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闇の発達障害ライフハック前提編:まずはその嫌いな世界を捨てよ

全国500万の自称他称問わない発達障害傾向者の皆様、お待ちかねです。
我々の大好物で結局使わないライフハックのお時間ですよ!
健康優良不良発達障害少年の私は、社会の荒波の中でも何とか世間様に合わせる事ができるようになっております。
これは偏に黒歴史とすべからく読み漁った様々な本から摂取した知識のおかげであることはいうまでもありません。
もちろん、あっち系なので文章にまとまりはありませんが、発達障害傾向者でも社会を生き抜くことができる闇のライフハックを披露しようと思います。
まずは闇のライフハックの大前提から初めましょう!


発達障害とは現代社会の規格に合わないだけ

発達障害者が苦しむのは、ジャンプ漫画の特殊能力者とのタイマンバトルに似ている。
ジャンプ漫画にありがちなシーン、チームで敵地に乗り込むとダンジョンみたいになっていてバラバラになって深部を目指すアレ。
その先には特殊能力者や因縁ある相手が待ち構えている。
しかもたいてい敵の利する環境になっている。主人公たちは、敵が圧倒的有利な環境(例えば水を操る敵の部屋には水がある)において四苦八苦するのだ。

発達障害者が障害とされているのも、この四苦八苦に似ている。
我々が生きる社会は自由と言いながらもかなり偏った枠組みが存在する。
学校教育なんかで差別はアカンとかみんな自由だと教え込まれるので、皆当然だと思っている仕切りのない広々とした世界は、実際のところ極めて官僚的に鉄の檻で区分けされ厳重管理されている。
そこに求められる人材とは、空気を読んで本能を押し殺し、与えられた思想を疑うことなく遵守する「1984」の住人である。

その起源については以前書いたのでこちらを参照してください。
要するに発達障害とは、社会をスムーズに動かす時に邪魔になる因子なのだ。
よって「邪魔」は時代によって変わる。現代社会のように複雑になりすぎるとよりノイズが増え、発達障害の枠組みは皮肉にも拡大していっている。
我々は「今」の「日本」の「社会」に合わない、だからこそ生きづらいのだ。

いや、ここで生きづらいと思うことこそが、社会の思う壺である。
我々はなぜ社会の規格を守らないといけないと思い込んでいるのだろうか?
洗脳から解脱した僕が思うに、発達障害で心を病む人は『離れ小島までの遠泳レースに、泳げないのがわかっていながら強制参加させられているのにも関わらず、認めてもらおうと必死にもがいている』ように見える。
そんなレース、棄権するか逃げればよいのだ。

それは無理?それは言い訳だ。簡単なことでマインドを変えれば良い。
「ただ泳ぐだけなのに何必死こいてんだコイツ等」と思うだけで良いし、何なら「社会とは強制参加レース」だと思うだけでもだいぶ気持ちが違う。
これでも納得いかない人は、かなり洗脳されていると思ったほうが良い。
なぜなら強制参加レースに参加しなくてはならないという思考こそが、我々を苦しめているのだから。
それは裸の王様に裸だと言えない大人たちと同じなのだ。

リンクの記事のように、発達障害の症状とされる思考や行動倫理こそが人間らしいのであるが、それを経済合理性だけで歪曲しているのが現代社会。
よって発達障害者のライフハックでは、「社会が異常であるという前提を持つこと」結局これが最重要だ。
この前提を共有してから、これからのライフハックを読んでいって欲しい。

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