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【読書感想文】観察力の鍛え方

あなたの周りには何気ない普通の生活の中でも、面白い観点をもって世の中を見ることができる人っていませんか?

自分と何が違うんだろうと考えてみると、世の中の見方がそもそも異なり、とても高い観察力をもってものごとを見ているんだなと感じることがあります。

それでは、すごい人たちが持つ観察力とはどうやって育まれるのでしょうか。

そんな観察力を鍛える方法を教えてくれる本を紹介したいと思います。

著者はドラゴン桜や宇宙兄弟などの編集を手掛け、現在はコルク代表の佐渡島さんです。私はどちらも読んだことないのですが、佐渡島さんの考え方は非常に興味深く勉強になるので、メディアで見かけたときはたびたび見ています。

この本では普段、佐渡島さんどのように物事を見ているのか、何に気を付けているのか紹介されています。

観察力とは何か

みなさんは物事を観察するときどのように観察しているでしょうか?
この本では、いい観察について、こう書かれています。

”いい観察は、ある主体が物事に対して仮説をもちながら、客観的に物事を観て、仮説とその物事の状態のズレに気づき、仮説の更新を促す。”

まさに、いい観察の中では常に仮説検証を行っているというわけです。優秀な人の頭の中では、研究に限らず、常に仮説を立てて物事を観ているというわけなんですね。ぼんやりと何も考えず生活している人とは大違いかもしれません。

非常に良い気づきを与えてくれますが、そもそもどうやって観察を始めれば良いのでしょうか?いきなり仮説とか言われても困りますよね。
その具体的な方法は「言葉にする」ことだそうです。

私たちは頭の中で考えてもモヤモヤするだけで、考え事が明確になることはありません。そこで、言葉にする、書き出すことで、自分が観察したものを明確にして振り返ることができます。

さらに言葉にするという行動により必然的に長く対象を観察することになり、新たな発見があるかもしれません。

頭に浮かんだモヤモヤした抽象的なものを、一度言葉という具体的なものに変換し、そこから観察した対象について推測(仮説)を立てていくという流れになります。なんだか難しく感じるかもしれませんが、とにかく言葉にして、それを読み返すことで気づく小さなヒントを得ることが重要なようです。

「問い→仮説→観察」のサイクルを回す

私たちは常に自分たちの認知の中で観察を行っています。認知バイアスという言葉があるように、私たちは過去の経験や知識から偏った見方をしてしまうのが常です。

この本の中では私たちが感じる様々なバイアスを紹介するとともに、そんなバイアスと上手に付き合いながら世の中を観察していこうという話が展開されていきます。特に印象に残ったのが次の言葉です。

”観察によって、世界の見え方が変わるのではない。認知が変わることで、世界の見え方が変わる。”

まさに認知の仕方次第で世の中の見え方が変わってくるといっていますね。これは私の好きな言葉「事実というものは存在しない、あるのは解釈だけである」ともシンクロするように感じます。

私の中に落とし込むと、認知して、それをいかに解釈するかで物事の受け取り方が変わります。宗教とかではなくて考え方ですね。

そして、いい観察ができるようになると、問いが生まれ、そこから仮説が生まれます。このサイクルをグルグルと回すことで世界の解像度が上がっていくと述べています。

さて、ここまで観察力の鍛え方について、紹介してきましたが、正直「観察力の鍛え方」だけの本だったら紹介しようかどうか迷いました。というのも、ノウハウ本というのは世の中にたくさんあり、きっと他の人が書いたネットの記事の方が読みやすいだろうなと思ったわけです。

そんなことを考えながら、この本を読み進めていくと、本質は観察力の鍛え方だけではないと感じました。

見えないものを観察する

この本では途中から話が見えないものを観察するという話にシフトしていきます。ここでの見えないものというのは感情と関係性です。どんなに科学が発展してもいまだに人間の感情を正確に理解哲学的な考えに突入するわけです。

ここまで読むと、佐渡島さんがなぜ編集者という仕事をしているのか何となく感じ取れるような気がします。ここまで優秀な人なら生活に役立つプロダクトやサービスを生み出す会社の経営者にもなれそうだし、研究者のような道でもやっていけそうなのに、マンガというニッチなところに興味を持っているのか?というのはずっと謎でした。

しかし感情や関係性といった見えないものを観察しようとする。そんな人間の機微を映し出す装置としてマンガというものがあったのかもしれません。

マンガを”人間”や”世界”を理解するための1つの方法ととらえると、科学するのが難しい世界で何かしらの糸口をつかもうとしているように感じてならないのです。

あいまいさが大事

”いい観察は、問いと仮説の無限ループが起きる”と本書では主張されていますが、このループを繰り返すとわかったとと思っても次の瞬間に問いが生まれてわからなくなってしまいます。つまり、いい観察をすると永遠にわからない状態が続くというのです。

これは研究をしていても同じです。ある問い(謎)を解決したいために、実験や計算などの仮説検証を繰り返し、あるときわかったと思っても、さらなる問いが生まれます。こうして研究は永遠に終わりを迎えません。研究が終わるときは研究者が諦めたか飽きてしまった時でしょう。

この本ではこのあいまいをそのまま受け入れようといっています。実際に現代社会における正解は資本主義社会を成立するための答えでしかありません。製品には規格があってそれを満たさないものは世に出てきません。スタンダードの線引きがされるわけです。

性別はもともと男女の2つであり、学校社会ではテストの中で正解と不正解が決めつけられる、誰もが知ってるこの世界自体があいまいさを排除したものと言えるでしょう。この本ではそのような世界では決して多少性は生まれないといっています。

この本の中であいまいさを受け入れることについてさらに詳細に述べられています。全て書いてしまうと読書感想文の域を超えてしまうので、ここではこのぐらいにしておきましょう。しかし、個人的には全ての人に一度読んでもらいたいぐらいゾクゾクする内容でした。

最後に

本文にも書きましたが、私は最終章のあいまいさを受け入れる点に強く共感しました。逆に答えが決まっているようなあいまいでないものは面白くありません。

ビジネスの世界ではあいまいを許してくれないことが多いと思います。均一な製品を世に出すという行為自体が自然科学的なあいまいさに統計学を用いて真っ向から立ち向かっている構図とも取れます。

人間社会というあいまいなものが、あいまいな自然を受け入れないということに疑問を感じますが、不良品をつかまされて嬉しいのか?と聞かれれば嬉しくはないと思うのもまた事実です。

理性ではあいまいさを受け入れながらも感情ではそれを理解できていないのが未熟な私を表していると思います。

人間死ぬまで、あいまいさを理解しきれないと思いますが、そのあいまいさを愛して受け入れる姿勢が人生豊かにするんじゃないかなとも感じます。

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