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04.4人の卓越した接客者

私がはじめて卓越した接客者に出会ったのは2001年のことで、それまでは「卓越した接客者」というものが世の中に存在することさえ知らなかった。
この年2人の人物に出会った。
1人は、既に書いたオステオパシーの先生で、もう一人は幼児教育と親子のカウンセリングを行っている先生だった。

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2人とも仕事に必要とされる様々な技術を使うが、技術者として優れていることではなく、あくまで接客者としての切り口で優れているところを取り上げていると考えてほしい。
それまで「卓越」を目にしたことがなかったため、最初私は、2人とも「素晴らしい」先生であり、「素晴らしい」接客者だと思い込んでいた。
または人間的魅力のある人だなと思っていた。

それからたっぷり2年が経った2003年頃になってようやく、彼らは普通の「素晴らしい」接客者とは何かが違うと思いはじめた。
それは多分に感覚的なことで、表現が難しいのだが、尋常でない何かを持っていることに気づかされた。

オステオパシーという治療法を使う先生は40代の男性で、その道20年の経験があった。
その頃私が不思議に感じていたことは、2年前と同じ技術を使わなくなっていたことだった。
しかし完全に使わないのではなく、必要に応じて使い分けていた。
既に高い技術力(私の8年間の苦痛をわずかな期間で完治させた技術力)が、さらに磨かれていた。
間違っても以前の能力が低く、レベルが高くなったために以前の技術を使わなくなったのではなかった。

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むしろ技術者である以前に、先生ははじめからたとえばお腹や胸の上、あるいは足に手を当てただけで、今何がどう悪いのかの関係性を見ることができた。
頭に手を当てれば脳、神経、頭蓋骨、脳髄液の何をどのように調整する必要があるかを読み取った。

感じたことが技術の変化だけであるのなら、単に技術者として私たち素人が伺いすることができない高いレベルで精進し、より優れているということになるのだろう。
しかし変化は私自身にも起こった。

私は私の体の微妙な変化に敏感になっていた。
どうしたわけか「今日は胆嚢の働きが悪い」「今日は右の腎臓が上がっている」などと理解できるようになってしまった。
体の関係性も手に取るように理解できるようになった。
その日の肩こりが、肝臓が悪いために筋肉が引っ張られて痛みが出ているのか、視神経の疲れが影響しているのか、根本的な原因がわかるようになっていた。
これは不思議な体験だった。

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確かに、多少なり知識を教えてもらったり、自分でできる呼吸法を教えてもらったりすることはあった。
大きくうなずくような話をしてもらったことも数多くある。
しかしそれでこのような自覚症状が出たとは到底思えなかった。
これは一体何なのか?おぼろげな形が見えてくるまで、さらに3年を必要とした。
相手の何かを本質的に変えてしまう、あるいは影響を与えるというのは、もう一人の卓越した接客者でも見られた。

幼児教育の先生は40代の女性で、彼女はいつも四方山話をするように子供たちやお母さんたちの話を私にしてくれた。
その話がとても不思議な話だった。

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彼女は元々、幼児向けの教育教材を販売していた。
それ以前は建築事務所で図面を引く仕事をしていた。
人に接する仕事すらしたことがなかった。
幼児向け教材販売の仕事をはじめてまもなくすると、同期の販売員はもちろん会社内においてもトップの成績を残した。
なぜそれほどまでに販売することができたのか。
私は一度そう質問したことがある。

「(お客さんが)みんな電話で相談してくるから」
「子供や家庭で悩んでいることに、相談に乗ってあげただけ」

拍子抜けするほど、販売の秘訣でもなんでもない答えが返ってきた。
トップセールスマンを研究したことのある人であればわかると思うが、このような回答はトップセールスの世界の中でもかなり珍しい。
彼女は販売の仕事を通じて知り合ったお客から頼られた。
お客は彼女に「販売員を辞めても相談に乗ってほしい」とせがまれ、事実販売員の仕事を辞めてから幼児教育のカウンセラーを自分ではじめてからも懇意に相談に乗った。

