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「まずい」や「おいしくない」と言うのをやめて3年

テレビドラマ「グランメゾン東京」の第10話で、支配人の京野陸太郎(沢村一樹)が「本州鹿ロースのパイ包み」を作って食べるシーンがありました。シェフの早見倫子(鈴木京香)が「ぼんやりした料理」と言っているのを観て、クスっとしたとともに、「まずい」と言わせなかったドラマ作りに好感が持てました。

おいしいの知ってるマウンティングに嫌悪感

僕は、外食先ではもちろんですが、家でも絶対に「まずい」「おいしくない」という言葉は使いません。その代わりに「生臭いから苦手です」とか、「きちんと火が通ってないかもしれません」、「塩味(酸味)がもう少しあった方が好みです」、「もう少し温かいとおいしくなる気がします」と言っています。

でも、それでもダメなときもありまして……。そういう時は「ごめんなさい、自分の好みではないんです」と表現するようにしています。

僕が「まずい」「おいしくない」と言うのをやめたのは3年前。

世界に三つ星レストランを何軒も持つフランスの有名シェフの元で10年以上仕事をされてきた日本人の料理人さんが「どんなことがあっても、まずいとは言わない」っていう話を聞いたのがきっかけでした。

世の中にまずいものを作ろうとして作っている人はいない。作った人への敬意です

当時、料理雑誌の編集部にいましたが、編集部内で普通に「あの店どう思うの? 私はおいしくないと思ってる」とか、わざわざ海外出張(つまり経費で)に行っておいて「あの店は、正直まずい」というように、日常的に「まずい」や「おいしくない」が使われてた職場でした。

おいしさ」は人それぞれだし、自分が感じているおいしさをなぜ他人の評価に影響されなきゃいけないんだという強い嫌悪感と、「私は、もっとおいしいものを知っている」という上から目線の自慢(今で言えばマウンティング)への不快感がありました。

好みでない味をどう言葉にしていくか

最初のうちは、とっさに「まずい」や「おいしくない」という言葉を使ってしまうもありました。その度に「それならどうやって表現すればいいのだろう?」と考えるようになると、自分がどんな味わいを「まずい」や「おいしくない」という言葉に置き換えているのか、考えるようになります。「塩味が足りないのかな」「食べる時の温度かな」「食材の匂いが苦手なのかな」「どんな味だったら自分の好みになるんだろう」とういったことを考えながら食べるようになるのです。

すると、「まずい」や「おいしくない」は、単に味わいのバランスが良くないだけのこと。料理のおいしさは、味のバランスでできているんだ、ということに気づくことになります。

そんな考えに至るころには、「まずい」や「おいしくない」言葉を使わないように考えてから言葉を発するようなことがなくなりました。自分自身のなかに「まずい」や「おいしくない」という考え方そのものがなくなったのです。

使わない言葉をたくさん持つこと

使わない言葉」で、最近考えさせられたのが「クリエイティブ」です。

僕自身、「料理人にはクリエイティビティが大切」、というような感じで、結構よくに使うのですが、あるとき、信頼している料理家さんに「僕は、クリエイティブという言葉を使わないんです」と言われ、ハッとしたのです。

その料理家さんは、「クリエイティブとどういうことかというと、人と同じことをしないこと」ともう一歩言語化を進めていました。

なんて自分は言葉を安易に使っていたのか。言葉を安易に使うということは、考えることを放棄しているということ。聞こえのいい、同時代的な言葉を使うという方法だけを追ってしまって、本質的な思考の継続を怠っていた。思考を停止して、前に進むことを放棄してしまっていたことに、僕はものすごい恥ずかしさを感じたのです。

それ以来、クリエイティブという言葉をあまり使わなくなりました。

言葉が思考を制御することは、マザーテレサの有名な言葉にもあります。

思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。

たしかに、今まで、何百人という人にインタビューをしてきて、社会的な評価や成果を得ている人は、自分の言葉を持っています。逆に、自分の言葉を持てない人は、やはり一流にはなれません。

その言葉とは、思考の成果です。

何かを成し遂げたいと思っているなら、まず自分が気持ちよく使っている言葉を使うことをやめましょう。そして、その気持ちよさを、別の言葉で解像度を高く表現することに挑戦してみてください。

【追求】
ちなみに、僕は今「こだわり」という言葉を使わないようにしています。こだわりなんて、みんな当たり前に持っているのだから、「こだわり」という言葉で表せることは、まったく本質的な「こだわり」ではないはず。

こだわりを超えたこだわり」を言葉にしていきたいと思っています。

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