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水滴


 7月に参加した集まりに、もう一度参加してきた。

 
1ヶ月を振り返って文章を書き、みんなで読んで、話し合うという集まりだ。
8月も参加したくて心の中にはあったのだが、少し勇気が出なくて見送ってしまった。9月こそは行きたいと勢いをつけて、ギリギリ滑り込みをした。
今回の集まりでは、もしかして鼻毛が出ているかも!?問題に悩まされることもなく、充実した時間を過ごせた。


 自分が書いた文章を読んでもらうことは未だドキドキする。そして、同じくらいの好奇心もある。みんなの気持ちを聞いてみたい。自分とは違う意見、見方。「なるほど」と思う。わたしはこう思っているなぁ、と自分の気持ちがよく見えて、まとまってくる。言葉にすると、もっと自分の気持ちが見えてきて、整理できる。
家に帰ってからも、こう話していたらもっと自分の気持ちが正確に伝えられたんじゃないか、と反芻していた。
わたしが今回集まりのために書いた文章は「水滴」。noteにも載せちゃおう。




「水滴」

 気に入ったニットカーディガンを見つけた。ん〜、とフロア一周悩んだ末、色も形も好きだしと足早にレジへ向かう。お会計を済ませ、最後にショッパーを受け取ろうと待っていると、店員さんがワタワタしている。服を畳もうにも、チャックが閉まらないみたいだ。何度やっても、上がらないチャック。直視するのも悪い気がして、視線をずらす。目の端で店員さんを見る。本当に、全然、チャックが上がらない。(え、大丈夫かな?ていうか、この服不良品…?)そう思っても聞けるわけないし、と待つ一択。もう一人の店員さんがヘルプで来ると「あ、閉まった」と声が聞こえた。お待たせいたしました!ありがとうございます。返事をしながら、この服大丈夫なの?と思う。その後、ウォーターサーバー販売の人が配っているウェットティッシュを受け取り、長時間勧誘を受けてしまうところを途中で切り抜けた。
 昔のちょっとしたことも思い出す。自動なのに出てこないアルコールスプレー。調子が悪くなるコピー機。ごはん屋さんでの食事中、周りを飛ぶハエ。全然切れない「こちら側のどこからでも切れます」表示の醤油類。わたしだけじゃないと思いたい。もしくはわたしだけに起きてほしい。





 普段なら、書いた文章の説明はしないけれど、今回はどういう気持ちなのかを書いてみようと思う。参加した集まりは「書いたものについて話し合う会」なので、という言い訳付き。


 わたしは基本マイナス思考で、この日も不良品まがいの物を買ってしまいショックを受けていた。気に入って買ったのに、買わないほうがよかったかなぁ、とかぐずぐず考えていた。そのあと、ウォーターサーバー販売の人からウェットティッシュを受け取ったことで勧誘が始まってしまい、切り抜けるタイミングが難しかった。
わたしは前にもそういうことがあって、夫に「ウェットティッシュ受け取ったの?」と聞かれていたから、またやってしまった…とさらに落ち込んだ。
そこから引きずられて、昔のどうでもいいことも思い出していった。コロナ禍、あらゆるところに設置されていたアルコールスプレー。自動で出てくるはずなのに、わたしの手指に反応しなかったなぁとか。わたしが使ったら、めちゃめちゃ紙詰まりをし出して、メンテナンスに来てもらうことになったコピー機とか。わたしの周りにも人は居るはずなのに、わたしのごはんばかり狙って飛び回るハエとか。「こちら側のどこからでも切れます」って表示をしているくせに、全然切れなくてイライラする醤油類とか。



ちょっとしたことなのに。人によっては、そんなこと?と思うような出来事なのに。あーあ。こういうことが起きるのも、覚えているのもわたしだけじゃないと思いたい。
でもね、わたしはちょっとしたアンラッキーなら、おもしろがっているところもある。体調不良はまじ勘弁!なんだけれど。
恥ずかしい、悲しい、悔しい、むかつく。全てをどうでもいいことと流せたらいいな〜と思いながらも、こういうことが起きるなんて、とわくわくしている。何もないのも人生だけど、何か起きるのも人生だなって。これって、マイナス思考を緩和するための、防衛反応でもあるのかな?



だから、どうせ起きるなら、どんなことでもわたしだけに起きてほしい。みんなの不運をわたしが受け止める!とか善人ぶっているわけじゃなくて、ただただ欲張りたい。みんなは知らなくて、わたしだけが知っている気持ち、物事にしたい。全部独占したい。




 こんな気持ちで「水滴」を書いた。


タイトルを水滴にしたのは半分思いつきで、もう半分に2つの意味がある。
 皿洗いをしたときに、手の甲に飛び散っている水滴を見て、何事もこうあってほしいと思った。水滴はついていても、気にならない。重さが分からないから、視覚で捉えなければ気づかない。ないも同然。アンラッキーなことも、水滴みたいに気にならなくなりたい。気づかない自分になりたい。
反面、アンラッキーひとつひとつを覚えていることは、何かを成すための材料になるんじゃないか。淡い期待もある。水滴が落ち続けることで、石に穴を開けるみたいに、力になっていくんじゃないか。



そんなことを考えて、書いた文章だった。
集まりの中で、好意的な意見をいただけて嬉しかったのだが、残念ながらわたしは、狙って文章を書けるわけではない。そういう技術を身につけていきたいし、文章を書くの、上手くなりたいと思う。





相変わらず自分の気持ちを話すことは苦手だけれど、話すことは書くこととはまた違う良さがある。
どちらも並行して、自分の気持ちを見つめ直していきたい。



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