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全ての道が旭川に続いていた


■旭川駅の再開発


初めて旭川に来たのは2017年でその時に惚れた。
2010年に旭川駅がリニューアルした、らしい。当時のことは知らない。来た時にはすでに新しくモダンでいい駅になっていた。駅裏も再開発されていて、まるで日本ではないかのような風景だった。

駅の裏側。2021年の写真

この写真の奥をずっと進み、陸橋の下をくぐって超えると人口池がありそこもまた空間に余裕のある、広い空のスペースが現れる↓。さらに奥に歩みを進めるとまた別の区画に広い芝生ありきの公園がある。

はじめて来た2018年ごろにスタバはまだなかった。

このスタバは世界一に輝いた富山の環水公園のスタバに似ていると、ネット上では言われることが多い。がどちらも知っている俺からすると、雲泥の差というぐらいこちらの方に軍配があがる。

旭川広域に惚れたというよりも、ピンポイントこの場所が気に入った。
で、なぜ18年ごろに旭川に来たのか。話はもう少し遡る。


■フリーの仕事で全国を回っていた


08年ごろから全国の各都市に行くことが多かった。コンスタンスに毎月2〜3都市に行っていた。住居も東京、名古屋、兵庫、京都、福岡と移り住んだ。必然的に全国の色々なところを見る機会に恵まれたし、行ったことのない土地を車移動でわざわざ通ったりもした。
17年ごろから世界一周を2回して、それとは別に20カ国ぐらいで過ごした。数ヶ月単位で半分済んでいるような生活スタイルになった。40〜50都市なり街に行ってみて、それぞれの国とか街を「住むとしたらどういうところがいいのだろう」という目線で経験してみたりした。
結果、俺にとって世界で一番住み良いのはヘルシンキだという結論になった。

その頃並行して北海道を周ってみた。仕事では札幌にしか滞在したことがなかった。ハタチの頃に3ヶ月だけ十勝の牧場にいたことがあった。それだけ。北海道は国内では北欧の雰囲気に近いのが好ましかったので、釧路、帯広、陸別町から旭川とドライブをして入った。別口で函館に行き、小樽に1ヶ月住んでみた。
つまり言いたいことは、移住を考えている他の誰かよりも遥かに多くの土地(外国含む)を見て、経験して、住んでみて、国内ではここが一番という結論になった。ということで、かなり信ぴょう性高いんじゃないか?ということ。

ヘッダとこの写真はスタバ近くの景色の冬バージョン


■いよいよ住むことになってから7ヶ月目


23年6月に旭川に住み始めた。それまでの1年は半分外国に滞在していて、帰国するまでドイツにいた。その前はイギリス。もう半分はホテル暮らしをしていた。さらにその前は京都。
夏前に住み始めてほぼ毎日のように上の写真の場所に・・・通っているw 芝生と広い空が空間の広大さを感じさせてくれ、空気は綺麗で、何より音がない

この感覚を書いて伝えるのは結構難しい。ヘルシンキも音がない。ヘルシンキは広域で音がない世界で唯一の都市だと思ってる。北海道も色々な場所、特に内陸で音がなくなる。水の中に潜ったような、あるいは雪が降りしきるとき周囲の音を吸収するような、さらにはノイズキャンセリングイヤフォンを初めてつけたときの感触のような、そんな音のない世界が繰り広がっている。

加工なしの秋の夕空@駅裏。雲がある日は毎日こんな感じ

個人的に、とりわけ自然派であるというわけではない。都会は落ち着かないが嫌いというほどでもない。むしろヨーロッパならある程度都会の方が好ましいと思っている。

夏は猛暑日になったこともあり、クーラーがない家が6割の北海道で熱中症になって死ぬ思いをした。夏は北欧にいる方がよほどいい。秋はただただ過ごしやすく、しかし瞬く間に終わってしまう。冬に入って11月には雪が降り始めた。これがものすごくしっくり来る。
雪景色を見てやってられない、無理という声をよく聞くけども、正直5℃で雨が降っている方がマイナス10℃の雪よりも遥かに辛い。雨が降っていなくても5℃よりもマイナス5℃の方が過ごし心地はいい(風がないなど条件が同じなら)。この感覚って経験していないとなかなか伝わらないようで、本州にいる人はマイナス5℃を地獄だと思っているし、道民は5℃ってなんだっけ?という感じて実感を伴わないようだ。

