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修士論文の審査を終えて

 先ほど、大学院生から「博士課程への進路も決定し、奨学金申請も採択された」というメールをもらった。彼は私が始めて修士論文の主査を務めた院生だったこともあり感慨深いものがある。その記念にここでは2年間を振り返ってみたい。

「指導教官になってほしい」という依頼をもらったのは昨年度のことだった。彼は留学生であった。「日本語によるコミュニケーションはできない」ということに最初は面食らったが、研究のために外国に滞在・居住することの大変さは理解しているつもりなので、引き受けることにした。

 彼は自身の興味関心に対して拘りが強かった。幸か不幸か、彼の興味関心は私の全く知らない文脈だった。必読文献も知らず途方に暮れているところに、同僚の先生にJournal of Economic Literature誌に掲載された関連文献を紹介してもらい、徐々にその文脈の「ノリ」が分かってきた。このときは「指導教官として良いところを見せなければ」という思いが強く、焦りの感情が強かったように思う。

 修士1年も後半に差し掛かると、来年度は修士論文の主査を務めなければならないというプレッシャーを感じてきた。(私の理解では)経済学の論文は、(1)先行研究を熟知した上で、(2)事実解明的または規範的な問いを立て、(3)経済モデルを定式化し、(4)それを解き、(5)その結果について直感的な説明を与えることで成り立つ。彼の書き上げる修士論文には、これらを強く要求することを決めた。

 特に苦労したのは上記の(1)と(4)であった。毎週のゼミでは、Chiang and Wainwrightの経済数学のテキストを読み、収録されているexerciseを一緒に解いた。残りの時間は既存研究を一緒に読解することにあてた。このようにゼミを運営できたのは、私にとって彼が唯一の指導院生であったことに助けられた。

 修士2年の夏頃に集中豪雨があった。テレビでは避難を呼びかける報道がなされており、家族と避難所にいく場合に持っていく荷物を確認していた。ふと彼のことが少し心配になり、英語で書かれた災害情報や避難所の案内のリンクを貼り付けたメールを送り、Skypeで話をした。「これから友達の家に行くところだ」とのことで、彼の逞しさに感心した。

 修士論文の輪郭が見えてきた頃、上記の(5)が課題になった。モデルを解いた結果を、数式を交えて文章で説明しなければならない。経済学の論文を書くのに慣れていない人にとっては理解しづらい感覚なのだと痛感した。

 修士論文の提出期間が確定した頃、毎週のゼミでは彼に修士論文の原稿を書いてきてもらい、それにコメントをすることにした。納期が3日間の査読を毎週求められるような状態になり、「しんどかった」というのが率直なところである。この頃は「彼の指導教官」というより「彼の共著者」という意識の方が強かったように思う。

 副査の先生が決まる頃、「修士論文報告会を無事に乗り越えることができるのか」という不安に襲われるようになった。学会で共同研究を報告する際、共著者に研究報告を任せ、自身は発表のプレッシャーがないものの「フロアからどんなコメントが来るのか」とドキドキしている気持ちに近かった。

 修士論文報告会が終わり、副査の先生と審査報告書を書き、教授会に上程する。私は彼の指導教官であるだけのはずだが、自分の学位論文のディフェンスをするような緊張感があった。無事に合格の承認を得ることができた。

 彼との2年間を振り返ってまず思うことは、私が大学院生の時の指導教官の先生のことである。今回、大学院生の学位論文の主査を務めることがどんな仕事であるか、その一端を垣間見た。私の指導教官も似たような気持ちになったのではないだろうかと想像する今、直接お会いできる際には改めてお礼を伝えたい。

 さて、修士論文の主査の最後の仕事として、先ほど彼からもらったメールに返信をしたいと思う。



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