚、1枚とめくっては束の後ろに戻すというふうに見ていくと想像した通りの、そして期待外れであって欲しい現場が写されていた。
そこには少しづつ大きくなる女性と少しづつ崖の先に進む姿、それらがまるでパラパラ漫画でも見るかの如く見せつけられる。
なぜ、こんな写真を見せられているのか?最初の写真となんの関係があるのか?私の疑問が大きくなるように写真の彼女は大きくなり、そして崖の先に進む。
そして彼女はあと一歩進めばもう海にその身を投げ入れるんじゃないかと言うところまで来ていた。その頃には彼女の表情も分かるくらいに拡大されている。望遠レンズで撮影されていたのだろうその写真は、その彼女の姿を刻々と撮影していたようだ。
その彼女が海を見つめていた数枚の写真が続いた後、私はあっと驚いた。そこには予想だにしていない1枚があり、これが驚きと恐怖を私に与えたのだ。
なんと、私は女性と目が合ってしまった。
この海を見つめていた女性が、突然こちらを向いていて表情という表情はなく、ただ感情も何も無い瞳が、こちらに向けられていたのだ。
そんな彼女と(正確には写真だが)目が合ってしまった。
なんというか、この生々しい感触というか彼女の視線が私の恐怖を掻き立てたのだと思う。
そして、次の写真では女の顔はまた海に目を落としていた。まるで最初から海を見ていたように、前の海を見つめていた写真と寸分違わない格好をしている。そしてまた、1番最初の写真に戻っていたのである。
私が全ての写真に目を通した後、亜賀佐はこう話を進めた。
「さて、この写真なんやけど、実は撮影された順番ってのがあって」と、ここで彼が頼んでいたアイスコーヒーと伝票が届く。
彼はシロップとミルクを入れながら続けた。
「実は1番最初の写真、この写真の中では1番最後に撮られた写真みたいなんよ」
1番最後?と私の中で大きな疑問符が出た。つまり、この1連の流れでは女性が崖の先に立った後に、カメラを撮る男を真正面から撮影した事になる。そしてまた女性の写真に戻る。なんの脈略もない。なのにこんな写真がここに入り込むのはなぜか?そんな疑問を浮かべていると彼は「ドイルもこの写真の奇妙さに気づいてきたかな?」と彼独特のニヤニヤ顔が戻っていた。
「ちなみこの写真なんやけど、どこで撮影されたか想像つく?」と彼は続けた。私は何となくだが自殺の名所かなと思った。
「なんとなくやけど、自殺の名所って思ったんやない?」とこちらの顔を見ながらニヤニヤしている。なんだか、この顔が人の心の中を覗いているのかもと思うと私は不快に感じ、それがまた顔にでも出たのだろう「そんな嫌そうな顔すんなって」とたしなめられたのがまた気持ちのいいものではなかった。
しかし、彼はそんな事お構い無いようで、こう続けた。「〇〇県にある、あの岬。君の想像した通りの場所やね。」と続けた。そして彼は「この写真、恐らくやけどこの女が居た所から撮られたんちゃうかな?」とまた予想だにしない事を言い出した。「ほら、この女とこの男のサイズというか大きさ、結構同じくらいの大きさやない?」と女がこちらを向いている写真と最初の写真を見比べると確かに同じくらいの大きさだと感じる。そして彼はさらに予想だにしない事を口にした。
「これ、お互いがお互い見つめる形になるやん?てことはその時の女の目線で写真撮ったんやないかな?」
私は一瞬、彼が何を言ってるのか分からなかった。
その気持ちがそのまま顔に出たんだろう、亜賀佐は満足そうな顔で私の顔を見て「ドイルはほんとにええ顔してくれる」と満面の笑顔を見せてくれる。それがなんとも腹立たしいと感じる。が、彼の話す成り行きが気になるのも確かなのでここは彼の話を促すことにする。「亜賀佐、君はこの女性が見たものが撮影されて、このカメラのデータとして残ったというのか?」すると彼独特の顔で「そういうこと!」と答えた。なんとも奇妙な話である。「ドイルは念写って言葉、知ってる?カメラに念を送ると見たことない景色やその人のイメージが写真として残るってやつ。」
確かに念写という言葉は知ってる。漫画や小説のネタとして使われるアレだ。「しかし、そんなおかしな事を君は信じるのかい?」と亜賀佐に促すが彼はハッキリと「いや、そんな事あるとは思ってへんよ?でも、そうした方がオカルト的で面白いやん!」と根も葉もない事を言い出した。彼はいつもこうだ。しかし、こんな発想をできる彼が羨ましい。「でないと、この後の事が説明できひんのよね」と彼はさらにもうひとつ、封筒を出してきた。
また彼の情報を小出しにしてくるこの感じ。ほんとに回りくどいと思う。
「これも写真やねん。さっきの写真の束の続きや、これは正直ショッキングな写真やから見せにくいんやけど……」と今更言いながら数枚の写真が出てきた。それは言葉のままで、その後の彼女が写されていた。それは崖の上から海に吸い込まれる瞬間が写されているだけだった。確かにショッキングではあるがこれが何を意味するのか、という事の興味の方が大きかった。
「そろそろ結論に行こうか。つまりこう言う事やと思う。多分、このカメラマンは海の写真を撮りに来たやろな。そしたらたまたま見つけたんが、この女やった。そしてカメラマンの本能というか興味が彼を駆り立てた。」と語る彼の独特なニヤニヤ顔は、また真剣な顔に変わっていった。
「そして、彼はその興味のままシャッターを押し続けた。その結果、一部始終を全て収めたんやろうけど、それが不味かった。そのまま彼は彼女に見つかってしまった。」
見つかった?見つかったとはどういう事だ?
