僕の中の「茶番マン」

(6月9日、大幅追記)
 数ヶ月ほど前にしんどくなって登録解除するまで、僕はニコニコ動画で「Fラン大学就職チャンネル」という動画チャンネルをよく見ていた。
 チャンネル主のエフ氏は就職氷河期にFラン大から大手証券に入り、後に就職業界に移った方なのだという。
 単位が足りず9月卒業という頭の悪い理由で就職失敗し、なんとか掴めた「作家」という肩書と職業も持て余し始めた頃、僕はグサグサ刺さる的確な指摘と、一つのストーリーとしても面白いこの解説動画を楽しんで見ていた。

 途中からエフ氏は単純な解説から、就職活動・企業や社会での生き方を軸に社会風刺を交えたブラックでシニカルなストーリー動画に方針を移し始めた。
 相変わらず耳にも胃にも痛い内容だったが、ブラックなネタを生かし切る構成や台詞回し、変わろうとしない者・努力できない者・努力の方向が明後日に向いてる者・素直過ぎる者をシニカルな視点で時に滑稽に、時に恐ろしく描く彼の作風は、努力が苦手で不器用すぎる僕には厳しすぎたが、純粋に面白かった。

 そんなエフ氏の作品の中に、『茶番マン』と言う作品がある。
 多分エフ氏の単発短編の中で一番代表的な作品だろう。

「一人の力ではどうしても頑張れない」「頑張ること自体が苦しい」
 そんな青年の心の中に居る、ここ一番と言う時に頑張ることを促す『本番マン』と、都合の良い情報を並べ立てて頑張ることから逃げるように促す『茶番マン』と『本番はこれからだマン』という存在。
 この4人による青年の人生――それこそ茶番としか言い様がない人生――を巡るやり取りの話だ。

 この話は「頑張るべき時に逃げる口実を探せば、もう後戻りができなくなる」という耳の痛すぎる教訓寓話である。
 だが、当時から社会の「普通」が出来ないと悟り、肩書きと出版社から伸びた細い糸にしがみついていた欠陥人間の僕は、「自分は頑張り方を間違ったのか」「じゃあどう頑張れば良かったんだ」と問うていた。

頑張れなかった僕の十年

 就職活動に頑張れないのは確かにそうだった。
 単位落としの末の9月卒というオチが無くても、十数枚でも手書きの履歴書やエントリーシートを書くのも苦痛で仕方がなくて、それすら一次落ちがいつものことで、多分マトモな就職なんか出来なかった。
 母からは「あんたは会社勤めなんて無理だから、自分の才能を生かしなさい」と言われて、大学でも自分の小説が学内の文学賞を取っていた僕は、自身を持ってその方向に突き進んだ。

 最初の新人賞はレーベル選びも失敗して、文章も内容も見るだけで嫌になるほど酷い出来の作品で、惨敗だった。
 だけど、その次の作品は自分のやりたかった「ライト文芸」を目指して、頑張っていたのか楽しんでいたのかわからないまま書き上げ、新人賞に応募したところ、無事新人賞を通過した。

 だが、そこまでだった。
 僕の入ったレーベルはライト文芸であったが、女性向けレーベル。
 僕の書けるものも、書きたいものも、読者層を掠っていなかった。
 マニアックが過ぎた初作の売れ行きは悪く、企画立てのヘタな自分は編集氏のダメ出しの嵐を喰らい、その末に出した自分の趣味とレーベル色を混ぜた二作目や、編集氏の助けを大きく借りて別名義で出したレーベル色の濃い最後の作品もパッとしない結果に終わった。

 頑張っていないと言えばそうだろう。
 普段普通の人が働いている時間に、書けない企画書やあらすじを投げ出してネットを見ていたりゲームをしていた自分は誰の目から見ても明らかに怠けていた。
 

