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Food|京都・東山、蛍が光る町のレストラン

京都市営地下鉄東西線の東山駅は、ちょっとしたと思い出がある。

17年勤めた会社の社長が、この駅の近くに別邸をもっていて、仕事でもプライベートでも何度が利用させてもらっていた。知恩院から青蓮院、平安神宮、京都市動物園が徒歩圏内にあり、白川という小さな川も流れるこのエリアは、いかにも”京都”という風情が残る。

駅を上がってすぐにある「桝富」の鴨なんばそばを食べてから別邸に向かうのが京都滞在の恒例だった時期がある。

この駅から桝富への小路をさらに北にのぼったつきあたりに2019年7月に新しいレストランができた。築130年の古い町屋を改装した「LURRA°(ルーラ)」だ。

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オープンする前から食通の間でルーラは頻繁に話題に上がっていた。シェフは、アメリカ・カルフォルニアや東京、デンマーク(noma)、ニュージーランドのレストランで経験を積んだジェイカブ・キアさん。ゼネラルマネージャーは、多くの日本人シェフが輩出した「ミシェル・ブラス」を経てレストランのさまざまな常識を覆し続けてきた伝説のレストラン「ティルプス」出身の宮下拓己さん。そして、アメリカやオーストラリア、ニュージーランドでバーテンダーとして腕を磨いてきたミクソロジストの堺部雄介さんの3名が、東京ではなく「京都」に店を立ちあげるのだから注目するなという方が無理な話だ。

しかも3人の出会いはニュージーランドのレストランで、台湾出身の李信男氏が料理長を務める「Clooney」で出会ったそうだ。経歴を見る限りエリートといえる3人が、現代料理では新興国といえるニュージーランドをなぜ選んだのかを考えるだけでもたくさんの疑問符が浮かび上がってくる。

いったいどんな世界のレストランにしようとしているのか」、行ってみたいレストラン最上位に位置してきたLURRA°に、5月末ようやく行くことができた。

高度な技術を「すごいでしょ」と見せびらかすより
あとから「え、すごかったかも」と
気付くくらいの方がいい

ようやくお会い出来てうれしいです」そう言って、店から出て迎えてくれたのは、宮下さんだ。Twitterやnoteを相互にフォローしていて、なんどかやり取りもする「気になる人」だったので、素直にうれしかった。

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木のぬくもりがある空間。京都の奥に長い造りの町屋を活かし、奥に向けてカウンターテーブルが作られている。テーブル席はなし。テーブルとキッチンに、何一つ仕切りがないオープンキッチンだ。テーブルに着くと、目の前に桜の薪の熾火がくべられた暖炉と、メタリックな質感のピザ窯が目を引く。

アイランド型のキッチンテーブルにIHの熱源があるが、ガス台はなく、火力は薪だけだという。

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店内の奥は円状に吹き抜けになっていて、楓の木が空に突き抜けている。

テーブルに置かれているメニュー表や、この吹き抜けの円窓など、所々に配されている円(または丸)は、店名にもある「°」と紐づけられていることはすぐにわかる。

LURRA˚はバスク語で「地球」、「°」は月の意。
自然に囲まれ、伝統と革新で紡がれる街、京都。
此処から私たちは日本の季節と文化のショーケースを世界に発信する。
――LURRA˚ webサイトより

4人の料理人と3人のサービス」なのか「7人がスタッフが」という言い方がいいのかわからないが、とにかく自由にリラックスして準備をしているのがとにかく印象的だった。

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SPRING/SUMMERのメニューを簡単だが紹介していきたい。

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蛤、セリとフィンガーライム

塩漬けのイチゴと、酸味のあるハーブ、オキザリスの葉を精緻に並べて食べられる貝殻を形作ってあり、蛤を支えるサブレをつまんでいただく。

蛤のうま味はもちろんのこと、ハーブと山菜の苦味、フィンガーライムとオキザリスの酸味のバランスがとてもよく、ひと口目からしいかりおいしい。

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焦がしたヤングコーン、大原の地鶏の卵とサマートリュフ

薪窯で焼いたヤングコーンは塩だけ。十分においしい。大原の地鶏の卵とサマートリュフの中にはカリカリのパンチェッタが入っていて、カルボナーラに似た卵と塩漬け豚の人類が発見してきた最高の組み合わせが隠れされている。