そんな私の顔を見て、彼は何か感じたようで一瞬いつもの独特な顔をしたが、また真剣な顔に戻った。
「彼はそのまま連れてかれたみたいで、だからあそこにカメラだけが残ってたんちゃうかな?」と彼は続けた。
「つまり、そのカメラマンは……」と私が続けたところで彼は笑いだした。
「いや、すまんすまん。あくまでもこうやったら面白いかなっていうオカルト的な話やん。実際、この写真はデータとしてあったし、カメラもその場に残ってたんやけど、そのカメラマンが死んだ、なんて話は聞かへん」と彼は笑いながら言う。
なんだか私は狐につままれた気分だし、おそらく彼もそんな私の表情を見て思ったのだろう「いやぁ、実にドイルはいい顔するな」と独特のニヤニヤ顔で言う。
しかし、私の中でどうも腑に落ちないというか、気になっていた部分がある。
「なんでこの写真、警察じゃなくてそんなオカルト編集部にあったんだ?普通は警察に行くもんじゃないのか?」
「あぁ、それ?その雑誌社の人が言うには匿名で送られてきたらしいんよ。変な写真が入ってるから見て欲しいってな。多分、たまたま読者が拾ったとかとちゃう?」と、彼はさも当たり前のように続けた。
たまたま、と言えばそれだけの話なんだろうけど、それにしても変な話である。
海に飛び込む女の写真、それが入ったSDカードが警察ではなくオカルト雑誌へ、そしてその撮影者を写した写真と表情のない女の顔……全てがスッキリしない話である。何か意図でもあるのかと勘ぐりたくなるぐらいである。しかし彼は「怖い話でオチがない話なんてざらにある。だから、これはそんな話のひとつとしてネットにでも残れば御の字やと思うんよ」とまた私の表情から彼は心の中を覗いたかのようにこう締めくくった。
私は釈然としないまま、アイスコーヒーを飲み干した。そして彼は「ま、こんな発想で記事を書いてみようと思うが3流ライターの飯のタネになるかは微妙かな?ドイルの顔見てるとそんな気がしてきたわ」と彼もアイスコーヒーを飲み干した。
そして彼は席を立ち、また何かあればメールする、と残して去っていった。
私は何か、背中に空寒いモノを感じながら得体の知れない感覚に後味の悪さを感じていた。多分、この感覚のせいで彼のコーヒーの代金まで私が払うはめになったのにすぐ気づけなかった。
彼のコーヒーから出た結露が伝票を湿らせていたのが、まるでこちらの心を覗くように伝票を侵食し、亜賀佐の、彼独特の表情を思い出させていた。

後日、彼からまたメールが届いた。その文面には「あの写真、続きがまだもう1枚あったみたい」と共に写真が添付されていた。
私は、わざわざ送られてくるこの写真の添付データをどうしても開く気持ちになれなかった。何か、これを開くと、私はとてつもない事態に見舞われると思い、そのままメールごと、ゴミ箱に入れた。その後も亜賀佐から連絡は来るが、この写真についてはもう何も言ってこなかった。
これが果たしてどんな写真だったのか?今の私には知る勇気が持てない。


こちらは朗読用に書いたフリー台本です。
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