見出し画像

悩みが深くてもビビってはダメ。どんな人生であっても自分は主役なのだと勇気をもってほしい。

自ら選択した道に悔いを残すほどの恥辱はない。

ーーーーー

2014年の今頃、
ぼくは自ら選択して無職になり、
さんざんもがき、涙し、
いろいろな方の助けを経て、
出版業界に戻ってきた。

人生にまさかな事件は起きるもので、
窮地に追い込まれたときに
何が大切なのか?何が自分を苦しめるのか?
について書いてみようと思うんです。

当時、苦しかった渦中の僕には、
背負うべきものも大きかった。
生き方へのこだわり、誇りも強かった。

ポジティブな意志で働く場を変え、
新しいことにチャレンジしてきた
体験はあっても、
ネガティブな意志で働く場を変えるどころか、
職を失うこと自体、初めてだ。


誰にも弱音を吐き出せる状況になく、
負けた姿を認める覚悟もない。


こんなはずでは…
なんとかするんだよ…


〈自分〉という存在を築き上げてきた看板を
自分で外すことほど怖いものはない。


無言のプレッシャー。
自己の弱さを見せつけられた現実。


職を失う怖さとか、
金に苦しむ怖さとか、
他人からどう見られるかという怖さなんて、
それに比べたらたいした話しじゃなかった。


孤独でしたね。
振り返るとね。


今の自分は過去の積み重ねであり、
未来の自分もまた、
いま一瞬一瞬の積み重ねが因となり作られる。


つまり、何をどう選択していくのかで
自分のこれからが決められていく。


それも、いざという苦しみの底に落とされて、
初めて今まで感じたことのない別の自分が
突きつけられるような感じ。


そのいざという局面でどう選択するのか。
運命の分かれ道のような気もする。


選択とは勇気だ。


先がどうなるのか全く読めない中で
下さねばならない選択なのだから、
成功や楽しさ以上に、
失敗と苦しみに遭う確率も高くなる。


だけど、


失敗や苦しみという風雪に立ち向かいながら
自分に本来備わっていた別の自分に気づき、
新しい自分の力を発見したりもできる。

弱さや悲しみ、
打ちのめされるような苦しみから、
新しい自分の発見につなげていく。
また、人の痛みがわかるようになっていく。
心がわかってくる。

同じ轍を踏んでなるものか!
という生きる智恵にも変わる。

今まで築き上げてきた自信や信念が、
雪崩をうって跡形もなくなる感覚は初めてだ。

悔しさのあまり泣くことしかできなかった。
泣けるだけいいのかもしれないけど。

よく、弱い自分もまたわたしなんだと
受け入れることも大切だって教わるけど、
受け入れるのは大変に難しいものなのだ。
泣けるくらい落ちなければ、
受け入れる覚悟さえ持てないのかもなって
思ったりする。


⁡* * *


21歳のとき、
親父が事故で亡くなり、
親父の再婚相手との遺産紛争に巻き込まれ、
就活を控えたプレッシャーの中で
裁判まで起こされ
陰湿な行為を受け続けていた頃。
そんな親父の死に涙を流した以来だ。


人は過酷な状況にぶつかると、
自分の内面に
負けじ魂という光を見出す人もいれば、
わたしなんて…と暗い影を見出す人もいる。

しかし、影を見出し、
忌み嫌って追い出そうとしても無理だ。
自分の背中に映る影を追い出そうとしたり、
捕まえようとしても無理なのと同じだから。


影もまた自分自身なのだから。


影の自分も自分自身。
大切な存在なんだと認め、
ありのままの自分を冷静に見つめ、
素直に受け止めてまた前に進むしかない。


弱さを認めてはじめて
言葉では説明できない、
自分だけの生き方の答えが見つかるのかもね。
そんな人が強い人なのかもね。


人生に正しい答えはない。
正しい答えは自分の中にある。


職を放棄し、弱さと向き合う選択が、
今では正しかったと断言できる。
だけどもう、
あんな苦しみは体験したくないよね。
また、そんな体験を人にさせたくもない。


自分と向き合うには勇気がいる。


そして、


いざという局面では絶対にビビっては
ならない
ということを学んだんです。


小心は、悩みを増幅させ、自信を失わせるため、
最大の欠点になってしまう。


何があっても、人生の舞台にあって、
自分自身が主役なんだ。
必ず深い意味がある。答えは心にある。
そう伝えたいと思う。


ここずっと寝不足で集中力がないなぁ…
ストレス解消に3時間一人カラオケの選択を
しました。それで、いま帰宅。
また寝不足になるという
誤った選択に後悔してますw


でも、数年ぶりのカラオケは楽しかったです。
オチがわからずこんな締め方で失礼しました(苦笑)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?