 頭の中には絶対にレーベルでは通らないような話が幾つもあった。
 でも失うのが怖くて、何一つプロットも切れず、設定を弄んで場面を想像するだけで手を出せなかった。

 三作目が初版絶版に終わり、編集氏に「続刊は難しい」と言われた僕は、肩書きを半分失ったも同然だった。
 同期で通った作家氏にはネットの小説賞で再デビューした人も居て、僕もなんとか再起をかけようと全く別レーベルのラノベ新人賞に向けて小説を書いた。
 頭の中の失いたくない物語を失うのを恐れて、全く新しい物語で。

 だが、結果は二次落ち。
 今考えれば当然と言えば当然の話で、書きたかったことは半分しか伝わらないご都合主義で、出した時にはもう周回遅れな残酷魔法少女の話だったからだ。
 それでもせめて欠陥さえ繕えればと落選作のブラッシュアップを試み、同時に電撃大賞――本当は一番出したかったのに、競争率の高さに落ちると思って逃げ続けた新人賞――へのプロットを切り始めた。

 ちょうど三作目が出た年に僕は発達障害を診断され、去年から僕は就労移行支援と別のメンタルクリニックに通い始め、投薬を始めた。
 ココナラでゆっくり解説の台本の執筆業も引き受け始めて、自分で小遣いを稼ごうとしていた。
 去年まで僕はまだ、自分の作家復帰や未来に自信を持てていた。

全てが茶番だった―2022年上半期

 だけど、今年に入ってから全てが崩壊した。

 年始から当時のフォロワー氏の作家界隈への提言noteを見て、作家という肩書きにしがみ付いている癖に何の結果も出せず、遠い昔に出した商業初作の話をファンのフォロワー氏と交わしていた自分が、恐ろしく醜悪な存在に見えた。
 偉そうな口ばかり聞く癖に何の結果も出しておらず、自分は新人賞のプロットすらまともに切れてないままだ。
 その醜悪さを呪って自己卑下を繰り返し続けていたら、ファンのフォロワー氏からは逆に怒られて、僕は困惑と「じゃあどうすればいいんだ」と言う気持ちでいっぱいだった。

 起床時間の改善のためにスマホをベッドに持ち込まないため、画像フォルダから「その手の画像」を全削除した。
 パソコンの画像フォルダに同じ物がある。そう楽観視してフォルダを見ると、15年前から何一つ整理されていない画像が何十万枚と並ぶ姿を見て、僕は頭を抱えた。
 あまりの画像の多さに画像のタグ付けソフトも全く役に立たず、pdf化に踏み切ったが、骨董品のような画像のpdf化ソフトとweb上の結合サービスという効率最悪の方法で整理してしまったがために、画像が潰れたり編集ソフトで整理できなくなったりと悪循環に陥った。
 そしてそんな事に熱中しすぎて、僕の睡眠時間はムチャクチャに狂っていった。
 冬から春、僕の5時寝12時起きはいつもの事だった。
 就労支援にもマトモに通えず、画像整理とゆっくり解説の台本を書く事に精一杯で、小説を書こうと至る時間にはもう疲れて倒れるように寝るばかり。
 その癖僕は空いた時間でTwitterとWikiの編集と、Googleで自分の置かれた状況の悲観と、現実逃避と、自分が生きている理由を否定する検索ばかりにハマっていた。

 そのTwitterでも、僕は自分が「正しい」のかを問われ続けた。
 「温泉むすめ」の件で僕はハンパな立場(例の一件で最初に指摘された文言は流石にマズいと言う立場)を取って、よりによって擁護意見にリプライしたために、数少ない作家のフォロワー氏に嫌われてしまった。
 今までにこういう事は何度もあって、(「けもフレ2」騒動の時には弟と喧嘩に至りかけた)僕はいつの間にか自分が意見を表明せずとも「オタクの敵」のような立場にあった。

 僕がサービス開始年からファンだった「艦これ」も22年に入ってからまともにプレイできてなかった。
 実装を待っていた八幡丸も(好感的解釈で受け入れたのに)未だ手に入れておらず、先のイベントもギリギリの資源と時間での全丙クリアと言う有様だ。
「艦これ」に失望してフォロワー氏の言葉を見て、果たして自分が「艦これ」を好きであることすら本当に自分の意志なのか。それとも惰性でそう言っているだけなのかと言う気持ちさえ湧いてしまった。
(キャラは好きだし「提督」を自分と切り離し、世界観をこねくり回して遊ぶのも大好きだが、これを果たしてコンテンツが好きと言い張れるかは怪しい)
 ニコ百では「艦これファンは犯罪者予備軍」という記事が乱立していて、僕は乾いた笑いとともに、自分の価値を貶める理由がまた一つ増えたことに暗い喜びを覚えていた。

