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■7月25日 80日間エッセイの旅
こうして毎日エッセイを書き続ける生活も80日を超えてきました。
今でこそ「エッセイ」と強気で言い張っていますが、白状します、初めの頃は完全に「日記」でした(うん、みんな知ってる♡)。
以前書いたことがありますが、私はエッセイを書くことに強い憧れがありました。でも、「ワタクシ如きがエッセイを⁈」と、自分にはきっと書けないと勝手に思い込んでいたのです。何の根拠もないのに。
一方で、書きたい気持ちはある。
じゃあ、どうしようか。
→→→とりあえず勉強しましょう、となり。
エッセイや随筆を読み散らかすことにしたのです。このあたり、昭和の優等生的思考しかない私の面目躍如と申しますか(笑)まずはお手本を眺めて、きっちり「勉強」をしよう! という方向に全力疾走してしまうのです。
ですが、今、80日ほど書き続けて思うのは。
エッセイを書きたいのであれば、まずは「書いてみる」。それしか修練の方法はないのだということ。
書きたいという気持ちが強く胸のなかに居座っているのに、それをほったらかしたまま、他の人が書いたものを読み散らかすだけでは、当たり前のことですが、何も解決しないのです。
書きたいならば、まずは書く。
上手になりたいなら、遮二無二書き続ける。
恥も外聞も投げ捨てて、自分で思考錯誤しながら、人の目に触れるところで書くということを自分に課す。
それだけが、「書きたい」という気持ちを昇華させる方法なのだと。そんなことを思い知ったのでした。
それでも。毎日兎にも角にも「これはエッセイだ」と自分に言い聞かせながら、書き続けているうちに、初めは「日記」でしかなかったものが、少しずつでもエッセイの体裁を備えるようになったのを感じたとき、素直に素朴にうれしかったです。
来る日も来る日も、パソコンに向かい、文章を捻り出す。
書くときに、自分に課しているルールは幾つかあります。そのルールのなかで、今日は何を書くか。とっかかりすら思いつかないまま、とりあえずキーボードを打っていると、どうにか「エッセイ」のカタチになっていく。
時折、「私、こんなことを考えてたんだぁ」と半ば他人事のように、紡がれる文章を見ていることもあります。それはそれで面白い時間です。
また、自分で「エッセイ」と呼んでも差支えないかもと思えるようになってからは、かえって日記を書くことも許容できるようになりました。それも興味深い感覚でした。
さらには。エッセイを書いているうちに、自分の書きたいスタイルが見えてきたのも、なかなかに心躍るすてきな経験でした。
これからのちょっとした野望は、「エッセイスト」というタグを胸張って自分につけること。あ、もう一つ「歌人」も。
勝手につければいいじゃんと思わないでもないですが(笑)まだ、どこかちょっと面映ゆいのです。そして、そう感じるうちはつけないでいようと思うのです。なので、最近は「もの書き」を名乗っています。これはけっこう大丈夫になってきたタグで、存外気に入っていたりします。
・ ・ ・
80日ほど、エッセイを毎日書き続けることで、ものを書いて生きていくことに覚悟が持てました。「覚悟」というと、言葉としてちょっと強いのですが。もう少しルンルン気分で「ことばで紡いで生きてくよぉ」と歌うような、踊るような感じ、でしょうか。
毎日エッセイ更新がどこまで続くかは分かりません。でも、書くのはまだまだ楽しいですし。そうして楽しく書けるうちは続けようかなと思っています。
・ ・ ・
今日もここまで読んでくださり
ありがとうございます。
ついでに、
おすすめなどしていただけると
パソコンの前で小躍りして喜びます。
どうぞよしなに。
そして、何より今日がいい日でありますように。
んじゃ、また。
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