別の日の夕暮れ。秋


■少し話が変わるが行政のこと


旭川の駅舎と駅裏の再開発は、もちろんというか旭川市がOKを出した。ここに市の本気が見える。旭川は北海道第二の都市ではあるものの、人口は30万人。他の北海道の都市と同じく衰退路線を辿っている。という中、ここまで近未来の再開発を押すことができたのは本当に素晴らしいことで、地権者と利権の関係が薄かった(だろう)ことも関係しているのかなと思った。人口池とスタバがある場所はもともとJR(国鉄)の車庫だった場所というのもあるかもしれない。が、それでも、マンションや商業施設にもできたと思う。

小樽に1ヶ月住んだ時にゴミ分別の問題がものすごくややこしくて辟易した。分別そのものはそこまで複雑ではないものの、ルールに厳しい風というか、市民に優しくない態度が垣間見えた気がした。その後コロナになってからの小樽市の対応のようなものもやはり市民に優しくない感じがした。ゴミは日常のことなので北海道の市と町をいくつも調べたけども、当然というか町にはお金がないので(焼却場や焼却施設が旧式)分別の区分けがとにかく多い。札幌を除けば旭川と恵庭だけが市民に優しい分別になっていて、この時点で町に住む選択肢はなくなった。分別が面倒かどうかではなく、行政のスタンスや態度が市民向きなのか、利権向きなのかで住み心地が変わる。

その経験は芦屋に住んだ時にすごく感じていて、高級住宅街で知られる芦屋はしかし、よくわからないルールの塊で不愉快な思いをすることも多かった。例えば日本一厳しい看板規制が出たことがある。観光都市京都よりも厳しい。景観を守ると言いながら効果が見られたようには思わない。また、芦屋にはスタバがなかった。今でこそ出店したようだけど、スタバを市に入れない理由は「不良の溜まり場になる」という前封建時代的な理由が罷り通っていた。
だから住み心地に行政のスタンスは大きく関係すると思っていて、それは母子家庭に給付金が出るとかそういうメリットのことではなく、消極的な言い方をするなら地権者や大企業の言いなりになり、自分の利権のことしか考えない人が議会を占めているのか、そうでないのかによると思ってる。

それで結論、旭川は過ごし良いということになった。

とある深夜2時ごろ


■なんとなくの結論


たまたまその土地に生まれたから「自分の土地が一番」という、よくわからないクレイジーな考え方は好きではない。仕事柄恵まれて色々なところを見る機会があったと思うし、外国に短期滞在するだけの条件もあったと思う。だけど、誰にとってもその人に合った土地はあって、それは他の何かがそうであるように、当てて感触を経験してみないとわからないことなんだと思う。

隣町に移動できない、という中世には世界中でどこの場所でも常識だった考え方は、実のところ現代でも人を縛っている。どこに住もうが「いいところを見つける」ことはできる。でもそれを理由に「自分にとってふさわしい」とはならない。どこに住んでも良い理由があるなら根拠にはならない。
多くの人が生まれた土地や、進学や就職などで移動した土地に長く住み、そのうちそこが終の住処になるのだと思う。この「当たり前」は実はかなり貧しく哀しいことだと思っていて「人の可能性を封じてしまう」ぐらいのことだと考えている。
誰でも、少しでも楔を入れることができ、自分にふさわしい土地に住むことができたらいいのにと思ってる。


#この街がすき

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