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大原のスナップエンドウ、ジャージーミルクのカードとカシスの葉

3種類のスナップエンドウを窯のなかでしっかりローストしてあるので、目の前に着くと、炒り豆のよな香ばしさにまず包まれる。カシスの新芽、塩漬けにした柚子と柚子のジュース、カシスの木のオイル(これがとても軽やかに香ってくる)、エンドウマメの鞘のソースといった香りと酸味、塩味を複雑に重ねていく。ジャージー牛のミルクから自分たちでカードを作ってフレッシュチーズを作ったというのも驚きだ。

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ズッキーニ、野菜のしずくとエスプレット

エスプレットとは、フランス南西部、スペインの国境付近にあるエスプレット村を中心とした地域で生産されるトウガラシのこと。

パプリカや新タマネギ、トマトといった24種類の野菜でとった出汁に、2種類のズッキーニをパスタのように細長く切って巻き込んだものが椀種のようにひたっている。

エスプレットトウガラシの燻製のような香りが醤油のようなニュアンスになって、やっぱりこれは日本料理のお椀へのオマージュなのかなと感じる(お椀に醤油は使わないが)。

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いわな、発酵ホワイトアスパラガスとハーブ

イワナは暖炉で熾火焼きに。皮目にナイフを入れた瞬間に指先に伝わってくる「パリパリ」とした振動にびっくりして、おもわず「うわ」と声を上げてしまう。皮一枚だけを焼き切る熾火の技が光る。

その反面、身はしかり保湿してふっくら。暖炉のなかで皮面を焼いたあとに身の方も火を入れるのだが、このときに昆布をかぶせて熱を加えることで急激な加熱を防ぎ、さらに水分を留める効果も狙っているという。

発酵ホワイトアスパラガスのソースにはムール貝の出汁が加わりしっかりと濃厚。淡白なイワナを支える。

そしてイワナの表面には、クレソンやラディッシュ、木の芽といったハーブと数種類のピクルスが丁寧に置かれている。

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スプリングラム、ウィートグラスと行者にんにく

入店してからずっと暖炉のなかで火を入れられていたラム肉がようやくテーブルに。奥はロース、手前はミルフィーユ状に巻き込まれたバラの熾火焼き。上に乗っかっているオカヒジキのミネラル感が、ラムが食べる牧草を感じさせるのか、なんだかとても好みだった。オカヒジキがソースになっているのだ。

もちろんウィートグラス(小麦若葉)のピュレと行者にんにくのソースもしっかりおいしい。

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京都の時期の野菜、薔薇のハリッサと山羊のミルクのヨーグルト

LURRA°のコースのメインは、肉や魚ではなく「野菜」だという。春の名残と夏の走りが重なる時期の野菜がそれぞれに加熱調理されて皿の上に美しく並べられている。

自然な色合いの器が「笠間の陶芸家keicondoさんの器みたいな色だな」と思っていたら、表面にエジプトのスパイスペースト「ハリッサ」が塗られていると聞いて納得。keicondoさんの器の色や風合いは、アフリカの土の色だと言っていたからだ。

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新玉ねぎご飯とチーズの出汁

焦がすように焼いた新玉ねぎの下に焼きおにぎりが隠れている。これを潰しながらお茶漬けのようにしていただく。春のスープご飯。

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苺、はまなすとフレッシュミルク

凍らせたイチゴを薄くスライスして、フレッシュミルクと一緒に食べる。練乳苺のかき氷をイメージさせる口直しのデザート。

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グリルしたとうもろこしのドーナッツ

最後のデザートはドーナッツ!というのがLURRA°だ。この日のメニューはドーナツ型にしたトウモロコシのアイスクリームの表面だけをドーナッツのようにして揚げた。持って口に運ぶまでは疑うことないドーナッツなのに、かむと中から冷たいトウモロコシのアイスがとろっとあふれだしてくる。

おいしくてたまらんのだが、それ以上に最後まで驚かせて楽しませてくれる気持ちがうれしい。

屋根裏にセラー兼発酵室がありますので、気になる方上がってみてみてください」と宮下さんが案内してくれたので、遠慮なく見に行ってみる。

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何も隠すようなことはないんで、何でも聞いてください」といってくれるので、うれしくなって色々聞いてしまう。とくに暖炉の仕組みは気になってしまい、厨房に入れてもらって見学させてもらった。

