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【本質コラム】レオニダスとは300。中核の資質のひとつに「勇気」がある #031


■レオニダス王


かの有名なスパルタの王。正確にはレオニダス一世で、別に二世もいる。
ペルシャが圧倒的戦力で攻め入り、スパルタでは降伏する意見があった。に対してレオニダス王は精鋭300人を率いて7000に対峙(物語が膨らみ2、3万とか20、30万とか言われることもある)。「300」は映画にもなったので知っている人もいるだろう。
300人でペルシャの軍勢を追い返し、スパルタの矜持を見せたということになっているが、レオニダスは戦死したらしい。

当時の常識と知覚はわからない。だから判断はつかない。ジャッジもできない。
だがわかっていることもある。300人で7000人に立ち向かうのは恐怖だろう。恐怖は訓練と慣れによって一定まで克服できることもわかっている。スパルタというぐらいだから、厳しい訓練によって心身ともに鍛えられていたのだろうと思う。
それでも本能では恐怖心があり、それに打ち克つために勇気を上乗せしたのだろうと思う。あるいは矜持のために死の覚悟をしたかもしれない。


■勇気の資質


いずれにしても。
マイナスの感情とは別に、それを凌駕する勇気を持っただろうと思われる。
資質、つまり自分らしさの核になるものには種類がある。「核」かつ「複数」ある。勇気の資質は中核のひとつであり、形やカラーは違うし分量の大小もあるが、誰にでも備わっている。

勇気(の資質)とは、常に可能性に踏み出すという場面で使われる。
人には個性があり、人生にも個性がある。個性ある自分を有効に扱うことを『一次』と言い、一次を形作るのに勇気の資質は大きく関わるポジションに位置する。

つまり、レオニダス王と300人のスパルタ人がそうであったように、勇気と恐怖はワンセットでコインの裏表だ。
安心し切った物事に踏み出すのに勇気は必要ない。勇気が必要とされる場面は必ずある。数は多くないが、反比例して重要度は高い。機会が少ないのに重要なのだからこそ恐怖心が生まれる。そして「少ない機会」「自分にとって重要なこと」に踏み出す場面での原動力が勇気だ。

ほとんどの人が、それも安全が約束されている現代日本人のほとんどが、勇気を知らないまま年齢を重ねる。一生触れずに済む人もいる。つまり明らかに不幸な状況に置かれている。
安心、安定、安全が確保されているので勇気を振り絞る必要がない。しかしそれは状況のことを言っていて、全体の通念の話だ。個性ある個人の、あらかじめ備わっている勇気の話ではない。勇気をどう扱うと自分を生かすことができるのか?と考える人は少ない。彼らがもしその話をするなら、それは勇気についてではなく恐怖について話す。そして「そのような恐怖は避けるべきだ」という社会に決められた答えを自分の保守のために使う。
結果、勇気の資質は死ぬ。
資質である以上、それは自分であり、個性であり、かけがえのない灯火なのだが「そういうの結構です」と自ら火を消す作業に躍起になる。

勇気とは、そのような蛮行、所業でさっさと消されるべきものではない。


■恐怖はなくなり、勇気が続行される


恐怖を乗り越えろ、などと言っていない。
勇気を振り絞れ!とも言っていない。
言っていることはこうだ。「自分に備わっている宝を無碍に扱うな」。まして抹消しようとなど決してするな。

自分には自分の個性に合った、特別な形とカラーの勇気が備わっている。
なんでもかんでも勇気を出せば良いというものではないし、恐怖に立ち向かうために使うばかりのものではない。
勇気の資質は、自分を未知の可能性に向かわせる。その一点のために存在する。なぜ未知に向かうのか?というと、これはもう「そうできているから」としか言いようがない。
そもそも未来は完全に不確定だ。我々が安定だと思っているものは高い確率で幻想で、信じていることとそうであることはイコールではない。

イレギュラーは起こる。いくら準備をして、プランを立ててもその通りにはいかない。引きこもって安心を買っているように思えても、その考え方やり方自体がリスクを増やすことはいくらでもある。

なら、事が悪化する、あるいは確率的に問題が起こる、または陳腐化していつか必ず破綻する、ことを待つよりも先に、より良いモノ、コトに向かって踏み出した方が実は良いのではないか?という働きが起こる。
脳がない植物にも起こるし(長い年月がかかる)歴史上どこを見てもそう迫られる場面があり、遅れを取った者や安全だと信じた者が憂き目を見る事があるとわかる。

勇気の資質はわれわれを、とりわけ自分自身を次の安全な場所、またはこれまでよりも良い場所に連れて行く唯一の原動力だ。成果を追い求める「力の資質」と似ているところもあるが実際はまるで違う。

たとえばスタバの新商品が今日から販売される。
もちろん飲んだことはない。誰かのレビューもまだない。あまり美味しそうにも思えないが、逆に不味いわけではないともわかる。
小さなことで言うなら、この商品を注文する事が勇気だ。失敗したところで大した痛手もないが、その痛くも痒くもないことに人は過剰な恐怖を覚える。この「過剰さ」が「資質」を殺す。

そして痛みを避け、恐怖を感じなくすることが良いことだと自己洗脳し始める。
違う。自らに備わっている勇気をさまざまな形で出すことを覚える。新商品を注文する。10回に1回しか良い結果にならないかもしれない。だが続ける。続けること自体、勇気の資質を使う必要がある。
そうすると100回に10回良い結果がゲットできる。10回分の結果を観察してみると、何やら自分だけに当てはまる法則や特徴があることがわかる。他の90回にはそういう様子は見られない。

なら次は勇気の資質をその10回に当てはめてやってみるようにする。特徴ある未知に踏み出す。すると8回に1回、5回に1回と踏み出した結果が良くなることがわかってくる。
これができるようになると、未知に踏み出すことはもはや危険行為ではなくなり、危険でないなら恐怖心を感じることはなくなる。しかし勇気は続行される。それが勇気の資質の使い方だ。


■勇気は人に与えられた特権


安心を求めるのも人の性だろう。それはいい。
恐怖を避けようとするのは全生物に共通したパターンだ。それもいい。
だが勇気は全生物ではなく、人間に備わった魂の鼓動だ。人間は他の動物と比較して意識できる力が高い。この意識の力は勇気のスピードを上げる。

普通、生物は、あるいは進化は、勇気の資質とともに徐々に進む。ほぼ全てを占めるのは安全と保全であり、それが保証されてなお怯える。そのためどの生物もポジティブよりネガティブに反応するような作りになっている。

だがその作りの中のひとつに勇気の資質がある。
他の動物は勇気ありきで行動できない。脳なりシステムなりがそうなっている。それを考えによって、訓練によって、希望によって打破させるには意識の力でそう持って行くしかない。そして人間にはそれができる。
そうすることがもう勇気そのものであり、自分を生かすということに直結する。レオニダスを玉砕の愚か者だと思うのは違う。逆に素晴らしい英雄だと思うことも違う。勇気の資質を十分に使った人として尊敬できる人だと思う事が最も近いと思う。


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