私はこの話を聞きながら、なぜそれほどまでに人が慕い集まってくるのかということが気になった。
あるいは、人に甘えない自閉症の子が彼女にはすぐになつき、あるお母さんから電話で「子供が白いご飯を食べない」という相談を受けた彼女が、その原因はおかずの塩の分量にあると断言できたのか。
通常の考え方では説明がつかないことが次々起こっていることに気がついた。

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超感覚と呼ぶしかないようなことすらあった。
ふと、あるお母さんの顔が思い浮かぶと彼女はすぐに電話を入れる。
思い浮かんだお母さんが、不安を抱えているのではないかと心配になるという。
すると決まって相手は「ちょうど相談したいことがあった」と話すのだという。
それでいて当人はそれが特別であるとも、特別なことをしているという気もなく、ただ「最近の話」としてうれしそうにそのような話をする。

これも全く不思議な話だった。
しかし明らかに「素晴らしい接客」とは何か違うことをしていると感じた。

2003年という年は、私がこの2人の卓越した接客に気がついた年でもあるが、別の2人に出会った年にもなった。
1人は若い頃にフランスで修行をした男性の美容師で、現在都内に3店舗の美容室を構えている。
オーナー社長でありながら、現役の美容師として腕を振るう。

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私は中学生の頃から美容室で髪を切ってもらうようになり、クセ毛に悩んでいたこともあって、当時からヘアアイロン、整髪料、ヘアケア製品などを欠かしたことがなかった。
ヘアカタログも必ず買い、髪についていろいろと勉強もした。
海外に住んでいた頃も日本人の美容師を探し当て、希望する髪型になるように切ってもらっていたし、毎日の食費に事欠くような貧乏時代にもなるべく安く腕のいい美容師を求めて探し回った。

始めて東京に住んだときは、腕の良い美容師を探して何軒もの美容室を試しては失望し、それを3年繰り返した。
そしてある日、たまたまその美容室に行き当たった。

最初の日のことをありありと覚えているわけではない。
しかし、既に2人の卓越者の不思議を感じていた私は、その美容師から同じような空気を感じ、違和感を持った。
「素晴らしい接客」では説明できないと思った。

そして数回カットをしてもらうと、また不思議なことが起こった。
私はいつの間にか髪型の希望を言わなくなった。
ただその美容室に行って座るだけになった。
必要な時にだけ美容師が「この先半年、1年で髪型をどのようにしたいのか」などと抽象的な質問をすることがあっても、いつもされるがままに切ってもらうようになった。
そしてカットが終わると、毎回ため息が出るほどフィットしていることに驚いた。

断っておくと、私は美容師泣かせのお客である。
髪やカットの状態にはこだわりがあるし、手抜き、中途半端はもちろん許せない。ある程度技術を見抜く力もあるし、カットが素晴らしくてもセットが多少乱れるだけで不快になる。
そんな私が、この美容師を前にして借りてきた猫のようにおとなしくなり、不満など覚えたためしがないのだ。
それは私だけのことではなく、私が紹介する他のお客にも当てはまっているので、主観一辺倒というわけでもない。

最後の1人は、ビジネスを通じて知り合った30代の女性で、その当時彼女は、英会話ビジネスを行いたいと考えていた。
元キャビンアテンダントで、引退した後は通訳、翻訳の仕事、キャビンアテンダント受験の先生など、多岐多才ぶりを発揮していた。
仕事はなぜか向こうからやってくるものであり、引く手あまただった。

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紆余曲折を経て彼女は出産し、それによってビジネスを行うことは断念したものの、現在は再びキャビンアテンダントに返り咲いている。
キャビンアテンダントは既にご紹介した3人とは異なり、基本サービスを直接提供する接客ではない。
トータルサービスをコーディネートする接客である。
基本サービスは飛行機とパイロットが提供する。

私はトータルサービスをコーディネートする接客の経験が10年ほどあり、かつ百数十回のフライトを飛んでいるので、キャビンアテンダントの接客を受けたことも決して少なくはない。
直接には彼女の接客を受けたことはないが、日本人ではじめてヴァージンアトランティック航空で表彰された実績がその実力を証明してくれる。