 そんな状態で、4月の電撃大賞はプロットすら完成しないまま逃した。
 5月の講談社ラノベ大賞――去年の11月に逃した――も中盤までは修正できたが、後半の修正が間に合わずに逃した。

 もう僕はこの時点で、「自分は何も頑張れない人間なんだ」と悟った。
 結局全てが茶番だったんだと悟った。
 僕は何も出来ず、何にもなれない、ただただ不器用で、せめて持ってる才能すらも大勢の中では通用しないし、磨く努力、せめて形にする努力すら頑張れない。
 周りにはどれだけ頑張っていると言われても全く実感がわかなかった。普通に仕事をしながらも周りの人、親しい人はもっと精力的に頑張れてる。

 僕はずっと無駄な作業で時間を潰して怠け、何も出来ないでいた。
 そして僕は、僕の考えるままに居た結果、自動的に「オタクの敵」で「社会の敵」になっていた。
 肩書きも居場所も無くなり、何一つ出来やしない本物の出来損ないなのだと5月の頭の僕は思っていた。

「茶番マン」と僕 

 僕が自分の中の「茶番マン」と出会ったのは5月の半ばの夜の事だった。
 その夜、NHKでフリーランスの雇われ人のドキュメントが流れていて、「雇って貰えてる分安定してる」と口にした所、それが雇われ人の父の逆鱗に触れた。

「お前にこの人の苦労の何がわかる」
「(上の弟)なんてあの月給で文句言わず働いているのに、3冊本を出した事を何を偉そうに言ってるんだ」

「3冊で偉そう? 逆だよ! たった3冊だ!」
 父が出版の世界を知らないのは仕方ない。
 だけど僕には3冊と言うのは誇ることなんかじゃない。
 重版という結果を出せず、3アウトという「負け」の烙印だった。

「それはお前が頑張ってないからだろ!」
 父の言葉は尤もだった。

 9日の〆切。あれには頑張れば間に合った。
 でもそうならなかった。
 僕は追い詰められて頑張る代わりに、逃げるように自分を追い詰める方法ばかりGoogle検索で調べていた。
 Twitterで頑張れない自分を無理やり動かすための覚醒剤合法化を呟いていた。

 父の言葉を抱えて、僕は自室で貰い物のストロングゼロを煽った。

 そこで僕は茶番マンに出会った。

 僕の中の茶番マンは黒い戦隊スーツなんて着ていない。
 ナチスの一般親衛隊の制服を着た、自信たっぷりの青年だ。

「作家にしがみついて吼え続ける事なんて茶番だよ。お前は頑張れない。表面上頑張ってても、実際裏ではTwitterとWiki編集で遊んでるだけで何も出来てないんだ。そんなんだからプロットさえ切れてないまま電撃大賞を逃して、講談社ラノベ大賞だって話を書き直すだけの簡単な作業さえ半年以上かけても出来なかった」

 僕の中の茶番マンは薄甘いことなんて言ってくれない。
 ただただ自分がどうしようもない怠け者で、根性なしと言う事実を突きつけてくる。

「どうせ次の11月の〆切にだって間に合わない、間に合ったって時代遅れの『まどマギ』フォロワーの魔法少女モノで、お前の言いたいことしか書いてないような話が選考になんて残るわけないだろ」

 そうだ。どんなに取り繕っても僕の出そうとしていた作品は一周遅れの残酷魔法少女モノで、今の流行とは完全に一致していない。
   それにブラッシュアップの結果自分のメッセージ性が強くなりすぎて、商業的に受け入れられにくい話になってしまった。

