見出し画像

女生徒→女

角川文庫の太宰治の『女生徒』読んでいる。短編集だ。若い女の子の語り、もしくは若い女の子の時の話がたくさん載っている。最初に太宰治の短編「女生徒」を読んだ時は、なんて私の心そのままなんだろうと感激した。乗り物に乗ってどんよりするけど、降りたらけろっと戻ったり、親孝行について悩んだり、子供でない!と言い切りたいけど言い切れない自分に腹が立ったり、そんなところが時代は違うけれど、女の子の私がそのまま書いてあった。電子書籍の青空文庫から読めるようになっていて、授業中も辞書で単語を調べるふりしてずっと読んでいた。そして改めて「女生徒」はじめ、太宰治の書く女性の話を読んでいるのだが、なんだか私と遠いところにあるように感じてしまう。絶対に私の一部分であった女生徒のところが自分にない。それどころか手の届かないところにある。彼女たちは一貫してまっすぐである。揺れ動きながらも、進む方向は定まっている。たくさん揺れ動くけれど意志があって、絶望と希望がある。自分の言い分がある。決して全てがハッピーエンドじゃないのに、とってもまっすぐ生きている。苦しくもがきながら、反省を繰り返しながら、願っている。そういうところから私はもう遠い。すごく離れているわけではないが、追いつかない。達観してしまう。彼女たちに憧れてしまった。これから私の部分の少女のところがどんどん減っていくのだろう。怖いし、悲しい。でもそれもそうとも思わない日がまた、やってくるのだろう。

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?