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【映画感想文】鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎

ポッドキャスト『映画雑談』の『ゴジラ-1.0』回を聴いてくれたイニシェリン島のひさくんさんが"ゴジラに足りなかったものが描かれてる"とポストされてたのが気になって観て来ました。水木しげる先生生誕100周年記念で制作された鬼太郎誕生の秘密を描く『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』の感想です。

はい、ということで、鬼太郎シリーズですね。まぁ、ドラえもんやサザエさんと並んで国民的アニメキャラと言って間違いない鬼太郎ですが(もちろん僕も子供の頃から観てて、鬼太郎だけではなく『悪魔くん』や、『総員玉砕せよ』などの一連の戦争モノ、小学校の図書館でみつけて読んだ『のんのんばあとオレ』など様々な水木世界にハマりました。)、その原作者水木しげる先生の生誕100周年の記念作品でありながらPG12(つまり、12歳以下の人は保護者の指導がないと観られないというやつですね。これだけ国民的なアニメヒーローで。)!まず、この時点で製作者たちの気合の入り方が分かるというものですが、そもそも貸本漫画としてスタートした『墓場鬼太郎』(恐怖漫画としての鬼太郎ですよね。)のその前(前日譚)を描こうって話なので、そりゃ、エグい話になってくるわけですよ。それを気負わずブレずに最後まで作り切ったのは凄いことだと思うんです。普通、『ワンピース』だろうが『呪術廻戦』だろうがPG12つくって言われたら誰かが止めますよ。しかも、鬼太郎誕生と言っていながら当の鬼太郎はほとんど登場せずに主人公は鬼太郎の父親の目玉のオヤジ(その目玉になる前の姿)。これだけ期待を裏切ってくる設定も珍しいですけど、ただ、それでも納得してしまう作品だったっていうことなんです。

で、それが一体なんだったのかっていうのが上のイニシェリン島のひさくんさんのポストにも繋がってくるわけですが。えーと、まずですね、酷い話なんですよ。舞台は昭和31年(1956年)で、終戦から10年経って"もはや戦後ではない"という事が言われていた年なんですが、いやいや全然終わってなかったし、今も終わってないんじゃないですかって話でですね。哭倉村っていう山村で作られているMっていう血液製剤がありまして、その製造を龍賀家というところが一族でやってるんです。で、そこの当主が亡くなったのをきっかけに、その薬を販売する"血液銀行"で働く水木が龍賀一族の元へ送り込まれるっていうのが始まりで、この後、龍賀一族の血縁者が次々に惨殺されていくっていう横溝的展開になっていくんです(で、まぁ、山奥で一族だけで薬の製造なんてやってるところにはいろいろえげつない裏があるわけで。それに水木が巻き込まれていくという、どう考えても子供向けではないストーリーなんです。)。

で、この主人公の水木は、水木しげる先生の分身でもあってですね。もちろん、鬼太郎誕生に深く関わってくるキャラクターだっていうのもあるんですが、それは水木の戦争体験として描かれるんです。水木が体験したとされる戦争でのエピソードは、主に水木しげる先生自身の戦争体験を漫画にした『総員玉砕せよ』から取られてるんですね。特に一度目の玉砕で生き残った兵士たちが上官から二度目の玉砕を強要されて「我々と共に死んでくれるんではないんですか?」って問うシーンとか、漫画からそのまま引用されてるんです。そうやって戦争体験というものがその後の日本人(=日本)にどう影響しているのかっていうのが物語を読むうえでの重要なポイントになっているんです。『ゴジラ-1.0』に足りなかったものってここだと思うんですよ。戦争に対する恨み、諦念、それがその後の人生にどう影響して、日本がどう変わっていったのか。もう一度戦争して勝てば全て解決です。ではあまりにもお気楽過ぎるのでは…?と、『ゲゲゲの謎』を観ると改めて思わされます(もう一度戦争して勝つんだって思ってるのは龍賀一族の当主の時貞ですからね。『ゲゲゲの謎』では。)。で、この映画が面白いのは、そういう戦争体験というものをベースにした設定が、村の因習という横溝正史的世界と悪魔合体してオカルトへと昇華されていくんですよ。これ、この脚本の流れがほんとに見事で。観ながらため息出ました(わー、鬼太郎の世界と繋がったって。)。

それ以外にも、ゲゲ郎(目玉の親父)と水木のバディとか、ゲゲ郎の家族愛とか、ゲゲ郎の人間への理解とか、ゲゲ郎のバトルとか、(『ゴジラ-1.0』には一切感じなかった)リアルな昭和感とか、それまでオカルト、ホラー味全開で来たのにふいに泣かされるのとか(ここほんとにがっちり泣かされました。ごめんよ、ほんとに忘れていたよ。)、割ときっちりエンタメしてて(エンドクレジットで墓場鬼太郎第一話に繋がる感じとかもね。)。いやー、マジで『ゴジラ-1.0』くらい観られるといいなと思います。


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