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会計を終えて店を出ようとする僕に「白川に蛍がいるんですよ」と宮下さんが声をかけてくれ、小さな橋まで案内してくれた。なんと本当に蛍がお尻を光らせてふわふわ飛んでいた。しかも1匹や2匹ではなく、何十匹も。

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京都って、都会だよね」と考えてみるが、確かにここは京都でも市街地のはずれ東山。そういった自然が残る町なのだ。「僕らみんな京都生まれじゃないんで、最初はびっくりしましたよ」と宮下さんも笑う。

コロナ禍もあって町自体が静かだったのかもしれないが、蛍の灯りもあってこの日の夜はとくに静かに感じた。きっと自分の心も、満たされた静けさを持ってレストランを出て行ったからなのだろう。

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蛍の橋”から戻る道で、宮下さんに「料理人の鬼気迫るような料理があったらもっと凄味を感じたかも」ということを話させてもらった。

ひとりで訪問したんも関わらず、まったく退屈しない楽しい時間を過ごせてもらった。どの料理をとっても難解なことはなく、しっかりそれぞれの食材の良さをシンプルに伝えることに徹していて、安心して料理に寄り添える、そんな料理だった。

味のバランスでも塩味や酸味がびしっと決まっているというよりは、すこし揺らぎというか余白のようなものも感じさせ、それでいて過不足を感じさせないので、本当に心地が良い。

だからこそなのかもしれないのだが、その心地よさを揺さぶるような、異質な存在があってもおもしろいのかもしれないね、という意味でお話させてもらった。

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翌日、東京へ帰る新幹線のなかで「鬼気迫るような料理」って軽く言ったけど、どんな料理だったら自分は「異物」と感じたのだろう?と考えながら車窓の景色をぼうっと眺めていた。

極限の集中力のようなものは、最初の蛤の料理のオキザリスの配置に見えているし、一つひとつ味の伝達が精巧に設計された料理といえば、イワナの料理がそれにあたる。

前夜のイワナ料理を思い返す。ハーブとピクルスの配置がとにかく精巧だったな、と。皮と身への熾火による火入れはもちろんのこと、一口ひと口食べていくごとに、まったくニュアンスの違う酸味と塩味、香りが押し寄せてくる。しかも、同じ味のバランスが一度もなく、食べ進めるたびに必ず新しい発見が生まれる。

一見、美的に色彩の響きの関係で配置を決めているようだが、ち密に設計のもとなされていると思うと、あの小さな世界のなかで、そんなことができる異常さこそ「鬼気迫るような料理」そのものではないか。

そう思うと、LURRA°というレストランの空間がその異常さをわかりにくくさせているのではないかと、僕は考えるようになった。そう、つまり皿の上だけに向かう意識を分散させるような力があの空間にあるのではないかということだ。

難しく高度な技術を要することを、まるで何気なく銭湯の靴箱を選ぶような雰囲気でやり遂げる。英国のギタリストのエリック・クラプトンがペンタトニックスケールというブルージーな5つの音階だけでフレットを激しく動かないでも速弾きをしたことから「スローハンド」という異名を得たようなことにも似ているあるだろう。

わかるすごさ自体は、じつはそれほどすごくはない。あとからその凄さに気付くことの方がより高度な技術を要するわけだ。ある種の揺らぎや緩さのようなある空間のなかで、張り詰めた緊張感をどう設置していくのか。まさにインスタレーション的な全体空間の設計こそがLURRA˚の最大のすごさなんじゃないかと思うようになった。

つまり料理は、あくまで一部、インスタレーションでいえば1つの造形物であるということだ。

そんなことを考えながら東京に戻って数日後、宮下さんが自身のSNSにこんな文書を書いていた。

レストラン(仏語で「回復させる」を意味する動詞 restaurer の現在分詞 restaurant が語源)の言葉は16世紀に現れ「回復する食事」を意味し、栄養に富み強く風味付けされたスープであった。
本来のレストランの価値は元気になること。
だからこそLURRA˚は営業を続けます。
――宮下さんFacebookより

本来のレストランの価値は元気になること。料理のことだけを見るんじゃなくて、あなた自身が元気になれたかどうかが大事なんだ。そんなことを言われているような気がした。

また来年も、LURRA˚で食事をして、白川の蛍を見たいなぁ。そんなことを考えた。

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明日は「フランス料理の歴史」を読むの予習です。

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