「どんなに朝起きるための工夫をしても、朝マトモに起きれない。夜寝るために入れたパソコンのシャットダウンタイマーもすぐ無効化して夜更かしして、就労支援にも遅れてばかり。なのに肝心の原稿はろくすっぽ書けてない。徹夜だって出来ずに寝ちまう。周りには真面目にやっているように見えても、そう見せてるだけで、何一つやってないんだよ。そんな奴が就職? 兼業作家? 茶番もいいとこだろ!」

 茶番マンは本当に痛いとこばかり突いてくる。
 僕の作業キャパシティは普通の人と比べてとにかく貧弱で、そのキャパすら気が散ったり、どうでもいい事への過集中で使い果たしてしまいがちだ。
 眠ることも、食事を摂ることも、この頃の僕にとっては時間の無駄遣いにしか見えなくて、そのまま消してしまいたかった。
 なのに眠気は消せず、最悪のタイミングでばかり眠ってしまうのだ。

「エンタメ作家のくせに流行りのラノベも漫画も読まず、アニメも見ず、ゲームもやらず、やってるのはTwitterとWiki編集と拾った画像の整理と自分の存在意義をひたすらググるだけ。肩書きを後生大事にして、取り戻そうとする癖に、その努力も、手をつける事さえやってないんだ!最高の茶番だな!」

 茶番マンは僕を嘲笑う。
 僕はそれを黙って聞いている。
 反論できる部分なんてない。

「それにお前は山田議員と赤松さんに賛同しないオタクと表現の自由の敵で、犯罪者予備軍の『とくさん』だろ。赤松さんのファンだったくせに応援もしない裏切り者で、犯罪者のお仲間だぞ?」

 そうだ。中学時代ラブひなが好きになり、当時影響を受けた作品は数あれど、主に赤松健氏と橋本紡氏のおかげで僕は創作の趣味を形にするようになっていった。
 だけど僕は次回作ネギまを中途リタイアし、近年政治アジにのめり込む赤松氏を苦手になり、彼が推し「オタクの救世主」のように持て囃された山田議員もまた苦手だった。
 そして初作からヒットを飛ばして、初版絶版3アウト作家が何百といるのを知らないだろう赤松氏の『ヒット作を飛ばした作者を財政面で優遇する』と言う提言に、僕は失望していた。

 その上艦これだって、僕の周囲の友人は皆ろくでもない運営(これは認める)に失望してゲームを辞め、恨むか揶揄っている。
 未だにコンテンツそのものにしがみついてるのは僕ぐらいだ。

「ヒット作を飛ばした作家は救われるべきだが、初版絶版しか書けないクズ作家を救う必要なんて無いんだ。オヤジが言ったようにお前は何一つ頑張ってないし、頑張れないから結果が出せてないんだ。偶然手に入れられた不相応な肩書きにしがみついて、その実親に寄生してるだけで就労支援すらマトモにやれない無能で、しかも「みんなの敵」だ! そんな奴が再起? 就職? そんな夢物語を本気にしてるなんて本当に茶番だな!」

 ああそうだよ茶番マン。あんたの言うとおりだ。
 僕の理想は永遠に叶わない茶番で、僕は朝マトモに起きることも出来なければ、プロット切りや書き直しも頑張れず、新人賞の〆切に間に合わせることもできない。
 自分の生きてる意味を何時間もググっては自分を否定してくれない検索結果に失望する、昔偶然手に入れた肩書にしがみつくだけの寄生虫だ。
 その癖Twitterじゃ偉そうに良識人を気取る「オタクの敵」なんだ。

 僕の『本番』はどこまで行っても茶番だ。
 頭の中の無数の物語は僕が無駄死にを恐れるおかげで、永遠に頭の中に収めたまま、本にも出来ず文字にも起こせず腐って行く。
 僕は何にもできない、何もしない、ただただ上手くいかない欠陥人間として、どんなに『本番』を頑張ろうとしても何もかもが茶番で終わるんだ。
 じゃあ、こんな茶番終わらせよう。
 頑張れない。結果も出ない。行動も起こせない。
 不器用で税金泥棒で犯罪者予備軍の欠陥人間に価値はない。

