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こころに海を

 茨木のり子の詩が好きだ。

 彼女の詩は、力強く地を踏みしめるようなしたたかさのなかに鋭くも繊細な感受性が垣間見えるように感じて、その詩人らしい崇高さと飾らない人間臭さのバランスに、親近感を覚えるのだ。

 私が持っている茨木のり子の詩集のなかで、とくに気に入っている詩がある。『みずうみ』という作品だ。

田沢湖のように深く青い湖を
かくし持っているひとは
話すとわかる 二言 三言で

それこそ しいんと落ちついて
容易に増えも減りもしない自分の湖
さらさらと他人の降りてはゆけない魔の湖

茨木のり子『みずうみ』より

 人間の魅力とは、その湖あたりから発せられる霧のことなのだと、詩のなかで彼女は語っている。

 しいんと静かで、他人には容易に足を踏み入れることができない、そんな深く青い湖をもっている人。考えを巡らせると、思い浮かぶ友人がいた。

 その友人はどこか掴みどころがないが、びくともしない大樹のような落ち着きと軸があって、他者に対してとても寛大だ。確固たる自分をもっているからこそ、いちいち人の言動にあからさまに反応しない。揺らがない。他人の言動にイラっとすることもあるだろうが、冷静に状況を鑑みたりうまく線引きをすることで、自らを安定させている。いつもなんとなく口角が上がっている、そんな人だ。

 あの人は、湖よりもさらに広く深く、そして穏やかな海をもっている。そう思った。何者をも受け入れる懐の深さと同時に、決して他人が見ることはできない深海の世界をもっているのだ。



 最近の私は、読書やもの書きに夢中だ。本当は本やことばが大好きだったのに十数年間それを忘れていたから、今は失われた日々を取り戻そうとでもするかのようにのめり込んでいる。

 今の私にとって、本やことばの世界は大事なこころの拠り所だ。豊かに彩られた、広くて深い世界。以前に比べれば、私のこころの中はずっと豊かな湖になったはずだ。

 何もないところに突然水が湧き出るわけではない。私が様々なところから美しい水を汲んできて、ときには私自身から流れた涙もまじって、そうしてようやく湖ができたのだ。これは、私だけの湖なのだ。

 湖をもたない人や、自分に湖はいらないと考える人が魅力的でないとは思わない。ただ、ふつうの人よりも敏感で脆いアンテナをもっているであろう私にとっては、こころの湖がシェルターであり、安息の場であり、ささやかな鎧でもあるのだ。



 広く穏やかな海をもつ、大事な友人のことを思う。そこにはどれほどの内省のことばと、後悔や涙がまじっているのだろう。深い海の底には、いったいどんな記憶や諦念が横たわっているのだろう。

 くまなく覗いてみたいとは思わない。友人のもつ海も、やはり友人だけのものなのだから。私は、自分のこころを思い続けよう。

 「こころに海を」、そう言い聞かせながら、明日も黒いヒールに足を突っ込むのだ。

 

 


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