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続羅生門「下人の行方」

下人は今、朝露の中、京の都を歩いていた。すると、前から托鉢の坊主が近づいてくるのが見えた。下人は思わずうつむいた。坊主は下人が着物を抱えているのを見て、この男が引き剥ぎをしてきたのだ、と知った。坊主は悟りきった顔で頷いた。
「お前はかわいそうな奴じゃ……」
下人のわきを通り過ぎながら、坊主は手をあわせた。
下人は頭がぼうっとなってしまった。熱く熱くなってしまった。
下人は着物を見た。薄汚れて、擦り切れた着物を見たとたん、下人の鼻は羅生門の臭いを思い出した。老婆の枯れた手足や肉食獣のような目を思い出した。
下人は吐き気を必死にこらえた。自分が汚らわしくて、たまらなくなってしまった。坊主を思い出し、恥ずかしくなった。
「そうだ。俺は僧になるぞ」
下人はあっさり決めた。着物を道端に投げ捨てると、下人は走り始めていた。その足取りは軽い。

その頃、加茂川の川べりを歩く坊主の足取りもまた軽かった。坊主はこういう行為が好きだった。人を救うということが…。
坊主は元々、貧しくも卑しい身分でもなかった。金はあったし、父母は健在で、美人の嫁もかわいい子どももいた。けれども、坊主はすべてを捨てて坊主になった。にもかかわらず坊主は人を救うことが自分の使命なのだ、と信じ込んでいた。
「人はなんて、むなしい生き物なのだ…」
にごった川の水を眺めながら独り言つ坊主は、砂利を踏む音を聞いて振り返った。
坊主が見たのは、背の低い、痩せた、白髪頭の、猿のようなあの老婆だった。ついさっき、坊主が救った男に着物を剥ぎ取られたその人だった。老婆は蓬色の着物を着ていた。下人ならすぐに老婆が髪を抜いていた女の着物と気づくことができただろうが、坊主は何も知らない。だけど、坊主はこの老婆が自分の救うべき人間だと直感してしまったのだ。
そんな、老婆はそんな玉ではないのだ。生きるか死ぬかの長い生活、人に頼るなどという甘っちょろい考えを持っていたとすれば、老婆は今ここにいない。なのに、愚かな坊主は言った。
「あなたのために、祈ってさしあげよう」
今日の老婆はすこぶる機嫌が悪かった。目をつむり、手を合わせる坊主を見て、老婆は腹がむらむらしてきた。
「い・の・り?そんなもん、何の役にもたたんわい」
吐き捨てるようにそう言うと、老婆は坊主を身ぐるみ剥いだ。そして、衣をはがしてみれば貧相だった男を、川へ蹴落とした。秋とはいえ、水はもう冷たく、男は息がつまり、喘いだ。
「助けてくれ~、助けてくれ~」
老婆は呆れたが、少しばかり哀れにも思った。少し考えて、老婆は言ってあげた。
「祈ってみてはどうかの?」
男はもう答えなかった。老婆は、坊主から剥ぎ取った法衣や錫杖をかき集めた。そして、質屋へ急いだのだった。

京の都に朝が来た。昨日の雨が嘘のようにあがり、青空も見える。下人は既に笠をかぶり、法衣を身にまとって、手には錫杖を持っている。下人にこれらを買う金はなかった。しかし、通りがかった質屋には仏具一式が売りに出ていた。しかも、今なら格安だという。下人はわずかばかりの金を払った。足りない分は、老婆の着物を売った金で払った。こんなこともあろうかと、捨てた着物を拾っておいたのだ。下人は仏道に入るものが…とも思ったが、朝になるまでは盗人、と割り切ることにした。

坊主は空を仰いだ。そして、羅生門へと歩いて行った。

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