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■8月10日 私に書けるものって何だろう?

短歌を詠み始めてちょうど1か月が経ちました。毎日5首以上つくることを自分に課していて、昨日で260首ほど詠んだようです。短歌を始めた1か月前は「詠む」ことはおろか、「読む」ことすら覚束なかったことを思えば、我ながらなかなか頑張っていると言えましょう。

短歌を詠み始めてから、興味深いことがいくつか起きました。今日はその一つについてのお話です。

・ ・ ・

15年ほど前のことでしょうか、私はBlogを書いていました。「轟轟戦隊ボウケンジャー」という戦隊ヒーローの番組レビューを書いていたのです。毎週、放映された後に何日かかけて、そのドラマを小説仕立てにして書き繋いでいました。

実は、そのブログ、アクセス数がものっそいあったんです。まわりまわって、スタッフさんやキャストさんまで読んでくださっているとのお話を聞いたり。一部で私のハンネが有名になっていたり。そのおかげで、さまざまなご縁をいただくこともありました。

でも、そのブログがなぜそんなに読まれていたのか、あるいは、人気を博していたのか、自分ではその理由をさっぱり分かっていませんでした。お褒めのコメントをいただくことも多かったのですが、その内容について、自分ではあまりピンと来ていなかったのです。

ちょっと話は変わりますが。

短歌をつくりはじめてから、私は「自分だから詠めること/ものは何か」について明確に意識するようになりました。

少しずつ歌集を読むようにもなり、すさまじく鋭いセンスの在り様に圧倒されたり、それとこれを結び付けられるんだと発想の自由さに感嘆したり。そういった歌を詠みたいと思っても、まだ経験も勉強も足りない私には無理ゲーで。それでも、私に詠めること/ものを一つずつ探す日々を過ごしています。

2か月ほど前のことになりますか、ある人が私の書く文章の美点を伝えてくれるという機会をいただきました。すると、その人の言った内容が、以前書いていたブログのコメントで褒めていただいたことと同じ内容で、とても驚いたのです。ただ一方で、それを言われたときも「へぇ~」と思うばかりで、私は私のことを全然わかっていなかったんです。

それが。

短歌をつくりはじめ、「自分らしさ」あるいは「自分の売り」を考えていたとき、驚くほど唐突に、コメントにあった言葉の意味や、ある人が言ってくれたことが腑に落ちたのです。それはもう、この身に落雷をモロに受けたような衝撃で、私は「あ、それが私の歌えることだ」と超明確に理解したのです。

毎日こうして書いているエッセイは、1500字ほどのものです。それこそ、心に浮かぶよしなしごとをものぐるおしく書き連ねています。ですから、どう書こうとも「私らしさ」は滲み出ますし、むしろ毎日楽しく書くことを目標にしていますから、「私らしさ」という難し気なことを切実に考えることはほとんどありませんでした。

でも、短歌は。歌を詠むことについては。私はガチで「歌集」を出すことを考えています。

まずはこれに応募して。ダメであれば、来年5月の文学フリマ東京で出そうと考えています。

「歌集」という明確なカタチを持つ書物に、自分の作品をまとめるとき、やはり「私の詠めること/もの」「私が目指す歌」について考えざるを得ません。技量も経験もまったく足りていないのは承知の上、それでも無理を道理にするためには避けては通れないものです。

その手がかりはめちゃくちゃ近くに落ちていた。自分で「それ」と意識できていなかっただけで、私にもできることは明らかにあったし、今までもそれをし続けてきていた。

そして、その事実は素直にうれしいものでした。何より、これから歌を詠んでいくにあたって、道をひとつ見出せたような気持ちがしました。

実は、このエッセイも書物のカタチにしたいと考えています。来年の文フリ東京を目指して、やってみようと。内容をどうするかとか、そもそもZINEってどうやって作るのかとか、分からないことだらけで超暗闇に自ら飛び込んでいますが(笑)

それでも、来年の楽しみがひとつ増えてわくわくしています。がんばるぞぉ。

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今日もここまで読んでくださり
ありがとうございます。
今日がいい日でありますように。
んじゃ、また。

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