分文主義~KING JIM ポメラDM200~
はい、おはようございます。とある男です。
この共同マガジン「自分と向き合う文章術」の2回目の投稿にして、いきなり話が飛躍します笑
私は、すぐに話を抽象化し、飛躍させてしまいます。
それはそれでオモロいと言われますが、飛躍させることで満足し、具体的な行動に落とし込めない。
そして、結局なにも実を結ばない。
今思えば、そんな人生です笑
ここから本題です。
作家・平野啓一郎さんが提唱された「分人主義」。
“「分人」とは、対人関係ごとに生じる様々な自分のこと”
自宅での私、会社での私、電車内での私、同窓会での私、すべて異なる私。
カジュアルに言えば、TPOに合わせた私が存在するし、それはそれで当然だよね的な。
逆にありのままの私、いつどの場面でも変わらない私。
そんな「唯一無二の私」がどこかに存在し、その自分を求めて「自分探し」する。
どこかでそんな「自分探し」が正しい風潮もあったと思います。
それが間違いだと言い切れませんが、そんな「自分探し」は自分を苦しめるだけ。
私も、そんな「自分探し」でずっと彷徨っていました(遠い目)
また話がそれてしまうので、戻ります笑
今、私はこの文章をKING JIM ポメラDM200で入力しています。
カバー画像の、ちょっと変わったデバイスです。
キーボードに、モノクロの液晶画面が付いただけプリンタなしの「ワープロ」です。
テキストを入力するのみ。
それで26,800円(高い!)
メリットは、機能がテキストの入力のみなので、他のアプリが存在せず、ただただテキストに集中できる。
通知もないし、途中で言葉をググってそのままネットサーフィンしてしまうことも少なくなる。
そんなポメラを久しぶりに起動させ、今noteの文章を書いています。
すると、いつもの私とは違う「私」に気づきました。
朝に手書きで書いている日記の私。スマホのフリック入力でSNSに投稿する私。そして、noteにポメラで入力している私。
全部、違う私なんです。
意識して変えているワケではなく、無意識でテーマや文体やポジションが変わっている。
ほな、どれかの私がウソをついていたり、どれかの私が「本当の私」なのか、と問われると困ってしまう。
全部、私です。
別にどれが「本当の私」かなんて、考えていません。
はい、これが分文主義です。
分人主義を“「分人」とは、対人関係ごとに生じる様々な自分のこと”とすると、
分文主義は 「分文」とは、書く方法、書く媒体ごとに生じる様々な自分のこと。
つまり、分文主義を意識することで、さまざまな自分に出会える、気づくことができる。
そして、その書く媒体によって、新たな出会い、繋がりが生まれる。
それが、まさにこの共同マガジンなんです。
ちょうど今、そんな感じです。
※ちょっと上手くまとめ過ぎたかも笑
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