ただし、この時点ではまだ「素晴らしい」接客の可能性がある。
私が彼女と付き合う中で感じた不思議と確信は、人間関係の交友の広さと深さの両方を併せ持つことだった。
それはただ単に仲の良い友達が多いというレベルではなかった。
気の合うおしゃべり仲間は全国(国外にも)におり、高校時代の友人とも元の航空会社のキャビンアテンダントとも関係が切れずに親しくしている。
それでいて浅い関係は浅く、狭い関係は狭く持ち続ける。
ほとんどの人が一度彼女と知り合うと、なぜか縁と関係が切れることがない。
たとえ5年間連絡が途絶えても、ほとんどの関係は全て復興される。

実際、私は彼女のスモールビジネスを手助けしていて、あるキャビンアテンダントのサイト運営を手伝っている。
そのサイトは、これからキャビンアテンダントを目指す人へのテストのヒントや、現役・引退両方のキャビンアテンダントのコラムなどが紹介されている。
彼女はその中で自分の経験を綴ったブログと、これからキャビンアテンダントを目指す人向けのコラムを書いている。
そして、それらの情報については特に質問などを受け付けていないにも関わらず、サイトに関するお問い合わせのページから、彼女にアドバイスを求めるメール頻繁に届く。

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その問い合わせのメールに対して、丁寧に回答をした結果、感謝のメールを頂くことはよくあるのだけども、その後希望する航空会社に受かったのか落ちたのか、落ちたのであればこれからはどのように自分の道を歩もうと考えているのかなどの詳細が書かれたメールが定期的に何通も届く。

それはお世話になったお礼や、先生に対する敬愛のメールではなく、親しい友人が感謝をしながらも近況をお知らせしたいという感じのものである。
こういうことが当たり前のように起こる。
それも頻繁に起こっている。
この人間的魅力が、不特定多数のお客に発揮されるとどのようになってしまうのだろうか。
想像しただけで空恐ろしさすら感じさせる。
そこにはやはり、単純に「素晴らしい」で片付けることができない何かがある。

これが、この4人をして、私が「卓越した接客者」であると認め、「卓越」を考えるきっかけとなった理由である。
多分に感覚的な判断を含む。
しかし彼ら、彼女らは一様に「とても素晴らしい」「感激した」では済ませることのできない「何か」を持ち合わせている。
私の主観はもちろんのこと、実際に彼らの実績がそれを示している。

それは同じように満足した、感動した、嬉しかった、ありがたく思うなどの言葉でも言い表すことはできない。
あえて言うのであれば、ある種の畏れ、敬服、奇跡すら感じさせる何かである。
説明のできない何かがある。

それが一体何であるのかは、このトピックスを読み進める上でひとつひとつ明らかにしていくけれども、ともあれ、まずはこの4人が「卓越した接客者」の基準であるということを知ってほしい。

また実例の一部には、この4人ではない別の接客者のケースを取り上げることもある。
これは「卓越」を生みだす全ての条件を満たしていないため、完全に「卓越した接客者」であるとは言い切れないものの、ある要素においては「卓越」していることが明らかなため、実例としてのみ引用することにした。

しかしまだ「卓越した接客者」のイメージがうまくつかめないかもしれない。
そこで大リーガーとイチローの関係を思い浮かべてみてほしい。
大リーグはご存知の通り、世界の野球の頂点に君臨する。

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チームは全部で30チームある。登録選手枠などもあるが、ここではわかりやすく9人で試合をすると仮定する。
すると270人のプレーヤーがいることになる。
この270人は、一流選手である。

では、イチローは他の選手と同じく、ただの一流選手だろうか?
素晴らしい選手なのか、卓越した選手なのかどちらなのだろうか。
おそらく卓越した選手という答えが正しいだろう。
彼は結果も記録も秀でている。自己革新をし続けている。
活躍し、お客にパフォーマンスも提供する。
何より多くの人から愛され、応援される。明らかに他の大リーガーとは一線を画す。
これが「卓越した接客者」のイメージ像である。

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前話: 03.「素晴らしい接客者」と「卓越した接客者」のイメージ像
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