 ストロングゼロで頭を麻痺させた僕は怒りに任せて、これで終わりだとツイートを残すとコートを羽織り、リビングの母に行き先を答えないまま玄関を出た。

 思えば、この時もっと普通を装って出ればよかったのかもしれない。
 そんな事さえ考えられないほど頭に血が登ってたのか、それじゃなきゃ止めてほしかったのか。
 強がるなら前者だが、多分本当のところは後者なんだろう。

 怒りに任せて原付のキーを突っ込み、ノーヘルでスタンドを寝せる。
 目指すは環状通エルムトンネル。ノーヘルのまま待避所の壁に原付の出せる限りの速度で突っ込んでこの茶番を終わらせるつもりだった。

 しかし飛び出してきた母に体を掴まれ、騒ぎを聞きつけた父まで出てきて、僕の茶番劇の幕引きは失敗に終わった。

 父は結局僕の10年と、この先ひたすら続くだろう、何一つ自分の望みなど叶わないだろう惨め過ぎる茶番劇を終わらせようとした事は、何も理解できなかったようだった。
 ただ僕が発達障害の併発症で「普通の事」が普通に出来ないと言う事だけはなんとか解ってくれて、無責任ではあるが自殺は止めろと言ってくれた。

 母は僕のこの半年の自己否定癖と自殺の仄めかしと、僕の語る内情を知っているだけに、「考え過ぎだって」「あんたは作家に拘りすぎだよ」「せめて就職を頑張って、それから作家の事考えなさい」と、僕が自力で幕を引こうとした茶番劇に少しばかりの希望を与えてくれた。

その後の事

 その後僕は自殺仄めかしツイートを消し、謝罪ツイートを行った。
 そして舌の根乾かぬうちに庵野監督の「シン・ウルトラマン」繋がりで
「結局庵野氏みたいに人の欠陥を自覚してる人は、ゼーレやネオアトランティスみたいに欠陥ある人間が無価値だと処分してくれる機関か、ジャンやカヲル君のように身分も関係なく欠陥まで受け入れてくれる人のどっちかを求めているんだろう」
 と呟いた。

 そうしたら上の弟から「そんなナチスみたいな連中は兄貴なとこに来ないから安心しとけ」「兄貴は本出せただけ凄いって」とわざわざ電話をくれた。
 その言葉はとても嬉しかった。
 でも僕の中の黒服の茶番マンは、まだ僕の中で僕の人生を茶番と言い続けていた。

 その数日後、「犯罪者これくしょん〜犯これ〜」という記事がニコ百に出来た時、僕は怒るより先に
「ほら見ろ!俺が死んだら喜ぶ人間がこんなに居るんじゃないか!」
 とむしろ喜んでいた。
 だがその記事はその日の夕方には消えていた。

 一応(ニコニコ栗田氏ととくさん達の言論弾圧と言う文言と共に)スクショが残っていて、それを見せて自分が消えて喜ぶ人間が沢山いるぞと勝ち誇ったように母に語り、Twitterに書いたりもしたが、逆に「何でそんな顔も知らん奴のために死ぬの」と母にも弟にも呆れられた。
(ついでに僕が「オタクの敵」になっている事も「自意識過剰だわ」と言ってくれた。けもフレ2地獄変の件で、僕はたぶんお前の言う敵側に居たぞ)

