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Art|《麒麟がくる》は俳優もいいですが美術品にも注目です

少し前のことですが、NHKの大河ドラマの第28回「新しき幕府」のなかで、織田信長(染谷将太)が室町幕府第15代将軍の足利義昭(滝藤賢一)を奉じて上洛を果たした一連の物語のなかで、歴史に残る大名物が登場していました。

現在、静嘉堂文庫美術館が所蔵する《唐物茄子茶入 付藻茄子》です。

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(NHK《麒麟がくる》公式サイトより)

足利将軍家から松永久秀、織田信長へ

千利休の高弟、山上宗ニが1588年に記した『山上宗ニ記』や小瀬甫庵撰の『信長公記』の「作物記」にすでに《唐物茄子茶入 付藻茄子》についての来歴が残されています。

それによると、《唐物茄子茶入 付藻茄子》は、唐物と呼ばれ中国大陸から輸入された茶器で、もともとは足利義満家の御物でした。その後(おそらく15世紀)、将軍家から5代将軍足利義政から寵臣の山名政豊に下賜された後、1536年に京都で起きた法華の乱で行方不明になります。

しかし、1559年に正体不明の男が京の権力者でった松永久秀のもとに《唐物茄子茶入 付藻茄子》を持ち込んできたそうです。それから20年間所持した後に、将軍の守護として上洛した織田信長に対する従順の証として奉納したとされています。

これによって足利義昭に対しては政敵とみなされていた松永久秀は、所有していた大和国(現在の奈良県)を安堵されたわけです。ここから《唐物茄子茶入 付藻茄子》は、「一国に値する」という伝説が生まれたのです。

本能寺の変、大坂夏の陣に遭うも奇跡的に生き延びた

しかし《唐物茄子茶入 付藻茄子》は、不運にも本能寺の変で信長が暗殺の際に、行方不明になってしまいます。

それでも、本能寺の焼け跡から見つけ出されて、次は豊臣秀吉に献上されます。しかし再び大坂夏の陣で大坂城が落城に巻き込まれてしまいます。

豊臣家を滅亡させた徳川家康は、漆職人の藤重藤元・藤厳親子に《唐物茄子茶入 付藻茄子》の捜索を命じます。無事に、大坂城の焼け跡から割れ果てた茶入を見つけ出し、これを漆で繋ぎ合わせて見事復元したというのです。

実際、この復元は、元の姿からかなり変わっていることもわかっています。本能寺の変、大坂夏の陣の災禍に遭う前の姿を写した切型(茶入を真横から見た姿を紙で切り抜いた型、京都・龍光院蔵)があり、それとは首や胴の張り具合が異なっているのがわかります。

また、《唐物茄子茶入 付藻茄子》をX線で写すと、繋ぎ合わせた跡がしっかりと残っています。

足利将軍家から、松永久秀、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康へ。《唐物茄子茶入 付藻茄子》は、たんなる美術品ではなく、戦国時代の権力の移り変わりを象徴するかのように、覇者の手を転々としたのです。

役者もいいけど大河ドラマは美術品にも注目

麒麟がくる》ではたびたび茶器を愛でる織田信長の姿が描かれています。信長は、長く武士の嗜みとされていた和歌をあまり好まず、どちらかといえば新しいカルチャーの茶道を好んだそうです。

今のところは堺の大物として、豪商であり茶人だった今井宗久(陣内孝則)が登場していますが、千利休はまだのようです。

戦国時代に大成した利休の侘茶はどうドラマで描かれるのか、僕はけっこう楽しみにしています。

また、クライマックスはやはり本能寺の変になると思いますので、史実に沿えば再び権力の象徴として《唐物茄子茶入 付藻茄子》が登場するかもしれません。

並みいる大物俳優たちにも注目ですが、時代を彩った美術品にも目を向けてみると大河ドラマがさらに面白く見られますよ!

(しかし、こんな歴史的な品がまだ残っていて、しかも美術館に行けば見られるっていうのもすごいですよね……)

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《麒麟がくる》で描かれる美術についての記事は、ほかにもあります。ご興味あればぜひ。

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