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Art|明恵上人の愛でる心がかたちになった「子犬」

京都市内からバスで1時間も乗っただろうか。くねくねと蛇行する国道162号の周山街道をひたすら登った先、京都の西のはずれに高山寺はあります。当時の写真を見ていたら、2014年の秋。もう6年も前になります。

高山寺中興の祖・明恵上人が栂尾に住み、後鳥羽院上皇の院宣によって奈良時代に開かれた寺を賜わったのは1206年(建永元)のこと。明恵は都賀尾十無尽院と呼ばれていた寺を華厳宗興隆の根本道場と定め高山寺と名付けた。そのため、高山寺にとっては実質的な開祖とされています。

1173年(承安3)1月8日、紀伊石垣荘吉原(現在の和歌山県有田川町)に生まれた明恵は、8歳の年に母と父を相次いで亡くし、わずか9歳で神護寺に入ったといいます。

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神護寺では、文覚という高僧に教えを受け才能を発揮し、将来を有望視される存在だったそうです。16歳のときに東大寺戒壇院で出家すると、一時は朝廷に出仕する誘いを受けたそうですが、明恵上人はこれを断り、23歳頃に故郷の紀州白上峰(現在の湯浅町)に戻りって、隠遁の僧として坐禅を組み、黙想を続けました。

明恵上人が、生涯にわたって持念仏にしていたのが『仏眼仏母像』(国宝)でした。

眼を人格化したこの妖艶な女身像に上人は、母の面影を重ねたようで、画面の中の明恵が書いた文字で「无耳法師之母御前也(みみなしほうしのははごぜんなり)」とあり、生涯、釈迦を父、仏眼仏母を母として慕っていたことが伝わっています。

なお、无耳法師というのは、明恵が市井を離れ修業を極める決意をあらわすため、この仏画の前で右耳を切断したことに由来しています。容姿を変えることで世俗から離れようとした明恵の覚悟を示すエピソードとして広く知られています。

ちなみに現在、高山寺の開山堂に安置されている《明恵上人坐像》(下画像)は、このエピソードを物語るように、右耳が切り落とされた姿で私たちを見つます。

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高山寺HPより引用

中世の僧侶と絵師がカワイイを狙いにきた

明恵上人が生涯手元に置き続け愛玩したとされるものに《子犬》があります。鎌倉時代の作品で、明恵上人が自分と同い年の高名な仏師、湛慶に頼んで作られたものとされています。

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高山寺HPより引用

湛慶は、鎌倉時代を代表する名仏師、運慶の長男で、父の後を継ぎ慶派の棟梁になった仏師。慶派の特徴ともいえる玉眼(ガラスでできた眼)が嵌め込まれているのが特徴です。

湛慶は、真実に肉薄するような力強く迫真の表現の父・運慶にはない、やさしくおだやかな表現をもっています。その完成は、『子犬』に現れていますし、たとえば京都・三十三間堂の中央に鎮座している『千手観音坐像』にもその作風が宿っています。

僕は、とにかくこの『子犬』が大好きなのです。

というのも、日本の美術史上、動物彫刻はまったくないわけではないのですが、あったとしても、それらはあくまで実物を模したもので、神々に捧げられるものでした。宗教によって社会が治められていた中世においてそもそも人間が形作る生命あるものは、基本的には神や仏に捧げられるものでした。

そうした時代にあってこの『子犬』は、明恵上人が手元に置いて愛で続けたという逸話が残るように、あくまで私的にかわいがる愛玩彫刻であります。それは、現代のぬいぐるみのようなものかもしれません。

明らかに頭をなでてほしいとねだるように首をかしげる子犬の姿を見ていると、いじらしく抱きしめたくなる。鎌倉時代の彫刻を現代の感性で観たくはないのですが、これはあきらかに「カワイイ」。しかも、制作を依頼した明恵上人も、その依頼に120%以上答えた湛慶も、カワイイを狙いに来ている

明恵上人がかわいがっていた犬が死んでしまい、その代わりとして作られたという話があるが、宗教的な意味や文脈をもたない、ただただかわいい彫刻を造ろうとした2人に、ちょっとぶっとんだ感性を感じずにはいられない。あきらかに近世~近代の視線があるからだ。

2017年に東京国立博物館で開催された「運慶展」で実物を観ました。ほんとうにカワイイ。もう自宅に持って帰りたいし、現代の部屋にあってもなんの違和感もなく、むしろペッパーくんとか置くよりも、この「子犬」の方がよっぽどいいようにすら感じる。

運慶展」に展示されていた湛慶の父の作品は、もちろんすばらしい彫刻だと思うが、さすがに家に置きたいと思わないですから。。。

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(写真は、当時の内覧会で許可を得て特別に撮影させてもらったもの)

「あるべきよう」が中世にカワイイを生んだ

明恵の言葉として伝えられているもののなかに「阿留辺畿夜宇和」という七文字があります。「あるべきようわ」と読むこの言葉を使い明恵は、次のように人々に問いかけています。

人は阿留辺機夜宇和と云う七文字を持(たも)つべきなり。僧は僧のあるべきやう、俗は俗のあるべきやうなり。乃至帝王は帝王のあるべきやう、臣下は臣下のあるべきやうなり。此のあるべきやうを背く故に、一切悪きなり」(栂尾明恵上人遺訓より)

僧には僧、民衆には民衆、王には王の「あるべきよう」、つまり「あるべき姿」があって、それにむけて邁進すべきで、さらにその上で、あらゆる悪事はあるべき姿に反することで生まれると明恵は言っているように思います。

それは、私たち人それぞれのあるべき姿を問うものであり、他者のあるべき姿を問うことではいことを明恵上人は伝えたかったように思います。多様性を尊重したり、それぞれの立場に立ちながら相手を尊重する。コロナ禍の時代に、どこか響く言葉でもあります。

そしてこの「あるべきよう」は、あるべき姿を保っていれば、それ以外は自由にのびのびと生きていいんだよ、ということを語りかけているようにも感じます。それは、子犬を愛でる心をそのまま形にしようとしたように。

何物にもしばられない「あるべきよう」な姿。子犬のカワイさには、そんな上人の教えそのものが宿っているように感じてなりません。

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今回紹介した『子犬』と『明恵上人坐像』は、4/13-5/30まで東京国立博物館で開催される「特別展 国宝 鳥獣戯画のすべて」展で観られますので、興味を持たれた方はぜひ、観に行ってみてください!

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明日は「Food」。地方レストランの魅力について書いてみようかと思います。

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