 結局僕はまだ茶番劇の幕を自力で引けずに居る。
 それどころか、自分の中の茶番マンにあれだけコテンパンに否定されたこの茶番劇をなんとか立て直そうとしている。

この茶番を立て直すために

 自分の通う就労移行支援ではよく「自立した人になる事」を謳っている。
 僕もこれに従って生きようとしている。

 だけど僕は「自立」のやり方を間違ったらしい。
 親からの経済的依存を脱そうとココナラのゆっくり台本のライティングに打ち込み、少ない稼ぎでやりくりしていた。
 僕の台本は大半が炬燵記事という負い目もあるので、できる限り詳しく調査し、やたら詳細に書く。
 そのため文字数オーバーや執筆時間がダラダラと伸びるのがいつもの事で、質の良さを認められはするが、時給換算するとかなりの安請け合いで、僕自身の貧弱なキャパも確実に蝕んでいた。
 その結果、たった3000円の繰り戻しの失敗で絶望する程度に僕は経済的に追い詰められ、本も買えず、Windows11で使用不能の骨董品のペンタブレットの代替すら買えずに鬱屈としていたわけだ。
 これは「自立」じゃなく「孤立」だと気づいたのは6月の頭で、僕は意を決して、ココナラのライティング量を減らして親から就職までの間小遣いを貰うことを請願した。
 5chで言えば後ろ指さされそうな話だが、僕の仕事キャパの低さはたぶん「普通」の半分も無いのだから、そうする方が精神的にも効率的にも良いのだ。

 加えて「自責」と言う物に関しても僕は何もかもを間違っていたようだ。
 僕は自責と思っていたのは自己批判による精神的自傷、それも連合赤軍の「総括」の如く言いがかりすら自己批判の材料とするタチの悪い物だった。

「何でも自分のせいにするのは、自分が何でもできる万能な存在と思いこんでいる幼児性に起因する」
 とTwitterで見た一文で、僕はああそうか、と納得が行った。
 結局商業エンタメの世界や、群衆社会と化したオタク界で、「自責」なんて、(内部事情がグチャグチャだった場合以外で)よっぽどろくでもないクオリティの作品を送り出してしまった時や、よっぽど自分自身が人を害する事を行った時以外は、何も通用しないのだ。
    どんなに良い作品でも、時の運に選ばれるか、或いは売れなくても根気強く付き合ってくれる出版社や編集に出会わなければ、最初から売れ筋を狙っていない限り未完のまま終わる。
 その運すら「自責」としてコントロールできるくらいの人間なんてのは、よっぽどのネームバリューを持って外部営業可能な一部の人だけだ。
(タチの悪いことにそういう自分がとんでもなく作家として強いのを知らない人ほど、力及ばない部分に干渉しない事を「自責」と言っちゃうわけだが)
    オタク界なんて、もはや群集心理の世界だ。
    その時々で熱狂や戦いの鼓舞に呑まれない奴、戦いの根本と修正に迫ろうとする探偵まがい(僕は大体こっちだ)は 「おかしい奴」で「敵」となる。

 僕は完璧主義と自意識過剰と言うその「幼児性」に当て嵌まる性質がまま、自分に到底コントロールできない部分(エンタメ商業・オタク界の情勢・過去・自分の体質やキャパや思考の根本)さえ「自分のせい」と自己批判を続けて喚いていたわけだ。

 ようするに、僕の中の茶番マンは僕の完璧主義と自意識過剰と余裕の無さが生んだ、自己批判のスパイラルの化身なのだ。

 自己批判は度が過ぎると、人間からやる気も自制心も奪っていき、先延ばし癖を悪化させ、思考停止に陥らせると言う。
 今年上半期の僕はまさにその状態に陥って、他人の言葉に耳を貸さずに、自分を嫌い続けていた。

  僕は「金が無くて高松琴平電鉄の旧型車に乗れなかった」という後悔を抱えている。
  そこに「半年以上かかっても作品を修正出来ない怠け癖がついてしまった」と言う悲観的事実が加わった。

「何も出来ない、頑張れない、不器用で惨めな欠陥人間の茶番劇」が、自分のやりたいことも見たいものも何も叶えられず、何者にもなれず、それこそ本家『茶番マン』の如く命を浪費したまま訪れる自分の死まで続くだろう事に、泣き喚いていた。
 そして、そんな最期を迎える前に茶番を終わらせたかったのだ。

    だけど僕の周りの、自意識過剰と自己批判でグチャグチャになっていた事を良くも悪くも知らない優しい人達は、僕の事を多分心から誉めて、尊敬して、心配してくれていた。

    社会は人権に則って灰色のバスこそ用意してくれないが、未だに僕のような欠陥人間を持て余して、いる。
    就職だって上手く行くかは解らない。
    なんせ自分はキャパが低く、疲れやすく、現実のからかいへのスルー耐性の低さを中学高校で嫌と言う程思い知らされた。
    出来る仕事も限られ、何かが原因で職場の人間関係問題を引き起こし兼ねない爆弾人材だ。

