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09.「限定された理論」と「なってしまう体系」


理論体系に絶対的な真実はありません。
せいぜいその体系がもつ本質ぐらい。
そして本質は万能ではない。

理論、というのは筋道のことです。ルートやルールのことでもある。
何も筋道がなければ路頭に迷うしかないところに、一定の基準を作る。
基準を作ることで今までランダムだった動きに、統一感が出てきます。

統一感が出てくると、その筋道・ルートを通って物事を進めた方が確実で早いので
理論をマスターしてその通りに進めようとする人が増えます。

当然のこと、早く確実な理論ほど採用されやすい、反面
確実すぎる理論は一度波に乗れれば長期間採用され続けます。

理論の筋道を守る人が増えれば増えるほど、不整合が顕わになります。
なぜなら、理論体系という物事自体が、
早く確実な方法を求めるので、

早くなく確実ではない方法を避けるので、

早く確実な方法だけを求め、本質を無視し、スキルに走る人が増えるからです。

それが起こったとき、理論のほころびが生じます。

理論は最初から限定されている、と知っておくことです。

普遍の論理がどうのこうの、とか
絶対的な法則、とか
これをやれば成功するとか、
世界は幸せになるようにできているとか、

理論を上手く扱う人は、そういうウソをつかないことです。

成功法則やスピリチュアルを扱う人は重々気をつけることだし、
健康管理系の人にも、とてもこういう人が多い。
西洋医学が正しいとする人もそうだし、代替医療かぶれも同じです。

何かが万能だと思ったその瞬間に、全てのことはダメダメです。

だから、理論を扱う人は、
それが適用できる人とできない人、
できる場合とできない場合、
できる場所とできない場所、
できる時とできない時、
というようなことを散々突き詰めることです。

これをやらないなら、理論を使う風上にも置けないということです。

理論という筋道がなければ、ただただ路頭に迷うだけなのだから、
理論は必要です。

理論を作る人が意識することは、
「なってしまう」体系を目指すこと。

「なってしまう」体系を作ろうとしている中に、
「する」という物事が当てはまって行くということはあります。

「なってしまう」がベース、優位。
そして「する」というのは補足であって、なるべく少ない方がいい。
ただ、筋道なのだから「する」がない「なってしまう」ということはあり得ません。

論理体系のほとんどは、最初
1人か2人の天才によって、直観的に作られます。

物事を本質的に見て、「おぉ、これはこういう風にできているではないか」という発見から
大枠の枠組みが見いだされます。
その枠組みの根本的なルールが、「なってしまう」から作られます。

あとは、世の中にある現象とか事実をそこに当てはめて体系ができます。
当てはめる物事は必ず「する」物事で、
だから、

枠組みという本質ではあるけどもひとつのルールに対して
誤差があろうが、ちょっと違うかろうが、当てはめるしかない
ということになります。


論理体系そのものは本質的でも、
人によって、場合によって論理にムリが出てくるのは
その論理が、体系になる時の作り方にムリがあるからです。
だから、論理体系に普遍的絶対なものはない。
あり得ない。

山羊座が王国を作るとか、蟹座は横歩きをするとか、普遍的ゼッタイではあり得ないということです。

ただ「なってしまう」体系というのは、概ね、大枠、正しいことでもあるのだから
全体像という意味では採用していいのです。

他にも論理体系という全体像があって、それも採用していい。
論理体系と論理体系が矛盾したら、整合性を自分の頭で考えることです。
むしろ、矛盾することを想定して論理体系の本質を知っていくことです。

それをせずに、
目標を紙に書いて貼っておけば成功するとか、
人はみな、ハイアーセルフと繋がっているとか、
油はフラックスオイルを使えばいいのだとか、
そういう浅いウソをつかないことだということです。




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