■5月13日 推して参るために
今日の名古屋は、朝から曇り空。というより、雨雲がずんずんと近づいて、景色をあわいモノトーンのように見せていました。
でも、今日は久しぶりに最愛の推しさまに会いに行くと決めていたので、意を決して名古屋城へ。雨の匂い漂う、二の丸広場で演武(武将さま方のパフォーマンス)を待ったのです。
11時になり、無事に始まったのですが。ものの10分ほどで雨粒がぽつりぽつりと落ちてきて、敢えなく演武中止となったのでした。
でも、そのあとすぐに「おもてなし」があり、少しお話できました。
内容は…超他愛ないこと(笑)
私が素でボケてしまい、殿が笑いながら突っ込むみたいな会話でした。それだけで、また何日か頑張れるくらいには、拙者チョロヲタでござる。
結局、今日はそれから一日雨は降りやまず。
私は体調があまり上向きでないこともあり、そのまま午後にはお目に掛からず、帰宅したのでした。
・ ・ ・
いつまでも「推し」がいてくれると思うな。
わりとよく言われることです。
だからこそ、会いに行けるときに必ず行っとけ。
光の速さで課金しておけ。と続くわけですが。
もちろん、それはそれで真理なわけで。
たとえば、私の推しさまの「中の人」。
彼は時折、ある居酒屋さんでイベントをしてくれていました。めったに会うことのない彼と、そこで直接お話したりできたのですが。でも、先月末。突然、その居酒屋さんが閉店してしまったのです。
それによって、「中の人」イベントが開催されるきっかけが一つ失われたわけで。
そもそも頻繁にお目にかかれる人じゃないのに、閉店という想定外の事態によって、さらにその可能性が縮まってしまったんですよね。
そう考えると。いつまでも「推し」に会えると思うなって、超真理だよねってなります。
でもね。
最近、もう一つの可能性に気づいちゃったんです。
それは。
彼を推す/推さないの決定権は、あくまでも私自身が持っている、ということ。
そして、「好き」という思いや、「推すぜ!」という熱意は無尽蔵ではないということ。言い換えれば、その気持ちが、自分のなかで絶えてしまう未来だってあるわけで。そうなってしまったら。その先の時間はもうないのだと。
そんなことに気づいちゃったんです。
ずっと好きとか。死ぬまで推すとか。
なんか、もう、言えない……言ってたんかい、って話なんですが(笑)でも、それをフツーに言えてた頃にはもう戻れないなぁと、実感しているですよ。
あ、特になんかあったというわけではないです。ただ、最近出不精を拗らせすぎて、たまに推しさまに会いに出かけること自体に失敗するので、そんなことを考えついてしまったんですね。
↑ 失敗例(笑) ↑
だから。
会いに行けるときには、行く。
課金できるときには、光の速さで。
けれど。
絶対に無理はしない。
自分が笑っていられるペースで。
推しさまの前へ、ご機嫌に無邪気に笑っていける間合いで行く。
もちろん、海を蒸発させるほどの熱意を持って、がしがし行く時期があっていいと思うんです。でも、それをずっと続けていると、どこかで無理が生じる。そうしたら、推し活って楽しいものであるはずなのに、苦しかったり義務になったりしてしまう。
それは、勿体ないですよね。与えられた時間も気力も有限なのに。しかも、大好きな人のためにそれを使っているハズなのに。苦しいなんて。それはとてもとても悲しいし、せつない。
推しはずっといてくれるわけじゃない。
私もずっと好きでいられるわけじゃない。
じゃあ、これからも大好きでいるためにどうするか。えっちらおっちら、殿のつくる轍を辿ってくためにどうすればいいか。
その一つの答えとして。
自分の「好き」の濃度を見極めながら。メンタルもフィジカルも無理はしないで、私自身が楽しくいられるペースで行こうと思うのでした。
・ ・ ・
そんな今日読んでいたのは
■小野不由美『黄昏の岸 暁の天』(新潮文庫)です。
合間に仕事もしていたので、今日は読み終われず。でも、読み始めるとわき目もふらずにざくざく読んじゃうあたり、すさまじく緻密な世界観だなぁと感嘆してます。
そんなこんなで、今日も読んでくださりありがとうございます。
みなさまの今日がいい日でありますように。んじゃ、また。
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