    発達障害が輝けるはずのエンタメ業界も、商業主義とパイの奪い合いの中で自分のやりたい 事が出来ず絶筆する作家が大量に居る。
    同人作家として歩む人も居るが、あれはあれで経済的にもモチベーションも強くないと実現不能だったりする。
    小説投稿サイトも一時期「要素の最大公約数作品」に票が集まる現象が顕著だったり、それでなくても強い継続性やかなり先を見通した作品構成力を求められたりと、厳しい環境だ。

   それでも僕は、他人には茶番にしか見えないだろう 僕自身の『本番』をまだ続ける事にした。

せめて僕が前を向いて歩くために

 今の僕にあるものを書き出すと。
・ほとんど無職で家族に養われているという事実。
・就労支援に通って、具体性のない就職に向けた試み。
・『作家だった』と言う肩書き。
・未完成の新人賞向け原稿やプロット数本。
・怖くて手がつけられてない頭の中の大量の出力出来てない物語が沢山。
・弟から譲り受けた原付。
・10年間の百何十冊と言う積み本とサブスクの何十本と言う積みアニメ・積み映画、積みゲー。
・整理できていない魔境の如きファイルの山。
・やっと買い替えた板ペンタブ。
・(現在札幌市が審査中の)障害者手帳。

 そしてガリガリ削られ続けたモチベーションとやる気を、最近やっと取り戻せているような気がしている。

 ついでに、僕はこの記事を書いているうちに「茶番マン」という自分の中の凶悪な批判者を引き出すことが出来た。
 自己批判は妖怪のごとく、名前をつけて、その姿を明らかにすると、心理的に自分自身から距離を取って冷静に接せれると言う。
 僕はこの黒服の青年を、自分を批判する者にすることにした。
 他人の誰に向けたかわからない言葉にさえ自意識と罪を感じる僕に、この行為にどこまで効果があるかは怪しいが、僕は自己否定を全て憎々しい笑顔のアルゲマイネSSの言葉とすることにした。

 そして最後に僕は自分の中の「本番マン」を連れてくることにした。
 頭の中の書斎で、僕の仕事のキャパシティと、気の散り様と、自意識過剰と疲れやすさを自覚して、欠陥人間のできる範囲で最大限頑張れるようにスケジュールを組んでは尻を叩いてくれる。
 完璧主義やあらゆる恐怖に陥る前に頭を叩いて前を向くように促し、恐怖と過去の後悔と「オタク社会の常識」を持ち出して痛烈な批判と中傷を繰り返す「茶番マン」が頭の中の書斎に出てくると、上下二連ショットガンを持ち出し、無理筋な反論とともにぶっ放して追い払ってくれる。
「艦これ」の初月と「アズールレーン」のシェフィールド(どっちも凛々しく可愛いケッコン艦だ)とを混ぜたような、キツい事を言うけど僕を最大限頑張らせてくれるヴィクトリアンメイド姿の「本番マン」。

(「本番はこれからだマン」は連れてくる必要は無かった。それこそ本番はこれから僕自身が挑むワケだから、僕自身がその役を担えば良い。どんな結果が起きても、楽観も悲観もひっくるめて「本番はこれからだ」と言い続けるわけだ)

 この稚拙で聞きかじりのメンタルケアがどこまで通じるかがわからない。
 でも僕は自分の中の「茶番マン」と「本番マン」に明確な人格と名前(二人の名前は他人には教えないつもりだ)を与えて、自分の頭の中で抱えている不安と悲観、自発的に出来ずに居る習慣と前に進む勇気を、頭の中のこの二人の言葉だと言って委ねる事にした。

 他人から見ればお人形遊びも良いところだろうが、「自立」は依存先を増やしていくことでもあるとも言う。
 自分の中に安心して依存できる「お人形さん」を作るのも、一つの「自立」の形なのだろう。

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